No.26 「老学援交」コミュニティビジネスを考える根拠   2013年8月15日

老人と学生が共働する地域の「老学援交」コミュニティビジネスを構想する。その意義は、公的な社会保障制度改革への参加である。社会保障制度の一端を地域の「共助」もになう社会システムを創造する訓練プロジェクトである。猛暑の盛りの「真夏の夜の夢」ならぬその妄想の根拠を以下に記す。

 

 

○なんとも凄い数字

高齢化社会への対応は先進国に共通する課題である。特に日本は世界に類例のない超高齢化の先頭を走る。明治維新、戦後復興とちがって問題解決のお手本はどこにもない。

2013年度の国家予算の総額92.6兆円のうちの42.8兆円は国債という借金。借金の元本と利子の返済は約22兆円。社会保障関係費は約29兆円。2013年6月末で国の借金残高が、1008兆円6281億円、GDPのほぼ2倍。国民一人あたり約800万円の借金。

いやはやなんともすごい数字である。この状況を国民のひとりとしてどう考えるか。

 

○国民の代表は官僚、学者、専門家、有識者たちなのか?

2013年7月末、政府の経済財政諮問会議で、社会保障の予算を抑えるために、学者や経営者ら4人の民間議員が、「頻繁な受診を見直して医療費を適正にする」、「70~74歳の医療費の自己負担を2割に増やす」提案をした。

2013年8月5日、政府の社会保障国民会議が、消費増税にともなう社会保障改革の報告書をまとめた。ここでも患者の負担増と介護保険の自己負担増などの取組を提示した。国民会議のメーンバーは、民間人の15人。そのうち11人は、大学教授の肩書きである。

2013年8月8日、安倍政権は中期財政計画を「閣議了解」し、財政再建の目標を示した。「閣議了解」とは、「閣議決定」よりも拘束力が弱いレベルの方針である。朝日新聞は、「具体策がほとんど盛り込まれていない砂上の財政再建」、「歴代内閣において、過去の財政再建目標もことごとく達成されていない」と評している。

      財政再建目標               現実は?

1997年                   橋本政権

  2003年度までに新規赤字国債の   新規赤字国債の発行額は計画時

発行をゼロにする            の倍の35兆円に拡大

2006年

小泉政権 2011年度に国・地方の基礎的財   基礎的財政収支の赤字は、

政収支を黒字化する           3倍以上の31.4兆円に拡大

2010年

管政権  2015年度に国・地方の基礎的財   基礎的財政収支赤字は変わらず

政収支の対GDPの赤字を2010   (2012年度、30.6兆円)

年度比で半減、2020年度に黒字

化する 

2013年

安倍政権  上の目標と同じ             2015年度???

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政治家が「閣議了解」した中期財政計画には、経済財政諮問会議や社会保障国民会議がうちだした「社会保障予算の削減や国民の負担増」は反映されていない。高齢有権者や医師会など各種既得権益団体などからの反撥をおそれるからである。

政府は、社会保障国民会議が提出した報告書を受けて、社会保障改革のスケジュールをまとめる「プログラム法案」を、2013年8月21日を目途に「閣議決定」する方針である。介護保険制度の見直しは2015年度、医療分野の改革は2017年までに実施することが骨子らしい。

そのあと法案が国会に上程、審議、決定される。そこだけが政治家たちの出番である。しかし、その背後というか日々の国家運営の実質は、厚生労働省の役所がになう。官僚主導である。

 「国家経営システムの設計」にかかわる政党や政治家の姿がみえない。英知を絞るのは、「政治家」ではなく官僚、学者、専門家まかせである。

わたしは、まず「社会保障国民会議」という大層な名称におどろく。「国民会議か?!」。審議会、諮問員会、有識者会議などは、「国民を代表」しているのだろうか。官僚、学者、専門家まかせでいいのか。 「国家経営システムの設計」に英知を傾ける主役は「立法府の政治家」ではないのか。

 

しかし、その政治家たちは、ずるずると借金国家体質を続けている。むかし軍人、いま国民。政治家たちは為すすべがない。官僚は、縦割行政組織の部分的な職掌にしか責任をもたない。学者や有識者は、自らの専門性の出来事を抽象化して普遍的な用語でしか発言しない。産業界は、ともかく景気対策、経済成長、マネーのいってんばりである。国民は、少壮老それぞれの日々の日常生活をくらすことでいっぱい、いっぱいである。

企業や組織の経営システムとは比較にならない複雑性をもった間接民主主義の国家経営システムは、どのようなシステムなのだろうか。1008兆円6281億円の借金を今後どのように返済していくのだろうか。主権在民といわれる国民のひとりの老人であるわたしの責任をどのように考えればよいのか。

 

○国家破綻の予感

江戸時代の日本は、封建制の鎖国国家であった。その経営思想は、儒教の修身-斉家-治国-平天下であった。封建制と攘夷鎖国の理念は、黒舟の来航により破綻した。

明治維新から1945年の敗戦までの約80年間、日本は天皇制全体主義国家であった。ロシア、イギリス、アメリカなどの列強に対抗して「富国強兵」を基本理念とし、「滅私奉公」を臣民に強制した。国民の大多数は、大本営が発表する敵地での戦勝をよろこび祝賀した。そして日本帝国は破綻した。

1945年の敗戦から2013年の約70年の戦後日本は、民主主義国家である。平和と「経済成長」を基本理念とした。この夏の参議院選挙で国民の大多数は、景気対策のアベノミクスを支持した。国家による景気対策と生活保障の拡大を唱える「尊私依公」ともいえる社会意識の現状を、わたしは戦前の「滅私奉公」の陰画に重ねる。 

三本目の矢の「成長戦略」は、超高齢化社会の財政収支を解決できるだろうか。「金利上昇、国債暴落」という国家破綻を回避する課題に英知を傾けるのはだれなのか。国家に過度に依存して平和な日常生活を維持するその先に国家破綻を予感できないか。その破綻の先に、どのような国家像を描けるか。

 

○「私公」三階建の国家像

わたしの妄想の結論をいえば、「私公」二階建国家から「私公」三階建国家への革命である。「修身-斉家-治国-平天下」を焼きなおした「私--公-天」の世界像である。「自分-自分たち-みんな」、「個人-住民-人類」という三層の人間関係システムである。

これまでの思想は、「私と公」の突出、「共と天」の軽視であった。「私公」二階建国家の経営システムは、グローバル化、情報化の進展とともに人間の身の丈をこえて制御不能な複雑性を増している。「私」と「公」を介在する中間サブシステム層は、民主主義を偽装する専門的な「有識者会議」に占拠されている。「主権在民」という民主主義の欺瞞体制ではないのか。

だから「私」の一部を「共」に包摂することと「公」の一部を「共」へ移譲することにより、国家システムの複雑性を縮減する思想革命を妄想する。公共事業を独占する「官」を解体して「共」を創造する社会革命である。近代的な個人主義思想をこえて「相互に依存しあう」共生思想である。

私―→共 ←-公 国家に一方的に依存せず一定の距離をおいて、共;「自分たちのことは自分たちで責任をもってやる」という自治精神が、地域コミュニティの共生思想である。

「共」の思想性は、則天去私、敬天愛人である。「天」を通して「他者」と関係する天道思想である。

 

そのひとつの小さな実践が、全国の各地の町内会・自治会に特区を設定して、人生三毛作の少/学業期と老/終業期が連携した地域コミュニティの「学老共働プロジェクト」構想である。

これが、老人と学生が共働する地域の「老学援交」コミュニティビジネスを、社会保障制度の社会システムに変革をもたらす訓練プロジェクトとして構想する根拠である。

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