o.18 現行憲法が「おしつけられた」と主張する根拠について

 ~和魂、無魂、洋魂の変転

1945年8月、ソ連が参戦、アメリカが原爆投下。日本は、玉砕覚悟の国家総動員もかなわず、連合国軍が提示したポツダム宣言を受諾せざるをえなかった。戦争に負けて全面降伏。

1951年、サンフランシス講和条約に調印。極東国際軍事裁判は、アジア太平洋戦争を日本の侵略と断定した。日本はその判決を受け入れざるをえなかった。

1974年、国連総会は「侵略の定義に関する決議」を採択した。

 

2012年、安倍首相は、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語る。だから「侵略などしていない」といいたいのであろう。

安倍首相の祖父である元首相の岸信介は、戦前の大日本帝国憲法下の官僚であり、政治家であった。開戦時の東条英機内閣で商工大臣をつとめた。帝国憲法の具現者であり継承者である。安倍首相は、祖父の志をうけつぎ、現憲法を「押しつけられた」、「占領憲法だ」だとして「自主憲法の制定」に向かう。

 

自民党憲法改正推進本部事務局の首相補佐官は、つぎのように述べる。

現行憲法は日本の主権が制約されている時に作られた。日本人として自ら憲法を作るのが自民党結党以来の党是。すでに60年以上経ち、時代にそぐわない点も多々ある。」

 安倍首相は、2013年7月21日の参議院の選挙に向けて、つぎのように演説する。

「三分の一を超える議院が反対すれば、国民は指一本触れられない。たった三分の一を超える反対で改憲を発議できないのはおかしい。そういう横柄な議員には選挙で退場してもらいたい。憲法を国民の手に取り戻そう。憲法を改正しやすいように、まず96条の憲法改正条文を改正しよう。」

 

○どのような経緯で「おしつけられた」のか?  

 自民党の改憲論者とその支持者たちが、現憲法を「押しつけられた占領憲法」だとする根拠というか背景を、わたしは簡単に以下のように理解する。

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1945年7月16日、米国は世界で初めて原爆実験を実施して成功。1945年8月6日、広島に原爆投下、8月9日、長崎に原爆投下。1945年8月9日、ソ連軍が対日参戦を開始。日本軍は、海外戦地でどこも壊滅的な飢餓状態。為すすべなし。8月15日、降伏、ポツダム宣言受諾。

1945年 10月

 GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサーが、幣原喜重郎新首相に対し新憲法の制定を口頭で指示。

1946年 2月 

 GHQは、政府が提出した「天皇の統治権を温存」する「憲法改正要綱」を拒否。

 GHQは、象徴天皇制・戦争放棄などを盛り込んだ「マッカーサー草案」を政府に提示。

 3月 マッカーサーは、日本政府が発表した「憲法改正草案要綱」の支持を声明。

 6月 政府は、大日本帝国憲法第73条にもとづき憲法改正案を衆議院に提出。

 11月 日本国憲法公布

1945年 5月 日本国憲法施行

 

ポツダム宣言の日本の占領政策を執行するための最高決定機関は、極東委員会である。英・米・ソ、中華民国オランダオーストラリアニュージーランドカナダフランスフィリピンインドの11カ国代表で構成された。極東委員会の下に連合国軍最高司令部がおかれた。

アメリカ軍による日本国直接統治のもくろみもあった。ソ連もソ連軍による日本占領を主張した。日本の占領政策の実施にあたって、連合国間の政治的な駆け引きがすでにはじまっていた。

ソ連政府もアメリカ国内の世論も「天皇制を廃止すべし」の議論が高まっていた。極東委員会では、憲法問題に関してマッカーサーを支持していなかった。

マッカーサーは、日本人の精神状況から判断して、占領政策の実施には天皇の存在が不可欠だと考えた。だから、極東委員会に主導権を奪われる前に、象徴天皇制を織り込んだ自らの「草案」を日本政府におしつけたのである。

日本国政府は、象徴天皇制の温存を了として、自らの残りの主張を封印せざるをえなかった。「おしつけられた」憲法を受け入れざるをえなかった。だって、無条件降伏したのだから。

このような敗戦状況で、ほとんどの日本人は、「戦争が終わってよかった!」と歓喜した。もう「戦争は絶対にしたくない、軍備撤廃、戦争放棄、平和主義」の新憲法を国民は受け入れた。「主権在民、基本的人権」もありがたく「おしつけ」をいただいた。

