●序論 癌告知から再発に至った経緯  20131120日 二稿

とても長い自己紹介になりましたが、今後は癌告知から再発に至った経緯を縷々述べていきたいと思います。お断りしておきますが自己紹介同様、とりとめのない駄文をあちこち寄り道しながら書き続けていくことをご容赦下さい。

 

1.内科クリニックでの検査及び診断

2.術前の検査

3.術中・術後の気懸り

4.無意識の中での手術(7/5)

5.術後の医師の診断

6.抗癌剤TS-1の概要と服薬スケジュール

7.自宅療養中の自覚症状と経過観察

8.見舞客

9.癌告知、そして家族との向き合い方

10.治療費概略

 

自覚症状としては、20115月中旬より食後に上腹部痛があり、食欲不振も1ケ月続いた。家内とも素直な会話が出来なくなり、さらに体調に異変を感じ、体重も減少しだした。6月3日上京し、息子の舅宅で焼き肉をご馳走になったが、食べ辛くてビール、焼酎が主となった。4日、立川の家内の実家では、胃に負担をかけないように卵かけご飯で済ませた。5日、6日は、浜松(トヨタの浜名湖荘)で高校の同窓会に参加し、相変わらず食欲も無く、専ら焼酎で場をつくろっていたが、友人等に諭されて、病院で検査した方が良い、病院に行くべきだと言われ、帰宅後、家内の行きつけの内科クリニックで胃カメラ、細胞診、血液検査を行ってもらった。Dr.には事前に食後の上腹部痛が必発することを知らせてあり、Dr.からストレス、アニサキス、癌のいずれかが考えられるが、貴方はどう思われますかと聞かれ、癌を意識した。6月四男の幼友達が来ている最中の617日にDr.に浸潤性スキルス胃癌と告知され、無治療なら余命2~3ケ月くらいなので、手術を拒否し、緩和療法を希望されるなら面倒みると言われた。

 

1.内科クリニックでの検査及び診断

 診断が確定する前に、上腹部痛に対して以下の3製剤が7日分処方された(6/13)。胃・十二指腸潰瘍、逆流性食道炎のタケプロンカプセル30㎎は、夕食後1カプセル服用。胃潰瘍、胃炎のムコスタ錠100㎎は、朝夕食後1錠を服用し消化管の過剰な運動や痙攣を抑え、痛みを和らげる。チアトンカプセル10㎎は、朝夕食後1カプセル服用。

血液検査・炎症については、いずれも正常値内であった。肝機能の栄養状態、黄疸・肝炎については、正常値内で、胆管・脂肪・アルコールの検査値はLDHが低値を示していた。脂質は総コレステロール、LDL-choが正常値より高値で、HDL-cho、中性脂肪は正常値内であった。腎機能はいずれも正常値内であった。膵臓・糖代謝は血糖が正常値より高値を示していた。腫瘍マーカーの動きには異常は認められなかった。胃カメラでは粘膜表面には腫瘍は確認できず、生検用に胃粘膜から7検体採取した。前述した様に6月17日に内科クリニックより電話があり、当日家内とクリニックに出向いて、浸潤性スキルス胃癌を告げられた。20日にKKR札幌医療センターの病院長への紹介状を書いてもらい、旧知のDr.に病院長へのネゴシエーションを頼んだ上で、翌日KKR札幌医療センターの外来に出向いた。

 

2.術前の検査

旧知の先生が院長の先輩であり、院長より同業者の鵜木さんという紹介をされた事もあり、早速22日より癌の確認の為KKR札幌医療センターでの諸検査が始まった。検査の目的は胃癌が胃のどの範囲に広がっているか、どれくらいの深さまで浸潤しているか、肝臓、脾臓やリンパ節などの他の臓器や部位に転移していないかを確認する為であった。検査前の食事制限については、胃に食物が入っていると画像に影響があり、また、食事をすると胆嚢が収縮し、胆嚢の観察が出来なくなるという理由からであった。

  大腸内視鏡検査を受け、異常は認められなかった(6/22)

