14稿 「癌と共に~末期胃癌の治療中断と老人の大言壮語?いや、心意気?~」

目 次

1.      SP療法5クール目の治療中断

2.      SP療法を成功させる為の副作用対策

3.      臨床試験による胃癌治療成績の評価と現状

4.      幸福とは

5.      私の老後の夢~挫折と復活~

 

1.      SP療法5クール目の治療中断

 4クール目が終了し、外来診療日の227日に血液検査を行った。その結果、好中球数が1000を切り、734であった為、シスプラチンの点滴静注を施行すると骨髄抑制を生じ、貧血、特に感染症の心配があるので、白血球/好中球数の回復を待って、36日の入院を1週程延ばす事になった。抗癌剤投与の初期の頃であれば白血球数は、投与後1~2週間後に最低値になり、回復に7~10日かかる様であるが、私の場合は長い事、抗癌剤を服用しているので、抗癌剤の蓄積毒性の影響がでて白血球/好中球数の回復が更に2週間程遅れていると推測される。回復が予想される36日に採血し、最終的に入院日を決める事になった。好中球の低値は、免疫力を弱めて感染症に罹り易くなるので、刺身等の生ものは避け、急に38℃以上の熱が出たら、既に血液中に病原微生物が入り込んでしまっていると考えられるので、主治医に連絡し、かつ、処方したカロナール錠とクラビット錠を服用する様に小松医師に指示された。36日の外来での血液検査で白血球3,000、好中球1029に回復し、12日より5クール目の入院となった。多くの患者は、副作用が原因で早いクールでドロップアウトするケースが多く、5クールまで,その都度抗癌剤の骨髄抑制に気遣わなければならないと言う事は、抗癌剤が癌細胞に効果を発揮している証であるという考え方も出来るので、治療を継続出来ている事は延命に繋がっていると理解している。このSP療法はシスプラチンの毒性を考慮して6クールまでとし、4月中旬でこれまでの治療を評価し、診断を確定した後に、治療終了とし定期健診で様子をみるか、二次治療に進み新たな併用療法で治療継続するかという事になる。12日に入院し、好中球値はシスプラチンを点滴静注する条件になく、17日まで入院して回復を待つ事になったが、結局回復せず、7日より服用していたティーエスワンも服用中止となり治療中断となった為、退院する事になった。結局、今回の入院は単なる寝泊まりで6日間を無駄に過ごす結果に終わった。前向きに考えれば読書三昧の6日間であったので、少しだけ賢くなったかもしれない。入院費用を8万数千円支払ったが、べら棒に高いと感じた。次は24日に再度血液検査をして、次のステップを考える事になった。

 

2.SP療法を成功させる為の副作用対策

SP療法で重要な事はいかに副作用に対峙していくかにかかっている。副作用は、ティーエスワン、シスプラチンの癌細胞攻撃によるもので、正常な細胞にも影響を与え、特に癌細胞と同じく活発に生まれ変わる血液を作る骨髄細胞、口や腸等の消化管粘膜が影響を受けると副作用が発現する。更に抗癌剤が体内に蓄積する事で現れる副作用もある。私が注意すべき副作用は、今迄の治療経過から判断すると、骨髄抑制、食欲不振・吐気・嘔吐、下痢、倦怠感であり、味覚異常や皮膚障害、便秘は今の所経験していない。

1)      骨髄抑制

1)白血球/好中球減少の予防

私にとっては白血球/好中球の減少が一番の課題であるが、私自身に特別な対策がある訳ではないので、日常的には何かにつけて、手洗い、うがいを心がけている。人工肛門を造設しているので、毎日風呂に入る事は難しいが3日に1度ストーマパウチ交換時にシャワーを浴び、半身浴して、清潔を保っている。さらに人込みは極力避ける様にしているが、完全とは言えない。食事は、生ものは避けているが、生野菜は気にせず食べており、底値の時は刺身だけでなく、極力生野菜も回避する様に考え直す必要がありそうである。主治医は休薬中の後半であれば骨髄抑制の心配はないと思われるので、その時は気にせず食べて下さいと言っている。

