No.24 コミュニティビジネスを「成長戦略」に組み込む  2013年7月31日

~自分たちのことは自分たちで

日本国憲法の前文は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する云々ではじまる。代表者とは、衆参両議院の国会議員であろう。では、日本国民であるわたしが、その先生方を通じて「行動」するとは、いったいどういう意味だろうか。よく分からない。

「よく分からない」といっても、主権在民だの民主主義国家だのといいながら「行政」権力者の制度執行を通じて「行動」せざるをえない自分に腹がたつ。だから老人の妄想道楽として、国家の統制から一定の距離をおいて、「自分たちのことは自分たちで責任をとる」という自治意識と社会システムをテーマにしたいのである。

 

そのテーマは、政治に関係する。だが政治へのわたしの関心は、テレビや新聞のニュースを眺めるぐらいである。政治を気にせず暮せることは、よい世の中である。世界の諸国の中で日本の現在は、全体として自由で安全に安心して暮せる素晴らしい文明社会であると思う。

戦争の廃墟から復興をめざして、戦後60年間、日本人は平和で豊かな社会を築いてきた。「自由、基本的人権、平和」をかかげる日本国憲法の理念を実現してきた。団塊世代以上の日本人は、高度経済成長の果実を享受してきた。政治に肉体的な暴力性はない。多くの矛盾をかかえながらも、世界に冠たる素晴らしい民主主義国家だと思う。この成果は、自民党と行政官僚と経済界が結託して国家経営システムを運用してきた結果である。そのシステムの構造基盤は、日米安保体制である。国民は、会社に身をゆだねる。会社は、自民党と行政の規則と指導にしたがう。日本国家の価値観と防衛と外交はアメリカに任せる。末端の国民と頂点のアメリカの間は、「お任せ民主主義」でよかったのである。

 

では、これから何十年先も「お任せ民主主義」システムの運用で「自由、基本的人権、平和」と「成長と繁栄」を持続できるだろうか。

わたしの思想は、戦後の国家経営システムはすでに破綻しつつあると観察する。だから、国家の統制から一定の距離をおいて、「自分たちのことは自分たちで責任をとる」という「共生思想」つまり自治精神と社会システムをテーマにするのである。

 

2013年7月21日の参議院選挙で、自民党が圧勝した。では、これからの自民党政権は、これまでの「平和で豊かな社会」を継続して維持できるであろうか。

それは、第三の矢である「成長戦略」の成否に依存すると思う。「成長戦略」が失敗すれば、社会的格差がひろがり、治安が乱れ、テロがおこり、国民の目を外に誘導して隣国への敵意をはやしたてるナショナリズムに偏向して行く歴史をむかえるかも知れない。「自由、基本的人権、平和」などの理念は、かんたんに吹っ飛ぶかもしれない。国家主義、民族主義、対米従属からの独立思想、核武装思想が台頭するかもしれない。

では、わたしは自民党の「成長戦略」を眺めているだけでよろしいのか。退職した隠居老人であるわたしに、何ができるのか。「成長戦略」にどのように関係できるか。「自分たちのことは自分たちで責任をとる」という「共生思想」は、「成長戦略」にどのように関係するか。

 

「成長戦略」とは、端的にいえば「雇用」つまり「仕事場を創出する」戦略である。国民のひとり一人が、「社会で必要とされる需要」に対応する「仕事」をして「生活できる」仕組みが、雇用戦略である。雇用戦略は、需要の創造と供給体制の創造の両輪でうごく。仕事は、「与える」と「もらう」の交換体系である。

その仕事を創造する雇用戦略を、a.民間事業、b.公共事業、c.コミュニティ事業に分ける。

 

大規模でグローバルで技術革新的な事業だけが「成長戦略」とは思えない。わたしの身の回りのコミュニティに目を転じれば、少子高齢化社会の多くの「小さな」潜在需要がある。ローカルな遊休資源が眠っている。

わたしにできる「成長戦略」への参加は、c.コミュニティ事業の一部である。地産地消、ソーシャルビジネス、スモールビジネス、エコビジネスなどと称される第三の事業も「成長戦略」に組み込むべきであると思うのである。