  CT検査(6/23)。放射線X検査で細かい部分を顕微鏡的画像で胃癌が確認された。脳転移、肺、腹部臓器、骨盤内臓器には転移していないことが確認された。

  胃・十二指腸の内視鏡検査(6/24)。細胞をとって検査し、1週間後の結果を待つことになった。

  胃カメラはファイバースコープで胃内部の粘膜を直接観察し、細胞診で浸潤性のスキルス胃癌であることが確認された。

  X線検査ではバリウムと発泡剤を飲み、胃粘膜観察で浸潤性スキルス胃癌が確認された。肺、肺病変、消化管、血管、骨への転移は認められなかった。

  MRI検査では頸椎、腰椎への転移は認められなかった。

            鮮血検査は肉眼ではわからないような極少量の血が混じっているかを検査するが、消化管からの出血は認められなかった。

⑧主要マーカーの動きで治療方法が決定されるが、特に動きはなかった。この検査は治療後の経過を見るための目安になる。以上の結果を基に74日入院、75日に手術することになった。

 

3.術中・術後の気懸り

万が一のことを考えると、家内の今後の生活が心配になり、遺族年金は幾ら貰えるのか気になり、年金機構に出向き、具体的な金額をはじいてもらった。結果、65歳までは17万円、65歳からは19万円支給されると言われ、計算書を受け取った。家、マンションを売る、生命保険金、企業年金の残額等を考えると、十分やっていけることが確認出来て安心した。四男が手術に立ち会うため来道。もし不測の事態となれば、家内は一人では当地では暮らせないので、学童の仕事に生き甲斐があると固執しても、実家に帰るように説得することを四男に依頼した。息子は自分と住む選択肢もあるし、後の事は心配せずに治療に専念して下さいと言ってくれた。いつの間にか一人前になったものである。

主治医は、30歳の腕の良い外科医であると病院長に言われ、621日より、毎日検査が続き、急いで手術した方が良いとのDr.の判断で、74日に急遽入院し、翌日には、手術となった。開腹して転移があれば即、手術は中止し、閉じると言われたので覚悟の手術であった。家内には2時間程度で手術が終わると、余命は2~3ケ月であるので承知しておくように伝えた。麻酔しますね、と言われ背中をどんと押されたと同時に寝入ってしまい術中の事は一切記憶になかった。

 

4.無意識の中での手術(7/5)

術後の主治医の説明によると開腹時の目視では転移らしきものは認められず、胃全摘、胆嚢切除に踏み切り、切除に8時間を要したとのことであった。手術室の出来事を時系列に説明すると以下の様であったと思われる。

  全身麻酔下で術後の鎮痛を考えてくれ、硬膜外麻酔が施された。

  麻酔が効いた後、皮膚切開・開腹した。

  腹水や腹腔内の洗浄液を採取し、病理検査に回し、目に見える転移巣以外にも癌細胞が浮遊していないかを顕微鏡で細胞診し、確認する。幸い腹水細胞診は陰性であった。

  腹腔内臓器、腹壁、大網、腸間膜に転移巣は確認されなかった。

  胃癌の原発巣を検索し胃全摘手術となった。

  リンパ行性転移を確認するため周囲のリンパ節を摘出し、病理検査を行い、転移は確認されなかった。

  胃全摘のため、口側と肛門側の断端部の切断と縫合を行った。

  摘出した胃を開き、原発巣から切断断端まで十分な距離があるかどうか確認し、胃組織を顕微鏡で断端に腫瘍細胞の浸潤がないか検査し、転移はないことを確認した。

  周辺臓器の胆嚢を切除した。

  消化管の再建はルーワイ法で行った。先ず食道と十二指腸を切除し、十二指腸断端を閉鎖し、小腸を引き上げ食道とつなぎ縫合した。一般的には再建の単純さと食物の流れが生理的ということでビルロート法が多く用いられているが、術後傷害の発生が多いことでKKR札幌医療センターはルーワイ法を用いた。この術式はやや複雑で、食物は非生理的で十二指腸を通過せず、消化管ホルモンの分泌が低下しやすいと言われている。縫合部からの食物の漏出が起きやすいので術後数日は絶食となり、その間は抹消静脈からの点滴で栄養補給した。術後はX線写真で撮影し、縫合部よりの漏れを確認するためにオレンジジュースを飲ませて、漏れの有無を確認した。漏れがないことで全粥経口摂取が始まった。