私は幸いに治療開始から発熱を経験していないが、熱が出た場合は主治医に連絡し、場合によっては、発熱の原因を突き止めるために尿や便、喉や痰の検査をする事になる。ただ、すぐには原因が判明しない事もあるので、色々な病原微生物に広く効く抗菌薬等の投与を始める事になる。感染症が長引くと、治療の延期、中止せざるを得ないと言う事が考えられるからである。

2)赤血球減少の予防

 貧血で、眩暈、息切れを感じる事があり、活動する時は、ソファで寝ころがって休憩を取りながら行動している。家内が鉄分を多く含む小松菜のお浸しやプルーン等を用意してくれている。抗癌剤の体内の蓄積毒性を排出する為、食事以外に毎日水分を1000mℓ摂取しているので夜中に目が覚め排尿するので睡眠は十分とは言えないが、6時間は何とか眠れている。

3)血小板減少の予防

 胃癌に用いられるSP療法では血小板減少は必発で、その頻度も高い。早い場合は1週間後から現れ、約3週間で後にピーク(底値)になる。熱が出ていると、脾臓等で血小板が壊れ易くなる為、血小板はより重症になる。血小板は血液を固まらせ止血するので、血小板が減少すると出血を起こし易くなる。重症(血小板数12万/μℓ以下)の場合は血小板の輸血が必要であるが、何度も輸血した場合は、輸血した血小板を壊してしまう抗体が血液中に現れてくる場合があり、その際はHLAという型の合った血小板を輸血する。私には血小板を食い止める方法は無いので、出来る事として日頃から怪我や転倒、打撲に注意し、髭剃りも出血のリスクの少ない電気カミソリに変える等している。

2)食欲不振・吐気・嘔吐

 抗癌剤が消化管粘膜や嘔吐を引き起こす脳の一部を刺激する為に起こる。食欲が落ちる程度の軽い症状から数日嘔吐が続いた事も経験したが、食事が出来ないと言う事は無かった。入院中は制吐剤を処方してもらい、こまめに水分も取っており、食事も消化の良いものが出されるので左程苦労した事はない。

3)下痢

 抗癌剤によって、腸の粘膜が刺激される事で起こる。骨髄抑制により白血球が低下し感染し易くなる事でも起こる。家では13食決まった時間に食事し、間食もしており、下痢が2回続くとロペラミドを服用している。食事は消化吸収の良いものを選んで食べ、原則、刺激性のあるものは避けている。また、小松医師が薦めてくれた経口補水液OS-1を飲用しており、下痢を負担に思ったことはない。

4)倦怠感

 入院中は点滴靜注後、だるい、疲れやすい、体が重い等、経験したが、副作用だけでなく、治療で不眠や、眩暈、貧血からくる症状もあるのではないかと思っている。病室で患者と話に夢中になると、食欲不振・吐気・嘔吐や倦怠感は薄れて、それほど気にはならない様に感じた。

5)抗癌剤治療時の副作用対応薬

 小松医師の処方箋により以下の薬剤を院外の調剤薬局で購入した。1クール35日間に副作用が発現した時に自分で服用する為に用意した薬剤である。私は、抗癌剤ティーエスワン、シスプラチンは治療薬であり、以下の薬剤はBSCの為の副作用対応薬と位置付けている。

・アズノールうがい液4%:のどや口内の腫れや痛みを和らげるうがい薬で、1日に基本的には食後3回、1回量を水で希釈してうがいし、また、外出からの帰宅時にも感染予防の為、うがいをしている。

・ノバミン錠5㎎:悪心・嘔吐時に服用する薬で、自宅では1回、入院中1回服用した。自宅ではこの薬を服用した日は、作用を強める危惧があるので焼酎やワイン飲用は中止した。

・ロペラミド塩酸塩カプセル1㎎「タイヨー」:この薬はジェネリック品であり、下痢が数回続いた時に随時服用していたが、今は普通便で安定しており、殆ど服用していない。下痢時には電解質と糖質のバランスを考慮して経口補水液OS-1を飲用した。