この事業は、「金融緩和」とか「財政出動」とかのマクロ経済学とは無縁だと思う。経済学というよりも、もっと身近な生活に密着した社会学や人間関係論に近いかもしれない。コミュニティ事業は、経済的な「成長戦略」というよりも、社会的な「成長戦略」である。

コミュニティの「小さな」需要は、市場で供給される商品への欲望ではないので、市場原理から排除される。その需要は、税金を使う行政サービスへの要求でもないので、法律制度では救済されない。コミュニティ事業の需要は、相互扶助、共助の「お互い様」の領域で発生する。

ざっくりと以下のような対照表を作ってみた。

 

a.民間事業    b.公共事業    c.コミュニティ事業

少壮老   壮            壮          少と老

私共公   私/自分       公/みんな     共/自分たち

組織体   企業         国家/役所     自治会/NPO

範囲     グローバル    ナショナル       ローカル

思想    資本主義       社会主義       共生主義

需要    欲望全般       法律         人間関係

媒体    マネー        税金         バウチャー

供給    商品交換       給付         互助/贈与

倫理    自助        公助           共助

原理    自由/独立    公平/統制      共生/依存

責任    自己責任     行政責任        共同責任

義務    契約履行      法律          道徳/天

人間関係  売る/買う    納税/給付      借りる/返す

 

○ひとつの提案事例

潤沢な税収があった高度経済成長時代、全国各地に箱物の公共施設が b.公共事業として建設された。今やそれらの施設のほとんどが、不採算の赤字経営か利用停止状態である。

ある地方都市で、研修施設、宿泊施設、グラウンド、屋内体育館、屋内プールなどを擁するバブル時期の象徴施設が、数年前に閉鎖された。その自治体が、施設の有効活用案としてa.民間事業を募集した。しかし、応募は、ゼロであった。そこで地元の有志たちが集まって、c.コミュニティ事業研究会をひらいた。わたしは、そこでつぎのような「コミュニティにおける複合連携事業」イメージを提案した。

 

A:交通機関         ; オンデマンドバスシステムの運行

  B:医療機関予約センター; 予約窓口業務の集約化

  C:エネルギー       ; 各種自然エネルギーのモデル事業

  D:防災訓練        ; 避難所体験合宿

  E:老若人生塾       ; 座学研修と合宿

  F:衣食住訓練       ; 農業・漁業・大工仕事などの実習訓練

  G;健康長寿        ; 老人の知恵を若者に伝授する生き甲斐活動

  H:新あたらしき村     ; 都会の先進的若者夫婦の移住支援

  I;調査研究         ; 国や県からの委託事業

 

この事業イメージは、提案レベルで終わっている。実現への見通しは明るくない。実現のためには、さまざまな壁の破壊をともなうからである。

現実の社会は、おおきな惰性で動いている。日々の生活は、複雑にからみあった利害関係の中を生きる。だから未来に向かう破壊と創造には、必然的に現実の生活から抵抗が生まれる。さまざまなレベルの改善、改良、改革、変革、革命の合成として歴史が動く。社会をうごかすWill欲望Can能力Must規範の多次元非線形連立方程式の解は、不定ではないが決定論でもない。

人類の知恵は、グローバル資本主義、技術革新、民主主義などの「複雑系」にどのように立ち向かえるのだろうか。西洋流の「合理的」な近代思想をこえる「新たな知性」がはじまる世紀ではないかと思う。

 

わたしは、そこに日本人として「和魂和才」をもって参加したい。和魂の基層である「共」性を、「共生思想」に言語化する意識革命運動が、憲法改正に向かう国家プロジェクト構想である。

全国の各地の町内会・自治会に特区を設定して、人生三毛作の少/学業期と老/終業期が連携した地域コミュニティの「学老共働プロジェクト」を、憲法改正プロジェクトに組み込む。

この構想を、まず「社会思想」の問題として提起する。これまでの「私と公」の関係性だけの「お任せ民主主義」思想で、「c.コミュニティ事業」などの社会的な「成長戦略」を実現できるはずがない。「自分たちのことは自分たちで責任をもってやる」という自治精神の意識革命がともなわなければならない。

公;国家に一方的に依存せず一定の距離をおいて「したたかに生きる」という共;コミュニティの自治精神を訓練する仕組みを作ろうではないか。「海洋教室」は、ささやか実践のつもりである。

以上  No.25へ No.23へ