  腹腔内を洗浄し、止血を確認して排液用のドレナージチューブを留置し、閉腹した。

  ICUに空きがなく、個室に移され「起きて下さい」という看護師の声で全身麻酔より覚醒し、ベッドの上で多くの医師・ナースに取り囲まれていた。

摘出された胃は、術中に控室に待機していた家内、四男にピンポン玉より大きい硬化癌を見せたとの事だが、私は見ていない。手術時の出血も少なく順調であったとのことであった。身体には8本のチューブが入り乱れて挿管されており、それぞれのチューブの役割を聞くと、全て手術前に入れたという事で、術後の痛みを緩和するために手術室で手術前に背中に、点滴用は右肩下に、左手手首には輸血用のチューブ、寝ながら小便が出来るように尿用のチューブ、手術時に腹に溜まった液を排出するために臍の左右から2本腹部にドレナージチューブが挿入されていた。術後には、酸素マスク、心電図、自動血圧計が取り付けられた。まるで改造中のロボットだ。術後翌日はロボット状態で病院内を散歩するように医師に言われ、看護師と一緒に輸液ポールを曳きながら50m程歩いた。術後翌日に歩くことは不安だったが、肺炎や痰が溜まり易い状態を予防するという事で、頑張って毎日歩いた。術後は輸液のみの栄養補給にも関わらず、痰が絡み、頻繁に洗面所で吐き出した。術後2日目から自力で500mlの水分を摂取出来るようになった。自力で歩けるようになって術後3日目に尿管をうら若き看護師に抜いてもらった。術後4日目には重湯を摂取出来るようになり、徐々に3分粥、5分粥、7分粥、全粥、普通食、常食と順調に進んでいった。只、常食一日目に喉が詰まり、胸痛が酷く死ぬ思いをしたが看護師はごく当たり前の現象として取り合ってくれなかったが、1時間程で元に戻った。残り7本のチューブも徐々に用済みになり、術後8日目にはシャワー浴が出来、自宅に帰りたくなった。後は経過観察となり、読書三昧で過ごすことが出来た。

 

5.術後の医師の診断

スキルスは癌細胞と癌細胞が集まって隆起を作らず、胃壁の中に広がる特徴を持っており、そのため見付けにくく、発見された時は進行癌という事が多い癌であった。Dr.曰く、癌の発生年月日は不明だが、粘膜の下層で癌が浸潤している可能性があり、漿膜側の一部に癌を確認出来たと告げられた。私の胃癌は腹膜転移し易いと考え、胃全摘が必須であった。手術時に明らかに転移が認められたら、何もしないで閉腹する事になっていた。幸いに胃全摘・胆嚢摘出を実施することが出来た。最終診断確定日は7月16日で主治医のDr.より組織診断名はpor2>sig gastric carcinomaで、pTNM分類はT(2b)N(0)M(0)CY(0),つまりステージ(病期)はⅡbでリンパ節、遠隔転移は認められず、腹水も認められないという説明を受けた。経過は良好で7月20日に退院した。退院後は,手術と抗癌剤TS-1を併用すると3年無再発率72%、3年生存率は80%で手術だけと比較すると10%程の有意差があるとの説明を受け、受け入れることにした。

 

6.抗癌剤TS-1の概要と服薬スケジュール

 TS-1はステージⅡ,Ⅲの胃癌手術後に再発予防を目的に使われる薬剤で、私の場合は身長・体重を基に1回あたりの服薬量は60㎎(3カプセル)と決められた。TS-1による治療の目的は、・癌を治癒させる・癌を小さくする・癌の転移、再発を防ぐ・癌の増殖を遅らせる・癌によって起こる痛み等の症状を和らげることであった。一般的な有害事象は服薬1週時に吐き気、2週時に骨髄機能の抑制に関わりのある白血球減少、自覚症状的には食欲不振、口内炎、発疹が現れる。3週時には貧血(ヘモグロビン減少)、下痢、色素沈着が現れるとのことである。4週時にはビリルビン上昇が見られた。胃癌の場合10人当たり白血球減少は4~5人、貧血(ヘモグロビン減少)4人、血小板減少1人、食欲不振3~4人、吐き気2人、下痢2人、口内炎12人、色素沈着2人、発疹1人という発現率となっている。