・クラビット錠500㎎:38℃以上の発熱時、朝食後に服用する様に指示されているが、幸いに未だ服用経験はない。

・カロナール錠200:この薬はジェネリック品であり、38℃以上の発熱時に使う作用の穏やかな解熱鎮痛薬であるが、幸いに未だ服用経験はない。

・イメンドカプセルセット:中枢性の嘔吐反応を抑制し、吐き気・嘔吐を抑える薬で、シスプラチン点滴靜注時前に1回、翌日及び翌々日朝食後1回入院時服用している。

 入院時に使う薬であるのに、何故、病院で用意してくれないのか分からないが、管理上の理由なのか、今度、入院時に看護師に確認しようと思っている。

 

3.臨床試験による胃癌治療成績の評価と現状

 胃癌の発生率は依然として高く、世界で新規に胃癌と診断される患者は毎年930,000例にのぼっている。わが国でも胃癌の死亡率は肺癌に次ぎ悪性腫瘍における死因の第2位である。胃癌の臨床試験のみに限定して紹介する。日本胃癌学会が以下の比較臨床試験を下に、SP療法(S-+CDDP;ティーエスワン+シスプラチン)を胃癌の標準療法に認定したかご理解頂けると思う。

1)進行・再発胃癌に対する癌化学療法

1)わが国における進行胃癌に対する化学療法

  FTM療法(tegafur+MMC)とUFTMtegafur/uracil+MMC)の比較試験で、奏効率ではUFTM療法が優れていたが全生存期間中央値(MST:median survival time)はともに6カ月であり差は認められなかった。

2UFTM療法とFP療法(5-FU+cisplatinCDDP)と5-FU持続靜注療法(5FUci)の比較試験

  1992年からJCOG(Japan Clinical Oncology Group日本臨床腫瘍研究グループ)で実施された臨床比較試験(JCOG9205)であったが、中間解析の時点で、UFTM療法は血液毒性が強く、しかも5FUciを上回る成績が期待出来ない事から以後の登録が中止され、最終的にFP療法と5FUci療法の比較試験として検討された。最終解析の結果、奏効率ではFP療法:34%、5FUci療法:11%とFP療法が優位に高かったが、MSTに関しては両群間に差はなかった。しかもFP療法で高頻度に血液毒性及び消化器毒性が認められた為、FP療法が5FUci療法を凌駕する治療法とは考えられず、5FUciを次期比較試験の対照群とすると結論付けられた

3)対照群5FUciCPT-11+CDDP併用療法とS-1単独療法を評価群とした第Ⅲ相比較試験(JCOG9912

対照群である5FUci療法に対するCP療法の優越性及び5FUci療法に対するS-1単独療法の非劣性が検証された。5FUci療法、CP療法及びS-1単独療法の各群のMST10.8ヶ月、12.3ヶ月、11.4ヶ月であり、CP療法の5FUci療法に対する優越性は検証されなかったものの(P=0.055)、S-1単独療法は5FUci療法に対する非劣性を有意に示した(P0.001)事で、S-1単独療法は胃癌標準療法の一つになった。しかし、S-1単独療法での治療効果、特に奏効率の向上や延命効果には限界があり、作用機序の異なる他の抗悪性腫瘍剤との併用による更なる効果増強も期待される。そこでわが国において施行されたS-1+CDDP併用第Ⅰ/Ⅱ相試験で、奏効率73.7%(14/19)、MST383日という結果が報告され、有用性が示された。

4S-1単独療法とS-1+CDDP併用療法による第Ⅲ相比較試験(SPIRITS試験)

  MSTS-1単独では11か月であったのに対して、S-1+CDDP併用療法では13カ月と有意に延長しており、CDDPとの併用療法の有用性が証明された。

5S-1単独療法とS-1+CPT-11併用療法による第Ⅲ相比較試験(GC0301/TOP-002試験)

  MSTS-1単独では10.5ヶ月であったのに対して、S-1+CPT併用療法では12.8ヶ月と長い傾向であったものの、統計学的な有意差は認められなかった。この結果により、S-1+CDDP併用療法がわが国における標準的化学療法に位置付けられた。

