No.44 閑話休題~「藪の中」のコミュニケーション 2014610

マンション団地の人間関係つまり「コミュニケーション」のあり方を考え続けている(老後の趣味として)。その難しさに途方に暮れているところに、知人から「明治天皇すり替え説」という陰謀譚を聞かされた。そこで、閑話休題。

わたしは、「明治天皇すり替え説」のテーマについて何の知識もなく関心もなく、その「事実」を知ることに時間を消費する楽しみも求めない。

しかし、明治天皇の出自および「すり替え陰謀」に関して、おおいに関心をもって詮索し、研究し、論文を発表し、書物を刊行する人がおり、それらのテキストを読み、インターネットで発信し、話題にする人がいることを知った。

 わたしの関心は、明治天皇の出自と陰謀に関する言説空間が存在するというその「現実」に向かう。そこに集う人たちの「コミュニケーションのあり方」に関心をむける。「明治天皇すり替え説」の記事をざっと読んで、つぎの思いが脳裏をかけめぐった。

芥川龍之介の「藪の中」 ~「天網恢恢疎にして漏らさず」
・「事実」;「殺人と強姦」をめぐる3人の当事者と4人の目撃者の証言

「知る」という欲望 ~納得したい了解欲、知らせたい表現欲
・明治天皇「すり替え」の当事者でない後世の関係者や好事家たちの知的好奇心

 知的職業と言語ビジネス ~人文・社会科学と工学・物質科学の違い
・知的好奇心「商品」の生産と消費 ~詮索(研究)と学問と読書
・「事実」と「現実」の関係 ~研究者、学者、読者  

 

1.事実と現実:

わたしは、「いま、ここ」で、この文章を書いている。「いま」のこの瞬間、世界中の70数億人が、それぞれのどこかで何事かを為している。庶民から政治家たちまで、その何事も、一定の時間がたてば別の何事かに移っていくだろう。

「いま」世界中に生起する無数の出来事、何事かたちのそれぞれを「事実」と呼ぼう。テレビのニュース報道は、それらの事実を選択してリアルタイムで伝える。わたしは、テレビ映像を通して、世界中にあふれる「事実」の一部を知る。

そして、世界中の「いま」は瞬時に過ぎ、たちまち「過去」に接続される。過去とは、あらゆる場所の瞬時の「事実」が堆積した無限とも思える分厚い地層のイメージになる。その地層の記述が歴史である。

ところで、わたしは、そして人は、その無限とも思える「事実」全体、歴史のうち、一体なにほどの物事を知りうるのだろうか。わたしが知覚し、認知できる「事実」は、新聞やテレビ報道やインターネット情報や書籍などを媒介したものを含めても、その割合は、太平洋の一滴にもならぬほどの微々たるものである。

世界中に生起する無数ともおもえる何事かたちの一部を、自分が知覚し、認知できる物事をわたしの「現実」と呼ぼう。

その瞬時の「現実」を、自分の身心頭の体内に堆積した時系列の写像群が、わたしの記憶、知識となる。過去は、時間軸上に配置されるのではなく、アタマの中の記憶、知識のモザイク状の関係性網の目のイメージとなる。

「事実」は、ほぼ無限である。「いま、ここ」を生きる個人にとって、世界中の「事実」の全容は知りえないが、「現実」は自分の外側にひろがる「事実」の一部を体内化した意識現象として構成される。

 

2.現実と社会とコミュニケーション

わたしは、社会において他者と共存して生きる。それぞれの人どうしは、主観的な「現実」を通して、他者と「事実」を共有しようとする。それぞれの主観的な「現実」を交換しあう社会的行為をコミュニケーションと呼ぶ。

「社会」は、主観的な「現実」を交換するコミュニケーションが成立する場である。そして、そのコミュニケーション行為が、社会的な事実を生みだし、それがまた社会を生きるそれぞれの人の現実を構成する。

問題は、「事実の共有」のためのコミュニケーション、主観的な「現実」を交換するコミュニケーションには、理解、了解、誤解、曲解などが混在することである。最近の例では、STAP細胞に関する実験結果などに関するコミュニケーションである。

この「理解、了解、誤解、曲解など」という問題は、つぎのように図式化できる。

1)現実化の過程・・・・「事実」==>個人的な内在化==>各自の「現実」
2)事実の共有過程・・各自の「現実」==>コミュニケーション==>「事実」の共有??

問題は、「事実」を共有するとは、どういうことなのか、である。

 

3.「現実」の潜在性―可能性―実現性

主観的な「現実」を通して、他者と「事実」を共有することは、いかにして可能か?

社会において、主観的な「現実」を交換するコミュニケーションは、いかにして成立するか?

