2013年5月26日 No.5 「三つの自分」定義と少壮老の人生三毛作

No5. ●「三つの自分」定義と少壮老の人生三毛作

 「身体」、「生活」、「了解」という「三つの自分」定義は、胎児や幼児や精神障害者や痴呆老人なども含むすべての「人間、ホモサピエンス」集合に適用できるわけではない。

「了解自己」は、「身体自己」と「生活自己」を心眼で反省する能力をもたなければならない。その能力は、「身体自己」と「生活自己」の成長・安定・退化と連動して涵養し修練される精神性である。

 

そもそも幼児や精神障害者や痴呆老人も「人間」ではあるが、倫理性をテーマにする「了解自己」は、存在しない。

健常者であっても、年齢をかさねれば、自ずと「了解自己」になり得るわけではない。

生きる実践過程における正心・誠意・修身などの訓練をへて、内在化し得た人格の得度・特殊能力として、「了解自己」が形成されると考えねばならない。

 

生きる実践過程は、それぞれの人の人生の軌跡をしるす。その軌跡は、人それぞれの個人差、個性、差異の多様性をあらわす。人それぞれの人生の個人差には、①個体性と②社会性がある。

①    個体性: 個体のDNA遺伝情報が、「身体自己」を規定する生得的な性格性、潜在性。

②    社会性: 外部環境と「生活自己」との社会的諸関係性、可能性の複合態、実現性。

したがって、「了解自己」の形成にむかう修練は、①個体性の訓練と②社会性の訓練の複合となる。

 

すべての人は、人生の時間軸において、誕生・少・壮・老・臨終という位相をたどる。

「三つの自分」は、人生時期ライフサイクルの状況におうじて、潜在する①個体性を②社会性として自らを現実化、自己形成していく。「在る」と「成る」の流転である。人生三毛作である。

 

○誕生・少・壮・老・臨終の社会性

誕生から少年期は、両親の社会性、地位、経済力、場所などに全面的に規定される。親には、子どもを育てる扶養義務がある。幼児をふくむ少年期の生活は、家庭と保育園、幼稚園、小中高大という学校での社会関係・家族関係・師弟関係・友人関係が主である。

その社会関係の主目的は、成人にむかう訓練である。その訓練とは、社会に出て大人として、自立して生きていける能力を獲得する義務教育である。そこで倫理道徳も学ぶ。「了解自己」の形成にむかう修練である。

少年期とは、大人に成ることを目標とする学業期である。

壮年期は、両親の保護から脱して自らの社会性を樹立する生活である。学業期を卒業したら、自らの衣食住を自ら調達する勤労、仕事、就職の義務がある。家事労働も勤労である。勤労の義務だけでなく、国民として納税する義務もある。結婚して親になれば、子どもを学校で教育を受けさせる義務もある。

壮年期における社会関係の軸は、仕事つまり職業である。

その仕事場は、私的な企業組織である資本主義ビジネスと公的な役所機関である公共税金ビジネスに大別できる。その職業、生産、経済関係を通してマネーを得る。そのマネーを消費して生活する。その経済関係を通して自らの社会性、政治・文化・地域を生きる。壮年期の世代が、社会と国家の主役である。

壮年期における「了解自己」の形成にむかう修練は、少年期とちがって、自らの選択による価値観の形成である。壮年期とは、大人として生きること、幸福価値を追求すること自体を目標とする職業期である。

老年期は、職業期を卒業、退職してから臨終までの期間である。臨終にたち合う医者は、「人は生きてきたように死ぬ」という。人の死にぎわに、その人が生きてきた人間関係、社会性があらわれるそうだ。

では、学業期、職業期を卒業したあとの老年期は、なに業期とよぶべきか?

 

人類の歴史は、平均寿命が延びる歴史でもある。少年期が20年前後、壮年期が40年前後、老年期は10年前後というのが、1970年代ごろまでの日本社会であった。

ところが、いまや老年期が30年近くになった。仕事を通して築いた社会関係性から離れて、この30年という長き生活の中心軸をどこにおくか。

職業期で形成された「了解自己」のままでいいのか。

老成なき壮年期の延長でいいのか。

老後の社会性、人間関係をどう了解するか。

老後を生きるあらたな「了解自己」の形成に向かうべきではないのか。

 

学業期が、大人になるための成人義務教育だとすれば、老後の30年を老人として生きる長老にむかうための成老義務教育が必要なのではないか。

老年期は、なに業期か?

わたしは、老年期を終業期としたい。人生をきちんと終えるための業という意味での終業である。それは、老年期にふさわしい「了解自己」の修業である。

 

「少にして学べば、すなわち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。老いて学べば、すなわち死して朽ちず。」(佐藤一斎)

 

「死して朽ちず」とは、どういう意味であろうか?

以上

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