6S-1+docetaxel併用第Ⅱ相試験

  吉田らは、この試験の奏効率は、56.3%でありMST14.3ヶ月と報告し、山口らは、奏効率46%でありMST14.0ヶ月と報告している。これらの結果よりS-1+docetaxel併用療法の有用性も期待でき、わが国及び韓国共同多施設によるS-1単独法、S-1+docetaxel併用療法による第Ⅲ相比較試験(START試験)が行われ、S-1+docetaxel群のTTPtime to progression治療効果持続時間)中央値が161日に対し、S-1群では126日であり、S-1+docetaxel群にて有意な延長が示されたが、この試験のプライマリーエンドポイントである全生存期間(overall survival:OS)の評価において、S-1群は334日に対して、S-1+docetaxel群では390日と長い傾向であったものの有意差には至らなかった。

7S-1+oxaliplatin(l-OHP併用第Ⅱ相試験

  奏効率59%、無増悪生存期間中央値(median progression free survival:mPFS)6.5ヶ月、MST16.5ヶ月と良好な結果が得られた。

8Docetaxel/cisplatin/S-1(DCS)療法への道筋

海外での切除不能進行胃癌を対象にした初回治療の臨床試験。

5FU+CDDP(CF)vs.5FU+CDDP+docetaxel(DCF)第Ⅲ相比較試験{V325}の最終結果が報告され、奏効率、無増悪期間(time to progression:TTP),MSTともDCF群に比べ有意かつ良好な成績を残し、3剤併用療法の有用性が示された。これらの結果をもとにDCFにおける5-FUS-1に換える事により、血中5-FU濃度を高めて抗腫瘍効果を期待すると言う観点や、わが国の標準療法であるS-1+CDDP療法にdocetaxelを併用する事でより効果が期待される事から、DCF療法が検証される様になり、そのうちの5施設の成績を以下に記す。

DCS療法の第Ⅱ相試験

20053月~20074月に札幌医大佐藤らにより実施され、全4例が登録され、そのうちの31例で検討している。全奏効率(complete response+partial response)は87.1%、病勢コントロール率(complete response+partial response+stable disease)は100%であった。PR27例中8例(29.6%)がdown stageとなり、7例に対して手術が施行された。MST687日、mPFS226日であったと報告している。良好な成績であったが、有害事象(副作用)の発現頻度は高かった。

DCS療法の第Ⅰ/Ⅱ相試験(KDOG0601

 20063月~20088月に神奈川がんセンター、北里大学中山らにより実施され、全59例が登録された。しかし、試験中の中間解析で好中球と腎機能障害(クレアチニン上昇)が多く認められたため、CDDPの投与量を60/㎡に減量し、試験を継続した結果、全奏効率は81.3%、病勢コントロール率は98%であった。CDDP70/㎡での奏効率は78.9%、CDDP60/㎡での奏効率は82.5%、PR48例中10例(20.8%)がdown stageとなり、9例に対して手術が施行された。MST18.5ヶ月、mPFS8.7ヶ月であった。DCS療法は初回化学療法として優れた有効性と認容性を示し、かつ、有害事象を考えた時、CDDP60/㎡がこの試験での適正量・推奨用量と判断された。

DCS療法の第Ⅰ相試験

 20079月~20093月に静岡・愛知がんセンター広中らにより実施され、全15例が登録された。Dose level3まで増量し試験を行っていたところ、試験中、G3以上全身倦怠感が認められた。全身倦怠感のため患者の試験継続拒否があった。このため、docetaxel 40/㎡をday1及び15bi-weeklyに投与変更し試験継続した。推奨用量は40/㎡のbi-weeklyと決定された。この試験での全奏効率は54%(7/13)病勢コントロール率61.5%であり、MST383日、mPFS243日と報告している。

④術前化学療法を前提とした、手術まで含めたfeasibility study(第Ⅰ相試験)

 200711月~200812月に金沢大学Fushidaらにより実施され、推奨療法は、docetaxel 35/㎡及びCDDP 35/㎡となった。全奏効率は76.9%、病勢コントロールは100%であった。その後、新潟がんセンターのclinical practiceにおける同レジメンの経験からは、2コースまでのデータでgrade3以上の好中球減少が63.6%、発熱性好中球減少が9.1%と報告された。

