33稿 「癌と共に~XELOX療法開始~」 2015730

1ZELOX療法について

2ZELOX療法1クール点滴

3.ロンの最近

4.発癌から4年、5回目の夏

5.日常生活

 

1.   ZELOX療法について

)ZELOX療法とは

2013年再発胃癌時のSP療法(S-1+CDDP)と同様の治療法である。ZELOX療法とは内服の商品名ゼローダ(capecitabine)と点滴靜注の商品名エルプラット(oxaliplatine)注射剤を組み合わせた治療である。私にとっては癌治療法のfifth lineの治療法で内服と点滴を組み合わせることによって、通院治療を可能にしたものである。

()ゼローダ概要

ゼローダは日本国内の開発品である。癌細胞の増殖を抑え正常な細胞への影響を少なくするため、肝臓で3種類の酵素であるカルボキシルエステラーゼ及びシチジンデアミナーゼにより5-DFURに返還され、消化器毒性の軽減と5FUの抗腫瘍効果の増強を考えたものである。主な排泄は肝・腎排泄で行われる。20112月に治癒切除不能な進行・再発胃癌に使えるようになった。

()エルプラット概要

エルプラットは日本での開発品である。癌細胞の遺伝子(DNA)に働きかけ癌の増殖を抑える抗癌剤、つまり、DNA鎖内及び鎖間の両者に白金―DNA架橋を形成→DNAの複製及び転写阻害するものである。主な排泄は腎排泄で行われる。この薬剤は元は日本国内の開発品であったが、カンプト注(塩酸イリノテカン)発売と同時にヤクルト本社が米国で発売されていたものを逆輸入して製造承認を取得したものである。治療切除不能な進行・再発胃癌に2015320日に承認取得され、私の再発胃癌に使えるようになった。

()XELOX療法による治療

治療は1クール3週間で、クールの1日目に北大病院でエルプラットの点滴を受け、その後14日間、自宅でゼローダを服用する。いずれの薬剤も主治医の経験・判断、私の全身状態を考慮してそれぞれB法※の投与量の2割減の投与量で治療を開始した。外来治療センターでは、これまでの治療通りに副作用対策用の注射液を30分かけて点滴し、引き続きエルプラットを2時間かけて点滴する。

B法※:他の抗悪性腫瘍剤との併用において、通常成人にはオキサリプラチンとして130mg/㎡(体表面積)を11回静脈内に2時間で点滴投与し、少なくとも20日間休薬する。これを1サイクルとして投与を繰り返す。本剤を5%ブドウ糖注射液に注入し、250500mlとして静脈内に点滴する。

点滴時の副作用

喉が締め付けられるような感じや息苦しい等の症状が現れ、動悸、息苦しさ、吐き気、体の痒み、皮膚の赤味の症状が現れる事がある様である。

自宅での副作用と対応策

自宅でのゼローダ服用後の主な副作用として、手足症候群が特徴的に現れる様である。手や足がチクチク、ヒリヒリし、赤く腫れあがり、皮膚にひび割れや水泡、痛みを生じる事がある。また、皮膚に色素沈着、爪の色が変形したりする事もある様で予防として角化症治療剤のケラチナミンクリームを随時塗布するように指示された。他にエルプラットの特徴的な副作用として急性と持続性の感覚異常(末梢神経障害)がある。急性症状としては手足、口の回りのしびれやチクチクする傷み、舌の感覚がおかしい、顎や喉が締め付けられる、食べ物や飲み物が嚥下しにくい等の症状が点滴後2日以内に見られることが多く通常数日で回復する様である。具体的な患者対応としては、冷たい飲み物や氷の使用を避ける、エアコンなどの冷気に直接当たらないようにする、マスクなどを使い冷たい外気を避ける、冷たいものに触れるときは手袋をする様に指示された。持続性の症状としては、治療を繰り返し、投与したエルプラットの量が多くなると、手足のしびれや痛みによってボタンが外しにくい、文字が書きにくい、歩きにくい、食べ物や飲み物が嚥下しにくい等の症状が続くことがある。その他、下痢、便秘、腹痛、吐き気、嘔吐、食欲不振、口内炎等の消化器症状が現れる事もあるとの説明を受けた。

 

