No.15「敬天愛人」の倫理性、「修己治人」の合理性そして現代の合法性  2013年6月22日

衣食住をみたすために必死になって生きざるをえない境遇では、「倫理」的な「了解自己」の出番はない。「生理」的な「身体自己」が無我夢中で生きる。日々の日常では「生活自己」が中心となる。そこで「何かが気になる、おかしいなあ、落ち着かない」気分になる時がある。そこに「了解自己」が顔をだす。

 

「何か変だなあ」という気持ちは、非合理性、不合理性、不条理、不道徳、不健全、反倫理性、不自然さなどの意識である。その意識は、・自分の行動、・他者のふるまい、・国家の仕組み、世の中のニュースに向けられる。

「変だなあ」という自分の意識をどこまでも掘り下げれば、「」つまり「自然」を基準とする「偏差・変」なのだと、わたしは了解する。倫理・道徳の最終審級として「天」を想うのである。

 

「天」とは、キリスト教では天国。仏教では、衆生が生死流転する最上部に位置するもっとも苦悩の少ない世界。神道では、畏怖と畏敬の対象である八百万の神々たち。儒教では、天命を発する超越者。

 

わたしにとって「天」とは、万物が流転する存在そのものに内在するプログラム、メカニズム、ロジック、無限の潜在性、超越性、合理性と倫理性の完全な一体性、つまり「自然」というしかない。その自然の一部が、地上であり、人間界であり、この世であり、天下である。現世の人間界は、自然の一部だから不完全である。

不完全な知恵しかもたない人間の所作である人工物は、不完全な人間が判断する限定合理性および限定倫理性にならざるをえない。道具、機械、設備などの人工物も制度、規則、契約などの人工物も、視野に制約された合理性と倫理性にすぎない。必ず境界を接して想定外の外部をもつ。

完全な「天」からそれらの無数の人工物たちをみれば、そこにあまたの矛盾や亀裂を観察できる。こういう事態が、「変だなあ」という自分の倫理意識だと、わたしは考える。

そして、「天」を基準とするわたしの日本人的な倫理意識は、終業期を生きる老人の修練目標として、私;則天去私、共;敬天愛人、公;修己治人を参考にしたいのである。 

 

○公 江戸時代の修己治人

 江戸時代は、士農工商の身分制社会であった。「公」は、武士が支配する統治権力を意味した。その権力の正統性をささえる思想が、易姓革命をとなえる儒教、朱子学であった。つまり、「公」をになう天子は、天命を授かり天下を治める。天命にそむく不徳の天子は退けられ、天命は別の有徳者に移る。

 だから、上に立つ支配者、リーダーは有徳者であらねばならない。そのためには、正心/誠意/修身の学問にはげみ、己を修養しなければならない。そうして、家の経済を安定させ、人民を統治すれば、天下は安泰となる。修己治人つまり修身―斉家―治国―平天下の思想性である。 

 

この思想性の根幹は、「格物/致知」に達する「居敬窮理」の修己、知行合一である。「理」を「窮める」という朱子学の「理」に、現代に生きるわたしは合理性と倫理性の「理」をかさねる。

この思想性の実践は、士農工商それぞれの身分に応じて仁信義礼智信や忠孝などの徳目を要求した。身分社会を生きる庶民の倫理道徳を、二宮尊徳や石田梅岩や中江藤樹らの民間学者が示した。江戸を訪れた西洋人たちが、普通の日本人たちの「やさしさ、つつましさ、清潔さ、勤勉さ」などの倫理性に「びっくりした」という紀行文がいくつも残されている。

 

それに反撥したのが安藤昌益である。人の道・道徳をことさらに説教する聖人や坊主たちを、「不耕貪食の輩」だと全否定したのである。

「不耕貪食の輩」とは、自分では田を耕さずに、他人が生産した作物を収奪する貪欲な連中のことである。「直耕」から離れた不自然な社会の寄生虫である。「直耕」とは、自分が生きるために必須な衣食住のかてを、自然に感謝しながら活用し、自分および家族や共同体で共働して手にいれることをいう。