特に骨髄抑制(血液毒性)が重要と思われるので、WBC,RBC,Hgbについて詳述する。

○白血球減少が低値になると、抵抗力が弱まり、風邪や肺炎等の感染症にかかり易くなり、時には、全身の感染症を引き起こす事がある。感染の予防は口や皮膚、尿路、肛門からの感染が考えられ、外出時は人ごみを避け、帰宅後・食事前・トイレの前後は手洗いに努め、帰宅後はうがいをし、口の中を清潔に保ち、入浴・シャワーにて体を清潔に保つ必要がある。

○貧血は赤血球中のヘモグロビンの量が少なくなることがあり、酸素が全身に十分いきわたらなくなり、貧血症状が現れる事がある。貧血になると手足が冷たくなり、爪の色や結膜が白くなり、顔色も青白くなり、めまい・立ち眩み、疲労、倦怠感、動悸、息切れが発現する。特に貧血になったら起き上がる時、立ち上がる時はゆっくり動き始め、動悸・息切れがしないようにゆっくり歩くことが重要である。

○血小板減少も同様に骨髄機能が傷害されると、血小板数が少なくなり、出血し易くなり、出血が止まりにくくなるので、内出血や歯磨き時の出血、鼻血には留意する必要がある。

○自覚出来る食欲不振、吐き気、下痢、口内炎、色素沈着、発疹は常識の範囲で対応出来るので割愛する。

○気を付けなければならない有害事象は空咳で痰が出ない、息が苦しく息切れもあり、発熱があれば間質性肺炎が疑われるので、即、医師に連絡することが大切である。

○投薬スケジュールは、4週間朝夕各3カプセルを28日間連続服用し、14日休薬期間を設け、これを1クールとし、8クール服薬する。1年間の服薬となる。

1クール目:服薬729日~826日、休薬827日~99

2クール目:服薬910日~107日、休薬108日~1021

3クール目:服薬1022日~1118日、休薬1119日~122

4クール目:服薬123日~1230日、休薬1231日~113

5クール目:服薬114日~210日、休薬211日~225

6クール目:Hgbが下がり過ぎて主治医が以下の投与スケジュールとした。Hgbが改善しない場合は2週後の316日に輸血することになる)。服薬226日~39日、休薬310日~316インフルエンザ感染(2月29日)でリレンザ服用中。31日夕より5日夕まで抗癌剤一時休薬、6日より自己判断で服薬再開。14日朝まで服用し、14日夕より16日まで休薬した。

     服薬317日~330日、休薬331日~46日。

7クール目:投薬スケジュールは主治医の指示によるが、服薬47日~54日、休薬55日~518日。

8クール目:服薬519日~615日、休薬616日~629日となる。休薬終了の629日に外来受診し、内科にてCT検査。74日に断端部の転移・狭窄を確認するために内視鏡検査。713日に外科外来にて総合診断。異常がなければ、以後は3か月おきに外来で血液検査、CT6カ月後)検査、異常がなければ6カ月ごとの外来での経過観察となり、3年間外来に通う事になる。外来の待ち時間に血圧測定したところ、最高血圧96mmHg、最低血圧55mmHg、脈拍数61bpmであった。なお、46日の外来から主治医の異動により主治医が変更となった。

 

7.自宅療養中の自覚症状と経過観察

 720日、退院。リンパ節、遠隔転移なく、取り敢えず危険脱出。

 ○自覚症状

  1クール目では、眩暈、立ち眩み、体がだるい、歩行時のふらつき、吐き気、食欲不振、下痢、腹痛、尿量減少、血痰があり、2回の下痢、嘔吐によりTS-1、3カプセル吐き出したが、その他は軽微のようであった。2クール以降の症状も同様で、4クール目で両手・両足のかゆみが発現した。5クール目では、軽度な舌のもつれ、息切れ、口腔内からの出血、血便が発現したが、出血は過去に痔の手術をしたので、排便時息んだ事による出血とも考えられ、口腔内からの出血は抗癌剤によって粘膜に障害が起こったか、食事によって傷がついた事による一過性の出血の様にも思われた。