2.  ZELOX療法1クール・2クール点滴

1)1クール目点滴治療

 本来、大腸癌の標準化学療法として使用されたいたもので胃癌にも同じくらいの効果はあるとして、小松医師のIC.後、私を北大病院におけるXELOX療法第一号の症例としての治療を629日より受ける事で承諾書にサインした。血液検査結果を判断基準に私の全身状態を勘案したうえで、外来治療センターに、治療を開始しても問題ないと判断し、指示書を出してもらった。センターには順番待ちの患者が多く、30分後の治療開始となった。待たされたのは初めての経験で、急速に外来治療の癌患者が増えてきたことを実感した。特に、2030代の若い患者が目につき、治療が終わると颯爽と足早にお礼を言って帰って行った事が妙に印象的であった。私の治療は先ず副作用を防止する為のアレルギー予防・吐き気止めにデカドロン13.2㎎+ファモチジン20㎎+クロール・トリメトン10㎎+グラニセトロンバック3㎎を30分かけて点滴静注し、次に2時間かけてエルプラット160/bodyを点滴静注した。その間、事前に知らされていた副作用は一切発現しなかった。気のせいか身軽になった感じでセンターを後にした。同日自宅にて夕食後よりゼローダ4錠を内服した。翌日から朝夕食後各4錠(2,400mg8)服用開始し、78日夕食後まで服用した。予定では712日まで服用する事になっていたが北大腫瘍グループの澤田医師の判断で無理して服用する必要は無いと言う理由で服用中止となった。私は残り5日間何とか服用出来そうだと言ったが、9日間ゼローダを服用した事で十分とし、ここは一時休薬して13日に再検査し、場合によっては輸血し、更に16日にも輸血をして全身状態の回復を待って27日に2クール目を考える事になり、しぶしぶ納得した。3日前の5日に38℃の熱がでて家内が心配し、訪問医に連絡し治療を受けた。熱は下がったものの嚥下困難、吐き気は治まらず、気怠さも改善しなかったので、戸井医師に血液検査してもらったところ、翌朝、連絡があり、ヘモグロビン値が6.6g/ということで輸血が必要ではないかと考え、北大に連絡したところ準備して待機しておくということになり8日に出かけた。しかし、ヘモグロビン値は何故か7.8g/に回復しており、代診の澤田医師は、輸血は様子を見て次回と言う事になった。通院目的は76日のそよ風の血液検査でヘモグロビン値が6.6㎎であり、輸血をした方が良いと言う事での北大通院であったが、無駄な通院となってどっと疲れが出た。その後12日に発熱し、訪問医の指示により、自宅で座薬、抗生物質を家内が対応してくれ、平熱になったが、体調はすっきりせず予定通り13日、16日に北大で輸血してもらい順調に回復している。小松医師なら8日に輸血してくれたはずであったが、学会出張で代診であった事が私の予定を狂わしてしまった様である。同日、整形外科外来では、病状の再発をチェックするだけの通院であったので家庭医の戸井医師に折衝頂き、本日よりチェックは戸井医師に任せ、今後は問題があれば北大整形に戸井医師より連絡してもらうことで了解してもらった。帰宅後、2日、3日後に冷凍食品を手掴みした時、粘土を捏ねた後、手を水洗いすると指先にチクチクする激痛が走った。エルプラットの典型的な急性期の副作用の発現である。

22クール目点滴治療

 727日の血液検査にて2クールを取りやめる理由は無く、エルプラット点滴前に副作用予防の為に前回と一部変更して、アロキシ点滴バッグ、デカドロン注射液を30分間点滴し、引き続きエルプラット160/body2時間かけて点滴静注した。30日の輸血は私の気持ちで中止にしてもらった。いつでも輸血が必要と思ったら電話すれば対応すると言う事であったので、ゼローダ服用後、そよ風の戸井医師に血液検査してもらいお願いする事にした。小松医師もゼローダが飲みにくい様であれば無理して服用しない様に言っていたが、何故か私には釈然としない言い分であった。少々服用しづらくても患者が大丈夫と言っているのに小松医師らしくないと思ったからである。

 

2)今後の治療の考え方

 右腎臓を円滑に機能させるためにステント留置を小松医師に薦められた。ZELOX療法の効果があれば、いつでもステントは外せると言う事で、戸井医師に相談して実施することにした。74日恵み野病院の付属恵庭クリニックの泌尿器科で戸井医師のコーディネートで再び渡部医師の診断を受け、721日入院し、腹部のレントゲン撮像、心電図を測定し、22日に腰椎麻酔をかけ、尿道から膀胱に内視鏡を入れて、右の尿管に細いガイドワイヤーを入れていき、尿道を確保できるか否かを確認し、尿管ステントを右尿管に留置した。前回の腰椎麻酔の痛みが頭に残っており悲壮な覚悟で臨んだが、慣れとは有難いもので、あっという間に麻酔が効いて医師等、看護師らの話に聞き耳を立て、モニターを見ながら手術の経過を見極めた。腎臓寄りのS字カーブをワイヤーが通りにくいので柔らかいワイヤーに代えるとか、右腎盂が拡張しているとか、膀胱に炎症があるとか、いろいろ不安な会話も聞こえてきたが、何とか支障なくステント留置に成功した。終了後、尿道にカテーテルを留置して病室に戻り、朝まで熟睡できるはずであったが、尿が150mlくらい出たところで痛みを感じカテーテルを抜去してもらった。それから朝まで尿意を感じるたびにトイレに駆け込むことになった。3時頃になると血尿も治まりトイレに行く間隔も1時間おきになり、少し睡眠も取る事が出来た。23日の血液検査で腎機能も回復し、レントゲンでステントもキチンと留置されている事が確認され、さらに麻酔の影響も取れ、腸管も動き始めて、水分摂取、朝食も取れて、午前中に退院の運びとなった。23日は排尿痛もあり、正常になるまでは4から5日かかると思うが重大な局面をどうにかクリア出来たようである。728日時点では、尿量は少ないが、頻繁にトイレに行く事も無く徐々に回復している様である。27日のエルプラットの点滴も支障なく出来、ゼローダの服用も何とかこなせそうな状況である。

