No32.マンション暮らしで思うこと ~5地域コミュニティの理想像を求めて

起: たとえば、介護認定申請を本人/家族ができないときは、どうしたらいいか?

承: 「個人情報保護」偏重が、「行政サービス」の過剰負担を求めるのではないか?

転: CH地区の65歳以上の高齢者割合は、約130人/2100人=6%

結: 「互助・共助」の将来モデルとしてのCH地域コミュニティの理想像を求めて

 

(1)起 ;介護認定申請を本人/家族ができないときは、どうしたらいいか?

数年前に介護保険制度が導入された。65歳以上の高齢者は全員、年間64,700円を基準額として前年所得の8段階に応じた割合の介護保険料が、年金から天引きされる。(例外規定あり)

介護保険料を納めたら、介護が必要な状態になったときに生活支援として「予防給付」または「介護給付」を必要なレベルに応じて受けることができる。

その給付を受けるためには、「認定申請書と添付資料」を「本人または家族」が区役所に提出して、介護が必要なレベルを判定し、認定してもらうことになる。

こんな事態になったときに、本人自らが申請書類を作って、区役所に出向くなどのことは想定できない。家族に頼るしかない。では、家族が誰もいないときは、どうするのだろうか?

家族がいても遠くに離れて住んでいるときは、どうするのだろうか?

家族がいてもその家族も不自由な生活をしているときはどうするのだろうか?

法律や条例や民生委員制など、たぶんきめこまかく規定されているだろう。

 

(2)承 ;「個人情報保護」偏重が「行政サービス」の過剰負担を求めるのではないか?

上の「介護保険」の例は、高齢者世帯のはなしだが、若い世代の世帯にも夫婦間や親子間の「家庭内暴力」とか「引きこもり」や「登校拒否」などが新聞にでる。家庭内の問題だけでなく、「少旅行に出掛けるのでペットの世話ができない」などの家庭事情もある。玄関の鍵を忘れて困る場合もある。

個人や家族の問題は、表に出すことなく、家庭内で解決対処することが基本になっている。法律が「個人や家族のことには立ち入らない」というよりも、「家族の問題を他人や世間に知られたくない」、「他人を煩わしたくない、他人の世話は受けたくない」という心情のほうが、今の日本社会では自然だからだろう。

自己責任意識、自分のことは自分で始末する、他人に頼らない、自分でがんばるしかないという「自助」原則だけでは、どうしようもなくなって死ぬしかない、という事態に至る事件が頻繁に新聞テレビで報道される。孤族、無縁社会。それで仕方ない、という考えもある。

しかし、世間には人情もある。社会的な安全網(セーフティネット)と呼ばれる諸制度を人間は、むかしから工夫してきた。「お上」に頼らず「互助」・「共助」と呼ばれる「結・講・座」などの各種制度や慣習・文化・伝統が共同体にあった。

ところが、個人尊重、高度技術、経済成長、競争社会、国際化などなどの「進歩」にともなって、「互助」・「共助」の社会的基盤が急速に失われている。その代わりを「公助」つまり「官」・「お上」による「行政サービス、住民サービス」に求める。その負担が限りなく重くなり、増税につながる。

その「官」による「公助」とは、法律・規則に基づく執行である。規約の制定とその形式的で公平な運用が、その特徴である。「公」的支配の規約中心主義は、地域住民の合意による「互助・共助」の精神性とは著しく違う。

 「個人情報保護法」という法律が、住民どうしの創意と工夫と知恵にもとづく「互助・共助」の大きなおおきな壁となっている。それが、役所主導の「公助」偏重の傾向をますます後押しする。

ガチガチな規約などに基づかなくとも、身の回りの生活の安心と安全は、確保できるのではないか。顔のみえる近所の隣人関係がもたらす「互助」・「共助」が機能する地域生活共同体・コミュニティは、時代遅れの幻想なのだろうか、あるいは見果てぬユートピアの理想郷なのだろうか。

 

(3)転; CHマンションの65歳以上の高齢者割合は、約130人/2100人=6%

CH団地は、若い世代の世帯が中心。小学校の児童生徒は約80人ぐらいだそうだ。ここには未来の可能性に満ちた子どもたちの歓声が響いている。少子高齢化の老朽団地ではない。また既存の街中にあるマンションとちがって、マンション棟の住民だけから構成される新しい集落である。

この集落が、どのような街に育っていくのか、成長していくのか。ここは、時代の転換期における21世紀初頭の大きな可能性に満ちた社会的・歴史的な実験場じゃないかと思う。

子どもたちにとっては、CH地区が数十年後の「ふるさと」である。どのような伝統と歴史を刻む「ふるさと」を創造していくのだろうか。

それまでの住まいから引っ越してきた老人たちにとっては、ここが終の棲家になるのだろうか?

 

(4)結 ;「互助・共助」の将来モデルとしてのCH地域ブランドの理想像を求めて
①現代は、「個人情報」を営利目的に悪用するやからが跋扈する資本主義社会である。
   だから、個人情報保護法という法律ができた。

②「個人の自由」尊重重視によって、「社会性の軽視・欠如」の振舞いを抑制する規範がない。
携帯電話やインターネットの匿名性が、「間接型人間関係性」を増長させている。

③お互いの良識に基づく「共」の付き合いよりも、手早く「規則・規約」に解決を求める。
   「私・個」と「公・官」の二階建て社会の中で、「互助・共助」の知恵を失ってきた。

 ④「家庭内」の問題を地域コミュニティで「共有」し、「互助・共助」の取り組みで解決する仕組みがない。

 

2011年3月11日、東日本大震災という未曾有の天災人災が起こった。その復興過程で、物質的な豊かさを追求してきた幸福感のその先に、人間関係=絆の豊かさに価値を求める風潮がでてきた。その風潮のなかで、日本社会の現状に小さな穴をあける一灯照隅として、CH地域コミュニティの理想像、「夢」を描けるのではないか。

自治会員のひとりである自分は、「集合住宅において、共同生活者であることを自覚し、思いやりに基づく相互扶助によって、あたたかい人間的なコミュニティの形成」という自治会の方針に、どのように参加すればいいのだろうか?                                

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