「食事について」

 胃全摘したことで、今迄胃で消化されていた食物が、消化されないまま腸に流れるので、消化しにくいもの、固いものは出来るだけ避けるように、更に胃液による殺菌が出来ないので、食物についた細菌が腸内で増殖し下痢を引き起こさないように牛乳や卵、刺身は新鮮で衛生面に気を配ったものをと家内が気遣ってくれている。食直後は、すぐ動き回ったり、車に乗らないように、体に負担をかけないように心がけている。

 ○他覚症状

  検査はクール終了毎に外来で採血し、検査値を参考に次の治療法を考慮するものである。血液毒性に関わる項目は常に正常値以下であったが、D.の診断はいつも許容範囲内であった。その他の項目は私の勝手な解析であり、治療の本質ではない。

  外来にて血液検査(8/12)、検査値異常はあったが、主治医は許容範囲内と判断し、現在の服薬スケジュールを継続することにした。

  外来にて血液検査(9/2)、上記に同じ。

  外来にて血液検査(10/14)、上記に同じ。

  外来にて12時に血液検査・同意書に承諾し13時に胸・腹部のCT検査を実施(12/2)

生化学検査の総ビリルビンは参考値(院内の正常値)より高く、コリンエステラーゼ、総蛋白、アルブミンは参考値より低値を示しているが、主治医によると総合的に考えると許容範囲内にあると考えている。

血液検査のWBC,RBC,Hgb,Hct,Neutroは参考値(院内の正常値)より低いが、前述同様に主治医は問題視していない。CT検査では転移は認められないとの事であった。

  外来にて血液検査,14時より診察(1/13)、①~④と同じく許容範囲内と判断した。

  外来にて血液検査(2/17)

     生化学検査における総ビリルビン値は1.3mg/dlと参考値より高く、コリンエステラーゼ値は158IU/lと参考値より低かった。総蛋白値は6.3g/dlと参考値より低く、ALB値も3.9と参考値より低かった。コリンエステラーゼ値が低く、肝機能の低下が疑われるが、GOT,GPTは正常値内にあるので、理解できない。血液検査のWBC,RBC,Hgb,Hct,Neutro値はいずれも参考値より低かった。MCV,MCH,RDW,Lymph値はいずれも参考値より高かった。結果としてWBCが低いので免疫機能が低下し、RBCも減っているので身体は酸欠状態で貧血を起こしていると考える。特にHgbがかなり低値を示しているので輸血も考えなければならないレベルになっている様である。Hct,PLTも減少しているので貧血症・多血症が考えられ、出血し易く、血も止まりにくくなると考えられる。検査値が高いMCVRBCが低値であるので大球性貧血が考えられる。MCHRBCに含まれるヘモグロビン量を示すが、RBCが低値ではあるが、検査値は正常でなく高いので低色素性貧血は考えないでいいようである。214日の早朝4時、7時の吐血は口腔内に血が貯留していたもので一過性の出血と考えたが、血小板が前回より低くなっていることで輸血の検討及びTS1の投与スケジュールの変更を余儀なくされた。

  外来にて血液検査(3/16)

Hgb8.1g/dlは前回より高い値を示し、輸血は必要ないことになった。

 

8.見舞客

「4人の息子、兄・姉の来道」

四男は3(7-11日、滞在)新千歳空港を昼間に帰京し、お茶の水のJR車中で東日本大震災に遭遇し、徒歩で帰宅した。地震・津波が癌の予兆であったのか、49日、食後に胃痛が始まり、治まるまで2030分かかった。おそらく胃炎か胃潰瘍、最悪、胃癌と感じた。7月の手術日(7/5)にも四男は来てくれ、無事に手術が終わったことを確認して帰京した。彼は、心配して度々の里帰り、わが子ながら頼もしく育ったものだ。長男(8/188/20)は、1日目は東急インに宿泊し、翌日迎えに行き我が家に来た。家族は東京に残し一人での来道であったが、家庭も仕事も順調の様で一安心。次男・嫁・孫家族も来てくれた(11/26-27)。久しくしゃべる事のなかった次男と自宅の陶芸室で、今、私が考えていること、今後の事を伝えた。

三男夫妻(8/88/11,2/4-7)は今年3回目の来道で散財させてしまったが、いつも二人が仲良くて、私にも平常心での会話がとても気分を楽にさせてくれる。私の兄からは「思い悩み給う事なかれ、平常心で頑張ろう」云々の手紙が添えられ、励まされた。