 

3.ロンの最近

 722日でロンは満3歳になった。私の退院祝いと合わせて細やかなお祝いをした。通常は自分のハウスで寝起きするが我々が就寝すると、進入禁止の6畳間(寝室)に深夜進入するようになって来た。私がベッドで寝入っていると家内の足元の布団の上で一緒に寝ているのである。私が起き上がると進入禁止の部屋である事を理解している様で、そそくさと自分のハウスに戻る。再び寝入ると畳をカツカツと歩くロンの足音がする。この事は今や私が起きるたびに朝まで続く習慣となっている。5時前に朝刊がポストに入ると家内を起こして分厚い新聞を口にくわえて私に届けてくれる。これで駄賃はビスケット1枚である。5時過ぎにソファで朝刊を読むと、今度は私の足元で1時間熟睡している。6時になると家内が目を覚ますので散歩に行くまで家内にまとわりついている。散歩は本来、私の役割であったが、本年になってからは殆ど家内任せになってしまった。散歩に限らずロンの面倒は全て家内の役割になっている。家内と30分くらい散歩して、帰宅すると、家内が「お風呂場!」と言うと素直に風呂場に駆け込み手足を洗ってもらっている。その後、太らせないために控えめの朝食である。朝食後、別腹の食事を要求するのでビスケットや肉のペレットを少々あげている。8時過ぎからは私もロンも毎日が睡眠不足で午前中は大体寝ている。睡眠不足の原因は毎晩輸液を補給しているので、ほぼ12時間おきに私がトイレに行くからである。ロンはその犠牲者であると言える。コーギーは1年中毛が抜ける様で毎日掃除機、毛取り専用のコロコロで掃除し、衣類や毛布、布団も毛だらけで掃除に罹りきっている。7月で満3歳になったが、唸り声は野獣らしくなってきたがまだまだ幼い仕草がかわいらしい。会話は家内には良く分かる様でびっくりするが、散歩させたり、ご飯を食べさせたり、遊んだり、叱ったり、お風呂でシャンプーしたりしているので、当然と言えば当然なのであろう。午後の散歩は、気温も高く、3時頃の散歩は地面の照り返しで足の短いロンには辛いらしくハーハー言っているので夕方気温が下がってからにしている。相変わらず車には吠えて家内は苦労している様であるが、なかなか躾が出来ない様で苦労している様である。風呂場で足を洗い、夕刊を私に渡し、ご褒美のビスケットを貰い少な目の夕食を終え、我々の夕食にも参加し僅かばかりの分け前をテーブルの下で正座して待っている。傍目には食べ過ぎではないかと思う事もあるが、目標の12kg以下を維持しているので、十分家内は管理しているなと感心する今日この頃である。他には電話がかかると知らせ、黒猫宅急便や郵便局員が来ると吠える。これがロンの平均的な1日の暮らしぶりである。

とても可愛らしい愛犬で私達夫婦には必要不可欠な存在となっている。

 

4.発癌から4年、5回目の夏

東関東大震災の3か月後、胆嚢・胃を全摘して以来、4年が経過した。再発がなければあと1年で5年生存、完治ということで、以後の再発は心配ない筈であったが、再発した事で末期癌となり治癒は考えられない状況になった。20136月までは手術は完全治癒切除出来、周辺及び遠隔転移も認められず、取り敢えずは癌患者からは解放された。この時はスキルス胃癌で余命いくばくもないと信じ込んでいたので、術後癌化学療法(S-1)を1年間続け、特に再発も認められず生活も普通に出来た。普通との違いは1ケ月おきにKKR札幌医療センター外来に経過観察に出向く事であった。20136月末に再発するまでは、見舞客と酒を酌み交わしたり、国内旅行をしたり、旭岳に行ったり、運転免許証の更新に行ったり、家庭菜園に注力したり、兄夫婦の見舞いに度々福岡に出向いていた。喜怒哀楽で言えば喜・楽だけの自由な2年間であった。癌は、結果論でいえば手術時に既に転移していた事になり、何とか2年間はS-1で癌と共生出来ていたという事であった。

