No.25 老人の撹乱力と「老学援交」を考える

 ~ひとつの社会システム実験構想  2013年8月7日  猛暑/立秋

「援交」とか「援助交際」といえば、未成年の少女と助平おやじの関係をイメージする。その行為は、「一時の性的な交際」と「金銭の対価」の人間関係である。わたしは、そこに「いかがわしさ」よりも「人間が生きるせつなさ」を感じる。そして、「援助交際」の代わりに「老学援交」ということばを考えた。

長命社会を生きる老/終業期の老人世代が、未来をになう少/学業期の子ども、学生、若者世代を応援する人間関係が、「援助交際」ならぬ「老学援交」のイメージである。具体的には、老人有志が、「社会的な責任感」として、学生・若者の社会活動を応援するために「資金」を提供する仕組みである。その提供は、お小遣い、アルバイト料、出世払いなどが意味する返済不要の奨学資金である。

 

慈善事業としての単なる奨学資金ならば、すでにいくらでも制度や仕組みがある。それと何がちがうのか。

社会システムを「作り出す」実験として「老学援交」を構想する。その実験は、人生三毛作、私共公三階建国家ビジョン、民主主義の訓練、老学共働プロジェクト、地域が担う社会保障、自治会のコミュニティビジネスなどという思想性のひとつの実践である。その社会システムは、公;国家に一方的に依存せず、共;コミュニティの自治精神を訓練する仕組みである。「お小遣い、アルバイト料、出世払い」などの奨学資金を、この実験プロジェクトの原資とする。

 

この老学共働プロジェクトという実験構想は、「老学援交」に賛同する老人有志の「社会的な責任感」を前提にする。責任感、倫理感、使命感といえば、すこし大袈裟な感じがする。そうではなく、ここでいう「社会的な責任感」とは、「主権在民」という民主主義国家の「主権者」であることを自覚する反省である。

主権者は、国家に対して権利だけを主張すればいいのか。国民は、国家経営システムの単なるユーザなのか。民主主義とは、主権者たる国民が国家システムの設計者であり、「自分たちのことは自分たちで責任をもつ」ことではないのか。そういう意味での「社会的な責任感」である。

 

わたしの生活自己は、安心、安全に管理された「お任せ民主主義」の世の中を安穏としてくらしている。しかし、わたしの了解自己は、この管理社会という現実と日本国憲法の崇高な理想主義とのギャアプを納得できない。歴史的な現実と普遍的な原理の関係を、どのように了解すればいいのか。だから「主権者」であることの「社会的な責任感」を考えたくなる。だから、民主主義の日常的な訓練の場としての社会システムを考えるのである。そして終業期をすごす老人であるわたしは、「これからの日本社会を作ってくれる」若者たちに希望を託する。だから、「援助交際」ならぬ「老学援交」を妄想するのである。

 

1)老人力の撹乱力 

わたしは、悠々自適・無為徒食・365日連休の「働かない」年金暮らし老人である。社会的役割を持たない。子育ても終わり、社会的な責任から解放されている。社会的な諸関係性から距離をおいて生きている。そのことは、何を意味するか。

それは、今の社会の主流に抵抗して社会を変えるパワーになりうる、ということでもある。これからの元気老人の多くが、世の中を撹乱するアナーキスト的資格をもちうるのではないか。老人力つまり撹乱力である。

70歳を過ぎれば死が見えてくる。「死ぬこと」を見据えれば、悩みや心配ごとや世間体を突き抜け、死を受け入れる「開き直り」の境地になる。聖人はこれを「悟り・諦観」という。凡人であるわたしは、あきらめ・腹をくくる・まな板の鯉などと称する。「死への先駆的覚悟」。

希望的諦観。天命を知り、己の欲するところ則を越えず。則天去私・敬天愛人の心境をめざす気持ち。「我が胸の 燃ゆる想いにくらぶれば 煙は薄し 桜島山」でもよし、「かくすれば かくなると知りながら やむにやまれず 好きなことしよう」でもよし、「かくすれば どげんなるか知らんけど ともかくやろう」でもよし。

 

世間を気にする自己規制から自らを解放する脱俗の境地。内面からの欲求に従う自己責任。不慮の死も事故に逢っても癌が宿っても、自然に受け入れる。他者からの毀誉褒貶も自らの業である故に、へらへら淡々として引き受ける。何が起ころうと怖いものなしの境地をめざす。

福沢諭吉は「一身にして二生を経る」という。わたしは、少壮老の「人生三毛作」論者。老後は、何でもやりたいことをやる。その老後の桃源郷で撹乱力をふりまわす。身の丈に合わせてほどほどに、がむしゃらにはやらず、淡々と。その気分をどこに向けるか。

 