自宅療養中には熊本から姉夫妻(7/26-29)が来てくれ、初日は自宅で食事し、翌日は、体調も良く手稲山や石屋製菓に案内した。飛行機の苦手な姉が、新潟の豪雨のせいもあり、特急列車(トワイライト)に乗れず、帰りも熊本まで飛行機で帰って行った。義兄も胃切除しており、「今後は長生きを最優先にして人生を楽しんで…」と言われ、それまで死に対して冷静であった私の胸が熱くなった。

「小学校、中学校、高校、大学の友人達」

術前には高校以来の友人が鹿児島から駆けつけてくれ、一緒に昔話をしながら焼酎を痛飲し,翌日帰鹿した。脳神経外科医ながら、開腹前の癌の進行状態もわからない段階で、一切余計な事は言わず只ひたすら一緒に飲んでくれた。彼らしい気遣いであると思った(6/25-26)。遠くはブエノスアイレスの友人、彼の母親から過分の見舞金が振り込まれ、退院後家内と温泉に行くようにとのメールを貰った。

8月に利尻・礼文に一緒に旅行することになっていた小・中学校からの友人(8/7)が午前7時に来て、午後の便で帰京した。在京の友人からは、鹿児島の薩摩揚げが届けられた(8/29)。同学舎の後輩が先輩より私の事を聞いて、札幌に見舞いに行きたいとの連絡をよこし、大阪から日帰り(10/17)で来てくれた。心から心配してくれたようで、新千歳空港で長いハグをされてしまった。

また、高校時代のクラスメートは医師の立場で入院先へ紹介状を書こうかとか、病状について度々メールをくれた。その他、多くのクラスメート、同級生からはハガキや電子メールを貰い、励まされた。大学時代の友人は電話口で心配のあまり涙ぐんでいた。同学舎の先輩からは、どうして欲しい?というメール、同学舎で過ごした友人は医師の立場で、療養中の食事についてサジェッションしてくれた。同学舎の後輩の弟はタイのチェンマイから心配の手紙とメールを度々よこしてくれた。

「会社の先輩、同僚、後輩達」

入院当日(7/4)は会社時代の後輩二人が見舞いに来てくれ、入院時の保証人になってもらい、その後もたびたび見舞いに来てくれた。有難いことである。会社の新入社員時に部下であった後輩の家族(8/17)の気遣いが有難かった。会社の後輩達(8/21)の、特に東京から来てくれた、長年仕事で一緒であった後輩の見舞いは嬉しく、彼の思いは十分に伝わった。その他、多くの後輩達より見舞金と丁重な手紙を貰った。先輩達からも心配のメールが届いた。

「家内の友人達」

近所の小林さんが付き添ってくれ入院した(7/4)。

畑を使わしてもらっている西澤さん夫婦、入院中犬の縫いぐるみを持ってきた白石の佐藤さん親子(10/26)、我が家にも見舞いに来てくれ、母親とのおしゃべりと娘むつみさんのピアノ練習、気持ちが和む。家内の友達である渡邊由紀子さんは忙しい中、午後8時頃唐突に病室に現れ、40分くらいしゃべって帰って行った。見舞金に添えられたコメントはいかにも彼女らしいと思った。「多くの女性の祈りとご友人の知見と技に守られて執行猶予がついたと伝え聞きました。おめでとう。よかった。うれしい。というよりも羨ましい…かな?命を深く味わうことが出来る者は幸いである。そんな心根で拝観に参りました。深い命の話は天が与えた時間を使っての中頓別巡礼(?)の折にでもお聞かせ下さい。心からご夫婦でいらっしゃる日をお待ちしています」。東京での家内の友人からも見舞金が送られてきて以下の手紙が添えられていた。「どんな風にお過ごしですか心配しています。一任さんが体をかばいながら草むしりをしているというお葉書、昨日届きました。私のような小心者にはただ驚きです。一任さんが東京にいらしたら、皆でお見舞いに行くのにどうしたものかと昨日私の家に集まり相談しました。ささやかですが通院する時のガソリン代のたしにして下さい。本当にささやかですのでお返しの心配はなさらずに。七月二十六日、石澤、鈴木、原、黒野さん。