この問題を考えようとすれば、再び自分の外側の「事実」が、自分の体内の「現実」意識に写像されるメカニズムに立ち戻らなければならない。これはこれで「主客」の大問題なのだが、とりあえず以下の三つを考える。

全身体験による当事者および観察者の現実 ;目撃対象としての直接的現実
「いま、ここ」で見て、聞いて、触れて、嗅いで、食べるなどの知覚できる事実を現実とする。

他者記録を二次的に観察することによる現実  ;他者を介在した間接的現実
「どこかで、いつか、だれか」が体験した現実を、写真、映像、録音、文字などで記録し、その記録事実を、テレビや新聞や書物などで見たり聞いたり読んだりして現実とする。
この現実は、1)「記録」事実そのものと2)記録が記述する「対象事実」という二重構造をなす。読む:<==「記録」事実<==(記録者の現実)<==対象事実

内発推論による現実 ;思考作用がうみだす超越的現実

人は①と②を、自らの知識・記憶として内在化するとき、①と②に関連する過去の「現実」との関係において、文脈構成や因果関係や意味関連の思考回路(プログラム)を働かせて、自らに独自の現実を推論して生成する。「考える」ことによる「現実」の獲得、「現実」の再帰的な自己組織化である。

この三つを踏まえて、つぎに「現実の潜在性―可能性―実現性」を、つぎのように定義しよう。

・現実の潜在性とは、世界中の無数の「事実」集合である。

・現実の可能性とは、その「事実」集合の一部をだれかが観察し発見した「記録」集合である。
*「事実」は、記録されなければ、だれにとっても「現実の可能性」にはならない。

・現実の実現性とは、自らが認知する「事実」集合と「記録」集合の一部である。
*自分が直接的に体験できる知覚と思考が生みだす事実が、現実の実現性である。

●潜在性==>体験{=>(書く)=>可能性=>(読む)(考える)}==>実現性

ここまでの道具立てによって、最初の問いに答えることができる。

主観的な「現実」を通して、他者と「事実」を共有することは、いかにして可能か?

社会において、主観的な「現実」を交換するコミュニケーションは、いかにして成立するか?

答えその1: 潜在性の直接的な共有

 お互いに 「いま、ここ」の現場体験を共有すること。当事者どうし、同じ釜の飯を食う。

答えその2: 可能性領域の間接的な共有  ;書き&読む

 お互いの「現実」を記号化して表現し、その記号表現の同型性・差異性を確認しあうこと。

答えその3: 実現性の現実化プロセス(知の生産プロセス)に関する普遍性の共有

 お互いの思考回路(プログラム)の同型性・差異性を確認しあうこと。;研究と学問の方法

 

4.事実の潜在性―可能性―実現性  

「だれかが、いま、そこで、何かを為す」事態を、「事実」と呼んだ。ここで、事実の潜在性―可能性―実現性について少し検討しておく。

実現性とは、ほかでもありうる可能状態集合の一部を選択した結果である。

可能性とは、確率的または一定の条件次第で実現しうる可能状態の集合である。

潜在性とは、すべての可能状態集合を含む集合である。

わたしが、いま、ここで、この文章を書いているのは、ひとつの事実である。たまたま、文章をかくのを選択したからであって、ほかの何事かを為す可能性は、いくらである。わたしの身心頭の機能は、さまざまな事を為す潜在性をもつ。その内的な潜在性と外部環境との相互作用を通して、何事かが選択され、他の可能性は捨てられる。

潜在性の限界は、「自分の眼は、自分の眼をみることはできない」ことである。さらに「自分の眼は、前方をみるだけで、自分の背中の後方はみることができない」身体条件も可能性の限界である。

人は、それぞれの位置や立場から、それぞれちがった方向をみる。そしてさらに前方を見たとしても、漠然と眺めるか、何かに焦点をあてるかの選択がある。何を見て、何を読んで、何を書くか、すべて選択の連鎖である。そういう選択の連鎖は、因果関係や文脈関係や偶然性などを媒介にして一連の事実を発生させる。

これが、事実の潜在性―可能性―実現性というメカニズムである。当たり前のはなしをしているだけかもしれないが、確認しておきたかったからあえて書いた。

以上の記述は、つまり世の中のことは「天網恢恢疎にして漏らさず」、されど人のコミュニケーションは「藪の中」 ということを、いいたかっただけにすぎない。「コミュニケ-ションのあり方」の難しさの根拠を確認しただけにすぎない。つまらない雑文である。ここで、閑話休題は終わり。

以下の、点にかんする駄文は、また別の日に気がむいたときに。

5.「知る」という欲望 ~納得したい了解欲、知らせたい表現欲
・明治天皇「すり替え」の当事者でない後世の関係者や好事家たちの知的好奇心

6.知的職業と言語ビジネス ~人文・社会科学と工学・物質科学の違い
・知的好奇心「商品」の生産と消費 ~詮索(研究)と学問と読書
・「事実」と「現実」の関係 ~研究者、学者、読者  

・ 事実の要素を知る喜び、事実を関係づける喜び、普遍性、法則性、解釈、了解

 

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