2)わたしは未熟老人

 戦前までの老人は、平均寿命が60歳よりも若かった。歴史を動かした人物たちも驚くほど早く30歳代、40歳代前後で死んでいる。西郷隆盛は、50歳だけれど。

生き残った少数のむかしの長寿者は、年寄りの長老として枯淡に老成し、町内のもめごとなどを長年の知恵で調整してその役をになえた。苦労を重ねてきた人生経験と知恵は、若者衆も耳を傾けるに値した。

ところが、今や寿命は70から80歳に延びている。100歳以上の老人が、5万人をこえた。すさまじいほどの高齢化社会である。老人の生き方と死に方が大いにかつ急激に変化している。今の老人は、昔の長老然とした老後とはちがう。

その大きな違いは、生き方の苦労と悩みの範囲と思考のレベルが違うような気がする。我が身を反省すれば、「悩みそこねた未熟老人」のひとりじゃないかと思う。どういう意味で未熟なのか。

 

3)サラリーマン生活の経験や知恵は、職場限定適用、使用期限と賞味期限が短い

戦前までの地域共同体においては、「ゆい・こう・ざ;結・講・座」という近隣関係が、生きるための必須の社会的仕組みだった。そこで人生経験や人間付き合いの知恵が鍛錬された。

結とは、共同作業、労力の提供、入会地の共働作業

講とは、短期の必要資金の貸し借り、頼母子講、寄り合い

座とは、ご近所おすそ分け、物々交換

これらの地域における生活共同体の実質が、戦後の日本社会から消えた。職住が分離した都市型生活スタイルになったからである。

高度経済成長をめざした戦後社会では、生活共同体が地域から会社・職場に変わった。自給自足度の高い田舎くらしから都市でのサラリーマン生活になった。川で洗濯をしていた戦後の田舎にも、水道がひかれた。手洗いから洗濯機に代わり、テレビ、冷暖房機器、自家用車・・・欲しいモノは何でも月賦で買えた。快適なウォシュレット!!。電気がなければ排泄の始末までままならぬ。そしてローンを払うために稼ぎにでる。貧しかった自分よりも、子どもらはもっとよりよい暮らしができるように上の学校に行かせた。子どもの塾や学校の学費をはらうために、親たちはさらに働いた。ほとんどの大人たちにとって、カネを稼ぐためのサラリーマン職場が生活の中心をしめた。

 

カネがなければ生きていけない。カネをかせぐ手段としての会社で、自分にアサインされた役割を果たすために努力した。限定された責任範囲。人間のもつ多面的、多角的な能力のごく一部だけを換金のために差し出す。スピード(トキ)とカネと競争にせきたてられる。

生活全体の多面的な人間関係ではなく、組織目的を達成するための役割分担と分業化による効率的で一面的な人間関係。牧歌的な共生譲り合いの人間関係ではなく、個人の分断化、孤立化、差別化の中を生きざるをえない。

そういう戦後を生き抜き、高度経済成長の果実を享受してきた今の老人・高齢者たち!!

 

そこで蓄積してきた豊富な経験や知恵や人脈などは、むかしの村落共同体や庶民の長屋暮らしで鍛えられた長老たちとはちがう。苦労と悩みの範囲と思考の深さが違う。会社という職場においてこそ適用され、現役で権限をもつ限りにおいて使用期限・賞味期限が認められるに過ぎないからである。管理し管理される思考方式が体内に深く沈殿している。日本社会全体の閉塞感をかもし出す。

未熟老人だらけの長命社会である。成人教育ならぬ「成老義務教育」が必要なのではないか。

 

4)これからの老人にとって最大の武器は時間と責任の無規定性である

今の社会の価値観は、自由競争とグローバリゼーションとスピードである。若さや有用性や生産性だの効率だの俊敏な適応力などが重宝される。そこで追求される幸福の根本条件は、カネである。カネがなければ衣食住をはじめとして、生きていけない。

そして、自由競争ゆえの管理統制の強化。制度、規則、ルールに縛られ、えたいのしれない閉塞感。システム管理社会。率先して自己規制につとめる社畜然のブロイラー化症候群。

これら高度文明資本主義社会の桎梏から脱出できる可能性を、現役世代に期待するのは酷な要求であると思う。壮年の職業期は、社会システムの「運用」に順応してカネを稼ぐしかないからである。

 

社会システムに変革をもたらす構想/設計/構築/テストを担える主役は、世の中から一定の距離をもって生きられる者たちである。怖いものしらずの無規定責任を引受ける覚悟をもち、死ぬまで無期限のトキ・時間をもつ老人。悠々自適に暮せる自由な老人一派。脱世俗的に生きられる年金世代こそが、平成維新の社会撹乱を準備する潜在勢力ではなかろうか。  

 世からはずれた老人たちが、これから世にでてくる学生・若者たちを、鼓舞し激励し懇願する関係性の実践、その取り組みが、「援助交際」ならぬ「老学援交」梁山泊の妄想にほかならない。

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