こういう「直耕」を原理とする社会の人間像は、縄文時代から伏流する日本人の土着思想に根をもちながら、西洋の人権思想を先取りするものとみなされる。

 

○共 西郷隆盛の敬天愛人 

明治維新は、江戸幕府の封建社会を転覆する近代国家への革命であった。明治10年、日本最後内戦が西南戦争で終わった。1877年9月24日午前4時、鹿児島市街に陣取る官軍の総攻撃が城山に向かって始まった。西郷隆盛は、「晋どん、晋どん、もう、ここでよか」と言い、別府晋介に介錯をたのんだ。享年51歳。

わたしたちは、その西郷の教えを漢詩や『南洲翁遺訓』に見ることができる。「遺訓」第二十四に「敬天愛人」がある。

「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」

 

わたしは、ここに、自然/天道をチャネルとして人と人が関係しあう「人道」思想をみる。天賦の人権を互いに尊重しあう「人道」思想の根拠を、自然/天道に求めるものとして了解する。

 

自然/天道のもとで、日本人は、家族、共同体の「共」的な人間関係をむすび、それをベースに「公」の近代の国民国家が期したのが明治時代であった。「修身―斉家―治国―平天下」という儒教における超越的な「天」を、実体として、現人神として、権威と権力の統合者として、具体的な「天皇」に体現化させたことが、明治帝国憲法であった。

幕藩体制という地方分権の雄であった薩摩藩が、中央集権化を強化する明治政府と衝突したことは必然であった。

 

大久保が勝って、西郷が負けた。日本は、大日本帝国として西洋列強と対峙する富国強兵国家になっていった。和魂洋才の「魂」は、「天」から離脱して、大和民族主義に吸収され、「人権」思想を含意する「敬天愛人」の倫理性は、国家権力の弾圧で霧散霧消したのである。

「仁」にもとづく儒教の権力統治の合理性だけが、官僚機構と軍隊に引き継がれた。自然/天道をチャネルとして人と人が関係しあう「敬天愛人」の倫理性は、きわめて偏屈な「国体思想」に矮小化さていったと、わたしは思う。

 

○私 夏目漱石の則天去私

夏目漱石1916年大正5年)12月9日)、「明暗」執筆途中に死去(49歳10か月)。則天去私;我執を捨て平穏な心境に達する諦観を晩年の理想とする。漱石は、和魂洋才をかかえイギリスに留学し、西欧の個人主義、主体性、近代思想に直面した。日本人の「魂」と西洋人の「私」の対比に苦悶した。そして、則天去私の心境をめざすことに平安を求めた。

 

西郷も漱石も50歳前後にして「天」に目をむけ、思い、語り、実践して逝った。わたしは、すでに70歳。なんと未熟な老人であることか!!と嘆息する。

わたしは、戦後教育で合理性を教え込まれた。だが、大人に成る、親に成る、老人に成る、という人間関係における「倫理性」を厳しく訓導、教育された記憶がない。Will欲望Can能力Must規範に関する「規範、道徳」思想教育を受けた経験がないといってもいい。

敬天愛人の「敬天」とは、則天去私の「則天」と同義語だと理解する。「愛人」とは、「去私」どうしの人間が、「天」を媒介にして、共的人間関係と公的人間関係をとりむすぶ倫理性だと理解する。

 

現代社会は、法治国家である。合理性は、経済功利性に回収される。倫理性は、法律への合法性に回収される。「公共」は、一体となって官僚・行政・役人が独占する。「天」をも畏れぬ生殖技術と原子力技術を称賛する。「私共公天」の構図に重ねれば、「私と公」の突出、「共と天」の「喪失である。「合理性の過剰、倫理性の劣化」である。

 

人生三毛作の価値観は、敬天愛人、則天去私の現代的実践として、老子の小国寡民、地域コミュニティの形成、自治会の制度的復権、地産地消ビジネス、少と老の地域スクール、擬制的三世代家族制度、「鎮守の森」などの再興をめざす。

わたしは、このような姿勢で「憲法改正」の議論に参加したいと思うのである。

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