無条件降伏したのだから抵抗のしようがない。グーの音もだせなかった。パルチザンもゲリラも出現しなかった。欽定憲法から民定憲法に国体が転覆した。「革命」が起こったのである。

だが、天皇の護持には成功した。官僚機構も残った。「半革命」というべきか。

 

戦後世界は、ソ連/社会主義とアメリカ/資本主義という東西陣営の冷戦として出発した。ナチスのドイツは、国家が東西に分割された。朝鮮半島は、南北に分断された。中華民国は、共産党の大陸国家と国民党の台湾諸島に分裂した。日本も分断国家になる可能性はあっただろう。

しかし、アメリカ進駐軍の単独占領が、その可能性を抑止したのかもしれない。その分断の破片が、ロシアとの北方四島、韓国との竹島、中国との尖閣諸島の主権と実効支配の問題として今に残されている。

 

米国による広島と長崎への原爆投下は、国家による非戦闘員の生命と財産の無差別・大量破壊である。非人道的行為の極致である。ナチスによるユダヤ人のホロコーストに比せる意見もある。この原爆投下の「倫理性」は、もっともっとテーマ化されてしかるべきではないのか。

だが、戦後のおおくの日本人が、「アメリカが原爆を投下してくれたおかげで戦争が終わった」という心情を隠しているような気がする。それでいいのだろうか。無責任ではないのか。

 

戦前の軍国主義一色の日本では、自由、人権、デモクラシーが徹底的に蹂躙された。日本国民は、「忠君愛国」に骨の髄まで洗脳された。外地の進撃と占領という戦果の大本営報道を見聞した町内会は、日の丸提灯行列で祝った。非国民は、抹殺された。

そして、広島と長崎へのアメリカの原爆投下が、その「悪夢」をやぶってくれた。「自分たちは、国家に、軍人に、指導者にだまされていた」と気がつくのであった。ジープで走り回るアメリカ進駐軍に抵抗するどころか、ギブミー・ガム、ギブミー・チョコレートといって手をふり歓迎した。

こうして戦後日本人は、「忠君愛国」から「反軍親米」に簡単に転向した。戦後日本人の精神性の主流は、パンパンガールの延長線に位置するのではないか。

 

日本軍が「侵略しました、ごめんなさい」という歴史認識は、自虐史観だといって批判する学者や政治家や一般人がいる。この人たちは、極東国際軍事裁判そのものの正統性を認めない。自民党の改憲論者とその支持者たちは、現行憲法を「おしつけられた、負けてくやしい」とはいう。

だからといって「臥薪嘗胆」というわけではない。「対米にこにこ・ぺこぺこ」従属外交を党是とする。この人たちは、「美しい日本」という言葉が好きである。「日本をとりもどそう」と叫ぶ。だからといって、「沖縄の米軍基地を国外に移せ」というわけではない。

首尾一貫しない現世主義、なしくずし手法、ご都合主義、ごまかし技術こそが、自民党の政権担当能力なのだろうか。

 

わたしは、自分が「日本人である」ことに、ときどき嫌になる。だから則天去私・敬天愛人などを念仏しながら、悠久なる天地古今の自然に逍遥遊する気分に逃げ込む。縄文時代から現代までの「日本人の生き方」に想いをよせる。もとより断片的でちっぽけな知識でしかない。

日本人は、仏教も儒教も中国経由で受け入れたが、数百年の年月をかけて、それを日本の精神土壌に移植して日本人化した。そして、江戸時代の太平の世が300年近くも続いた。

 

1853年、ペリーの黒舟が浦賀に来航した。江戸城の幕僚も江戸の庶民も「太平の夢」を破られた。1854年、日米和親条約。西洋文明の受入は、明治維新からはじまる。和魂和才から和魂洋才へ。

1945年、アメリカが原爆投下。1951年、日米安全保障条約。和魂の無魂化からエコノミックアニマル化した洋魂洋才へ。

2013年、和魂、無魂、洋魂の変転は、まだせいぜい150年しか経っていない。ようやく憲法改正を議論できる状態になった。「自主憲法」の議論に大賛成である。

 

わたしは、あらたな「和魂」形成への契機となる歴史のはじまりだと思う。そのためにも、この150年を、どのように了解するか。現行憲法をどのように了解するか。「お任せ」でない人それぞれの了解は、「主権在民」の責任を担う国民としての責務だとわたしは信じる。

この議論をもう少し続ける。

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