9)進行・再発胃癌の標準療法

以上の臨床試験で進行・再発胃癌に対しては、今、私が行っているSP療法、即ちS-1+CDDP併用療法がわが国における標準的化学療法であり、2剤併用療法が中心であると言える。今後3剤併用療法と2剤併用療法との比較試験や術前化学療法の臨床試験の結果によっては、切除不能・再発胃癌だけでなく、術前化学療法においても3剤併用療法の有用性が証明されるかもしれない。

 

4.幸福とは・・・

勝ち組・負け組、格差社会…、諸々の外部要因に左右されずにどのように自分の内部に恒久的な幸福感を構築できるのだろうか、とても難しい時代に我々はいる。あの世が近いと悟っている私は、生きている現状から死を考えているが、逆に生きていることを死の側から見つめる事に視点を変えれば、冷静に余生を送れるのではないかと感じている。国会中継を視聴して感じる事であるが、現在の日本は国全体がガラパゴス化し、政治、経済、社会、教育等問題は山積みにも関わらず議論は内向きで改革は一向に進んでいない様に感じる。我々が選んだ国会議員は、借金が1千兆円を超えているにも関わらず議員数を減らす事さえ出来ない人達である。企業も役所も日本人の体質と言うべきか、寄らば大樹の陰、から抜け出せないで、自分の人生を実力や実績に関わりなく、評価はあやふやな上司の心証に漫然と委ね、家族の為と言い訳しながら日々過ごしている。こんな日本人は本当に幸福と言えるのだろうか。敗戦後アメリカ主導で戦前の教育制度が否定され新制大学が多く誕生し、確かに高度成長期には、民間企業の積極的な設備投資、業績向上に伴い、多くの管理職者が必要となり大量の大卒者を採用し、時代の要請には応え、所得も倍増し、国民の大半が中流意識を持つほど幸福であった。バブルがはじけてから20数年と言うもの、経済は停滞し多くの人が先行き不安な生活を強いられ、我々が幸福になれる社会の仕組みを教育も含めて早急に再考する時に来ているのではないだろうか、と昨今つくづく感じている。

菅原文太に学ぶ生き方:皆さんも彼が東映のやくざ映画のスターであった事はご存じであろう。既に80歳の老人であるが、2009年に有機野菜の農業生産法人をつくり、2012年には国民運動グループ「いのちの党」を結成している。若い頃の彼は酒浸り人生で年齢を重ねるに従って自分を怠け者と自覚し、多くの分野の知識人との対談、出会いで刺激を受け、奥さんの影響を受け社会勉強のために高山市の郊外で農業を始めている。常に多くの人に注目されていたスターが普通の農業人として自然に向かい合って第二の人生をスタートさせたのである。その経験から彼は世の中の問題点に気づき、世間に向けた持論を発信する様になった様である。2014131日の朝日新聞に彼の記事が掲載され、賛同する所が多く、リライトして紹介する。日本人は何故こんなに変わったのか、栄養や衛生状態が良くなり、医療も行き届いて少子高齢化社会が出現したが、同時に家族崩壊も進み、増えた高齢者を家族が支えきれなくなった。昔、翁・媼という目出度い老いの姿も消えてしまったのだろうか。若さや強さを賛美するアメリカ文化の影響もあるかもしれない。外見のアンチエイジングに男も女もよく金を使っているからね。福島原発事故は土壌、海水、森林と汚染が広範囲で、基に戻すには神話的時間がかかるだろう。人力、人知を超えたところに踏み込んだのだから。原発は撤退するより仕方ない。政治の目的は人々や社会を強くすることだ。人間同士が強く頑丈なもので結ばれる為に、国や町や村を作ったはずなのに、現実には格差ができ、暮らしぶりの違いも出てきた。その溝を政治が埋めないでどうするんだ。それを本来の状態に戻すことが社会運動だと思う。現在の日本は荒療治が必要、荒療治といっても物騒な武器弾薬は要らない。そんなものを振り回したら、若い者たち、こども達に厄災や負債を残すだけ。政治家たちのナルシズムという病に、これはどこかで見た光景だぜと警鐘を鳴らすのも、老いぼれの役目だ。と言っている。素晴らしい80歳の物言う元俳優菅原文太さんは、老いての大変身であり、我々も評論家もどきの俗物から離れ彼を見習い実践すべきで、そのことでこの世に未練を残さず、悔いのない健康で幸せな時を過ごせるのではないかと感じたのである。