近所の向こう三軒両隣の戸嶋さん、太田さん、安井さん、高橋さんは療養中の私、家内に気遣い、食べ物を持ってきてたり、除雪を手伝ってくれた。

「陶芸仲間」

松原先生夫婦は心配のし過ぎと思うほど、顔もこわばり、まるで身内が大病にかかったような様子に申し訳なく思った。中井、松田さん等の心配そうな顔、笑顔、親身な会話で、とても気持ちが安らぎ感謝の念で一杯になった。中井さん見舞いに来る(9/22,10/23)。いつもの井戸端会議で元気が出る。その他全ての会員より見舞金を頂き、びっくりした。夢プラザの職員、喫茶室の責任者もとても親身に病状を聞きに来た。

KKR札幌医療センターを紹介してくれた先生、奥さん」

今回の入院でお世話になった先生で、昔一緒に北海道癌研究会を立ち上げ、よくお酒も飲んだ仲であった。とても心配してくれ、北大の後輩であるKKR札幌医療センターの院長にネゴしてくれ、病院長はとても親身に対応してくれた。先生は脳梗塞後で会話がうまくできず奥さんが通訳する状況であったが、病院にも見舞いに来てくれた。感謝してもしきれない恩人である。

 

9.癌告知、そして家族との向き合い方

浸潤性スキルス胃癌ともなれば転移も速く、自分なりの知識・経験もあって、既に手遅れと判断し、自宅であるいはホスピスで静かに余生を全うする治療を選択することを考えた。家内に、子供達に癌であることを伝えるように頼んだが、家内は精神的パニックを起こしたようで、結局は私が長男に電話し、3人の息子に伝えるように頼んだ。しかし、家内の様子を見ているうちに、死に対して我儘であったと反省し、身内、家内、家族に配慮した思いを深く、広く考えるべきだと感じた。単に治療を受けないという私の判断は、家内に精神的重荷、これからの生活に対する不安を助長させたに過ぎなかったと思い直し、手術が可能ならばチャレンジしようと決心した。クリニックのDr.は清田区の病院を3病院ほど紹介してくれたが、家内には先進医療の出来る北大か札幌医大に入院して欲しいと言われ、私としては症例数をこなしている専門病院を選択したくて、旧知のDr.に連絡し、Dr.と北大時代の同窓で親しいKKR札幌医療センターの病院長に連絡してもらった。その結果、620日にクリニックのDr.に紹介状を書いてもらい、翌日、KKR札幌医療センターに出向いて主治医に面談し、手術・治療を受けることになった。

 

10.治療費概略

  領収書を確定申告で税務署に提出したので、おおよその金額である。

入院・手術費用・・・120,000円(入院17日間、高額医療による市の補助を差し引いた金額)

 検査費用・・・60,000円(7日間、内科クリニック、KKR札幌医療センター)

 薬剤費用・・・320,000円(抗癌剤8クール分、他)

 交通費・・・75,000円

医療保険(第一生命医療保険)・・・215,000円(私の医療費として入金)

 合計・・・360,000円(実質の支払額)

 

「結語」

淡泊にDr.の告知に死を覚悟し、ホスピスを選択し余命を自宅でのんびり過ごそうと、家族に相談するでもなく自分本位な判断であったことを今は反省し、後悔しています。残された家族、兄、姉の気持ちに考えが及ばず、これほど多くの人が心配してくれるとは想像外で、これからは周囲の人々、特に家族には今まで以上に気持ちを曝け出して、素直に接しようと思いました。幸いなことに私の胃癌摘出は、外科的には完全治癒切除出来たので胃癌の再発の確率は低くなると思われます。再発予防薬のTS-1の服用については辛抱強く、残りの2クールを飲み終えたいと思っています。ステージⅡbは早期発見であれば治癒率は90%を超えるとの報告もありますので、あとは私の生命力いかんと考えています。生還すると生に対する未練も出てくるようで、もう少し息子や孫の行く末を見守りたいし、兄、姉の最後を看取りたいし、これからは姉夫婦の義兄の「今後は長生きを最優先にして人生を楽しんで…」を目標に日々をのんびり、ゆっくり過ごして行こうと思っています。

最後に、日本の医療制度は崩壊しようとしていますが、私はその制度の中で癌から生還できたと思うし、これからは何かの形で社会貢献しようと思っています。

 

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