2013年5月25日 No.1 極端な少子高齢化社会の問題

No.1 ●極端な少子高齢化社会の倫理性  

          

1.問題状況  

これからの日本は、人類史上で例を見ないほどの超高齢化社会となる。有権者にしめる65歳以上の割合は、2012年では約30%。2050年代には45%に達すると予測される。

高齢者社会になって社会保障費(約150兆円、医療、介護、年金、生活保護)が拡大の一途である。未来世代へのツケである行政機関の借金が、1000兆円にのぼる。

そして社会保障の制度設計や予算配分において、老人世代を優遇する「世代間格差」が、大きな社会問題となっている。

たとえば社会保障の厚生年金の場合、一生における受益・負担の差額は、1940年生まれの老人世代が、2010年生まれの仕事世代よりも、約6000万円も多いという試算がある。

 

不自然に長命を生きることは倫理的なのか?

高齢者の医療費の自己負担を1割から2割にもどすのは、反倫理的なのか?

人間の尊厳、人権と自由、個人尊重、平等、社会的権利などの近代思想は、

犯すべからざる不易にして不可侵の思想真理なのか?

 

2.超高齢化社会の今を生きる私の立場

①私は、2013年9月で満70歳になる。仕事をせず、年金くらしで元気に生きている。
  しかし、脳梗塞や痴呆症などで人格障害者になることへの不安と怖れをもつ。

②私の身辺には、死期に面した重篤患者や要介護者の家族や扶養者や親族はいない。

  しかし、実の姉と妻の姉は、独居老人であり、介護が必要な状態になる可能性はある。

③私は、医者ではない。
  医療保険制度における医療ビジネスの公益性(仁術)と収益性(算術)および医療技術  (身体構造)と医療倫理(精神生活)についてのギャップというかバランスに問題があると思っている。

④私は、国民の義務として健康保険料と介護保険料を払っている。

  しかし、医者に通うのは歯の治療ぐらいであり、あきらかに私は保険料の過剰支払いの状態にある。70歳すぎたら、医者に処置してもらうのは、治療ではなく「痛み止め」だけにしてもらいたい。

 

3.安心立命、則天去私、敬天愛人への老人の修業

「自然の老化を受け入れて平穏で安楽に逝きたい」と私は願望する。

この願望は、元気に暮せて、身心頭が正常な状態での願望である。自分が要介護や終末医療などのせっぱつまった生活状態になっても、この願望を維持できるか。いざ脳梗塞や痴呆症などで身心頭に異常をきたしたときに、どうなるか。「自然に逝きたい」という正常時の願望を持続できるか、それとも豹変するか。

もちろん、正常時の願望を持続するつもりである。そのためには、単なる願望ではなく、しっかりした考え方・確たる思想性(死生観)を鍛えなければならない。その思想の模範とする標語が、安心立命、則天去私、敬天愛人である。

終末期においてもゆるぎなく、じたばたせず、安心立命、則天去私、敬天愛人を我が不動の信念とするためには、「悟り」にむかう事上磨練、省察克己を標語とする日常の実践が不可避となる。

少壮老の人生三毛作、少(学業期)と壮(職業期)をおえて、老(修業期)を生きて逝くための思想深化と修業を自らに課さねばならない。老後を安穏として過ごしながら、「自然に逝ける」はずがないと思うからである。元気に生きながら「死に向かう準備」を自分に課す。

 

4.介護と延命措置に関係する人たち

元気なうちに「延命措置を拒否する」思想性を明確にしたいと思う。そこで、終末期の延命措置に関係する人たちについて、「安楽死」をキーワードにして、以下の枠組みで考えることにする。

 

要支援者 : 

身体機能が正常でなく、自立して自分の生命を維持できなくなった人

A1: どうしても生き続けたい人、生命維持のための延命措置をして生かせてくれと頼む人

A2: 安楽死をのぞむ人、死なせてくれと頼む人、延命措置を拒否する人

 

②支援者  :

医療機関、医者 介護施設、社会福祉士など 家族、親族、扶養者など①要支援者の関係者たち、介護する人、看取る人 地域共同体 互助・共助

B1: ①要支援者の意志に関係なく、どうしても生き続けてほしいと延命措置を頼む人

B2: 安楽死をのぞむ ①要支援者の意志を尊重して、延命措置をしないよう頼む人

 

③医者  : 

職業として医療報酬を得て医療に従事する人 
C1: ①要支援者の意志に関係なく、医学的に生命を維持する延命措置をほどこす人

C2: 安楽死をのぞむ ①要支援者(患者)の意志を尊重して、延命措置をしない人

 

④国民 :

税金、保険料を払う人、その法律をつくる議員、憲法により権利が保証されている人

社会保障制度、保険制度、医療制度 国家、憲法、生存権、刑法(自殺幇助罪)

D1: 国は、すべての国民の生存権(生きる権利)を保証する義務があると主張する人

D2: 国は、安楽死の権利もふくむ個人の意志自由を最大限に認めるべきと主張する人

 

介護と延命医療に関与する人たちには、それぞれの社会的立場や思想や倫理観など「人それぞれ」に多様な差異がある。

私の立場と考え方は、その一部にすぎない。少数意見かもしれない。それでも私は異なる意見をもった多くの人たちと共存しながら「棲み分けて」生きるしかない。

だから異なる意見をもつ人たちの考えも知り、尊重しながら、自分の考え方を整理しなければならない。

以上

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