 

5.私の老後の夢~挫折と復活~

 既に定年後10年の歳月が流れた。55歳のラインアウトの年に早期退職し、鹿児島の空き家にしている自宅に戻り、小さなヨットを購入し、錦江湾でセーリング、魚釣りをし、家庭菜園をやりながらのんびり老後を楽しむつもりであった。しかし、福岡在住の兄が、不良のたまり場になり庭は草茫々で火事の心配もあるとの近所のクレームに耐えられず、家を維持・管理する事が億劫になり、家を処分したいと言い出し、私も現役のサラリーマンで解決策を提案できずに結局売却してしまった。我が家が無くなると言う喪失感でとても寂しい気持ちになった。老後の夢が破れ、早期退職の機会も失い、50歳を過ぎて、再び東京に戻り、新薬上市と同時に重要な部門の責任者を任されたので、最期の奉公として55歳のラインアウトまで退職の事はペンディングにした。この頃は家内と四男を北海道に残し、小金井市の3DKの借り上げ社宅に息子3人と4人暮らしをしていた。1年後、4男の高校卒業と同時に家内と東京に帰って来たので、長男と次男には社宅を出てもらい、新たに家内と3男、4男の4人で暮らすことになった。社宅で8年を過ごし、晴れて60歳で定年を迎える事が出来た。家内と相談し、北海道に暮らす事にし、10月に車で関越道から新潟に出て、フェリーで小樽に向かい、早朝に我が家に着いた。自宅には家内の友人が朝食を持って来てくれた。家内との新たな生活の始まりである。ハローワークで失業保険を貰った。平成5年に北広島に家を買ったのは、立川で50歳くらいと思われる主婦が安アパートのベランダに洗濯物を干しているのを見て、何故かもの悲しさを感じ、鹿児島での老後の夢が断たれた今となっては、家内に家を用意してあげたいとの思いに至った。ヨットの購入、牽引するジープの購入も忘れてはいなかったが、家のローン、マンションのローンの完済、家財、電化製品を新調した事で、手元不如意となり、どんどん夢がしぼみ始めた。家内のこれまでの苦労に報いて、イタリア、フランス、スイス、アルゼンチンにも旅行した。車も買い換えた。夢はスキー、陶芸と家庭菜園となり、作陶や収穫の喜び、雪景色を見ながらの飲酒、家内との国内旅行、想像以上に自由で楽しい年金生活を享受する事になった。更に初めての庭造り、大工仕事、2坪の小屋の購入、近所の子供達に英語や算数を教え、北広島市の審議委員になり町興しの具体案作りに参画し充実した楽しい7年間であった。敬天愛人を座右の銘とする私に何の目的があっての事か、天は私に悪性の胃癌を与えた。それから丸3年、入・退院を繰り返し、今年9月で満70歳になる。病気のお蔭で家内や子供達や多くの人の優しさを知った。その結果、敬天愛人の「道は天地自然のものにして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目標とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり。」を、ごく自然に人を、袖触れ合う人達をも愛する事が出来る様になった。定年後どれほど多くの人に会った事か、更に病後は更に更に多くの人に出会い、人との会話の楽しさも知った。これらの多くの人との出会いは、きっと天からの贈り物であろうと感じる事が出来た。70歳を過ぎてから、自分自身、家内、こども達に役立つ夢、社会に役立つ夢を少しでも残し、皆に感謝され、格好良く、あの世に還れればと思っている昨今である。50歳代の夢は、思えば自分本位・一人合点な夢であったと反省し、定年後に実生活を通して作り上げた夢が私に与えられた役割であったのであろう。病の事をもっと考えなさい、もっとやる事があるはずだ、との天の声なのだろう。木ノ下庵主のお蔭で鵜木ページを開設してもらい、自分の思いを文字にする、そして書き続けるという未知の世界にも飛び込んだし、入院治療を通して、私のライフワークであった薬の世界に引き戻されたし、今後何をなすべきか、これ以上の延命を付与されるならば充実した70歳代になりそうである。家内も本気で私の病に向き合ってくれており幸せな事である。うん、十分幸せと言える人生である。

以上 2014323日