● No.13超高齢化社会をもたらした近代思想の合理性と倫理性のギャップ    2013年6月22日

1)統計データ

この40年間で平均寿命が10歳以上延びた。男80歳、女性85歳になった。60歳以上の老人は4000万人に近い。日本の総人口の約3割から4割になる。超高齢者の患者や認知症や要介護者が増える。要支援・介護認定者は、約540万人。65歳以上の約7人に一人が認知症、その数は462万人。

 

1961年に国民皆保険制度が導入された。その時点の国民医療費は、0.5兆円。1970年で2.5兆円。1980年で11.9兆円。1990年で20.5兆円。2000年で30.1兆円のうち高齢者医療費が14.6兆円の48%。

そして、2010年度では、37.4兆円のうち高齢者医療費が20.7兆円の約55%。医療の高度化と高齢化がすすみ、40年間で約73倍にふくらむ。

当時の大学卒初任給などとの比較で物価上昇率を考慮しても、30倍ぐらいにはなるだろう。今後も、毎年1兆円をこえる規模で増加が予測される。

医療製薬技術の進歩は、これまでの難病への処方を可能とした。ある難病のための錠剤を1日4錠服用すれば、1ヶ月で33万円になるケースがある。

2012年、介護保険の費用は、8.4兆円。団塊の世代が75歳以上になるのが2025年。介護保険の費用は、いまの2.36倍の19.8兆円になる見込みらしい。

 

だれが、これらの費用を負担するのか。

その答えが、国家が国民に課せる保険制度と納税制度である。仕事をしている壮年世代が、退職して長生きする老年世代を支える仕組みである。福祉国家思想である。

しかし、その仕組みが破綻しつつある。だから、「税と社会保障の一体改革」が叫ばれる。

人類歴史上の新たな事態に直面している。その社会を運営する知恵を、わたしたちは持っているだろうか。政治家たちは、選挙を気にして、常に根本的な問題を先送りする。

人生二毛作の思想性の延長で、「税と社会保障の一体改革」の道筋が見えるだろうか。

長命社会をもたらした根本原因を温存したままで、「税と社会保障の一体改革」の制度設計が可能であろうか。

 

2.長命社会をもたらした根本原因  

わたしは、長命社会をもたらした根本原因を、近代思想の特長である「個人の自由」を基底とする「人権尊重」と「合理性」に求める。

 

西洋に発した近代思想は、すべての人間を、性別や身分や世襲や宗教的束縛から解放した。個人は、人間として生きることの「自由、人権」を天賦の根源的な自然権をもつとみなした。すべての個人は、自由であるという意味で平等な権利をもつに至ったのが近代社会である。

日本の歴史では、江戸時代が近代以前の近世である。1867年の明治維新により近代国家になった。そして1945年の敗戦により現代民主主義国家になった。現代の日本社会も近代思想を基盤としている。

 

18世紀に発した西欧近代思想の根源は、人間の尊厳、自由、人権尊重、理性重視である。自由な理性は、科学的思考という「合理性」に直結した。そこから、医療技術や製薬技術や保険衛生技術や栄養技術などを発達させた。そのおかげで、人間の寿命がのびた。

人権尊重は、生命の尊厳という「倫理性」に直結した。そこから、国家による国民の「生命維持」、「生存権」などという救済思想がうまれ、近代国家は福祉国家となった。そのおかげで、人間の寿命がのびた。

近代思想の合理性と倫理性は、双子の兄弟、銅貨の裏表である。

 

3.合理性と倫理性のギャップ   

では、その近代思想の倫理性がもたらした「長命社会の倫理性」は、いかなるものか。逆にいえば、「長命であること」と「倫理的な生き方」との関係をどう考えるか、とわたしは問う。

この問いは、「人間の尊厳」をかかげた近代思想が長命社会もたらしたけれども、認知症でも生かされる続ける長命社会は、「人間の尊厳」をあやうくしているのではないか、という心境と一体である。

「倫理性にもとづく長命が、非倫理性を帯びている」のではないか、というパラドックスである。「人間の尊厳」尊重も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということかもしれない。端的にいえば、「技術思考の合理性が倫理性を侵食簒奪している」といえるのではないか。

これは、近代思想が到達した倫理的な問題意識である。合理性の過剰と倫理性の劣化という直観である。

わたしは、近代以前の倫理性の視点から近代思想の合理性へ異議を申し立てる。「物質的な豊かさと精神的な貧しさ」という対比につながる価値観、思想問題でもある。

あるいは、普遍的な理念としての人権思想と日本人の血にながれる伝統的で生得的な死生観とのギャップ認識でもある。

 

現代の倫理観を整える理性であるはずの人文科学が、科学技術と経済性に価値をおく合理性、功利性の思想に、まったく立ち遅れているのではないか、怠慢であるといってもよいのではないか。

「社会保障制度と税の一体改革」をかかげた民主党政権が自壊した理由を、人文科学における実践的な思想性の欠如と倫理哲学の貧困に、わたしはもとめたい。

では、自民党政権ではどうなるのか。実践的な思想性と倫理性哲学は、前進するか、退歩するか、停滞したままなのか。自民党は、「強靭な国土基盤」をとなえて財政出動を政策とする。

だが、近代文明思想の先にえがく「合理性の抑制、倫理性の復権」を主張する強靭な思想確立の営為こそが必須なのではないか。

その主役を、人生三毛作の老後を生きる「余裕のある」老人が担えるのではないか。長命社会の倫理性のテーマは、まさに「老人の社会的責任」を問うことにほかならないのだから。

以上