全身療法である癌化学療法治療はKKR札幌中央病院では限界を感じ、よりアグレッシブに治療する為に2013年秋口より北海道大学病院消化器内科に転院した。SP療法のCDDP(シスプラチン)の減量+S-1(ティーエスワン)の併用療法で何とか腫瘍の増殖は抑制でき全身状態も良く、PET/CTでも腫瘍の変化は無かったが、度々腎機能低下が生じ、シスプラチンをスキップする回数が増え、サードラインとしてパクリタキセル療法を行った。201411月頃より、背・腹の痛みが発現し、家庭医の戸井医師が化膿性脊椎炎の疑いがあると言う事を北大小松医師に連絡し年末から20152月初旬まで除菌の為入院する事になった。その間抗癌剤の治療はストップとなった。パクリタキセルの効果も上手くいかなくなり、フォースラインとして塩酸イリノテカン療法を開始した。きちんとした効果を確認する前に水腎症の疑いを戸井医師が指摘し、撮像すると画像的にも左腎の炎症が確認され、ステント留置を試みたが尿管が狭まっておりガイドワイヤーが通らず不成功に終わった。腎機能の低下は著しく生活の質を落とし、苦しい思いをしたが、幸いな事に若干炎症も起こしていたが右腎の尿管留置が何とか成功して、現在は徐々に頻尿も改善し睡眠も取れるようになった。今回の経験で腎障害の予防には十分な水分補給と尿量の確保が如何に重要であるかと言う事が身に沁みて実感・理解出来た。腎臓が機能してオキサリプラチンの排泄を促して腎臓へのダメージが軽減した事でフィフスラインのXELOX療法2クール目を727日にスムーズに実施できたと言える。まだ効き目の程は不明であるが、私に使える抗癌剤が残り少なくなった現在、私にとっては今回の治療が正念場と言えるかもしれない。いつの間にか「癌との共生」から「癌との闘い」になって来た。20154月及び6月の上京、京都行(同窓会参加)は背水の陣での旅行であった。4年を振り返ると癌治療は継続しているものの明らかに徐々に消耗してきた事が実感できる今日この頃である。思えばこの4年間のうち後半の再発後の2年の春、夏はいつも入院しており、春・夏を満喫した事は無かった。

 

5.日常生活

 この1年、とても疲れた。抗癌剤の副作用による諸々に苦しめられた事である。既に私には標準治療は無く、主治医の経験や主治医と私の相談で進められている。XELOX療法は大腸癌の標準療法であるが、今年春エルプラットの胃癌への適応が承認された事で、エビデンスはないものの、私へのフィフスラインとして北大初の治療を開始した。

早朝5時に副作用防止の為にデカドロン錠12錠を2日連続で服用し、引き続き抗癌剤ゼローダ錠4錠を一気に服用出来ないので30分かけて服用する。9時にフェントステープ3㎎を家内が準備してくれ、左右の健康骨下に毎日交互に貼付する。癌性疼痛を和らげる麻薬である。1315時にフルカリック3号輸液1160キロカロリーを家内が鎖骨下のポートに繋ぎ8時間点滴し、23時頃に終了させ、コネクターを取り外す作業を毎日やってくれる。チューブ交換やポート針脱着は原則として訪問看護師が行うが、私が入浴したい時などは家内がポート針を抜き取る事もある。食事は腸管が細く、通りにくく無理すると吐いてしまうので消化の良い流動性の良い食事を作ってもらっている。1日1600キロカロリーを摂取目標にしているが、朝・昼・夕の食事ではせいぜい400キロカロリーが限度で、間食として家内の手作りの菓子、プリン等で補充している。就寝時に輸液をするとトイレに頻繁に行く事になり睡眠不足になり、一日中気分も悪いので、輸液は明るいうちに済ませている。オキサリプラチンによる手足症候群による副作用対応にはペギンクリームを1日数回家内が刷り込んでくれている。私の自由な時間は10時から1315時までで、その間、庭のベンチで寛いだり、菜園の整備をしたり、買い物に連れて行ってもらったりしている。15時には訪問看護師が来て、バイタルサインの測定や健康診断、薬等の残量調査を行って、16時半前に終了する。

家内は訪問前に掃除をし、茶菓等を用意するのが毎日の仕事になっている。私は1時間程パソコンに向かい、18時にゼローダ4錠を服用し、20時に感染防止の為にバクタ錠2錠を服用し、輸液を外した後、前立腺肥大用のハルナールを1錠服用して就寝している。これが一般的な私の日常であるが、必ずしもいつもこの様な状況にはなく、悪心・嘔吐が酷くなると何も服用出来なくなることもある。まさに輸液は私の命綱になっている。

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