No.27 「老学援交」コミュニティビジネスには思想革命が必要 8月24日

 わたしは、1000兆円という国家の借金にこだわる。この借金は、少/学業期の若者や壮/職業期の現役世代や未来の子孫へのツケである。戦後70年の平和と経済成長を享受してきた団塊世代の「社会的責任」は、問われないのか。少/壮/老の世代間倫理は問題にならないのか。医療まみれで生かされ続ける「不自然な長命」を要求する社会保障の倫理性をどう了解するか。

 

○政府の社会保障制度改革国民会議で、だれが、何を、どのように議論したのか

政府の社会保障制度改革国民会議は、「確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋」というタイトルの報告書を安倍首相に提出した。この社会保障制度改革国民会議の事務局長(医療介護福祉政策研究フォーラム理事長)は、次のように発言している。

「小渕首相の有識者会議から14年になる。これまで社会保障の目指すべき姿は何度も示されてきた。求められるのは、これを実現して行くことと、そのための強いリーダシップだ。」

 この発言の「目指すべき姿」、「実現」、「強いリーダシップ」をシステム論から解釈すれば、つぎのようになろうか。

「目指すべき姿」は、社会保障システムの要件定義と基本設計(道筋)

「実現」は、社会保障システムの詳細設計と実装と導入と運用、つまり立法と予算編成と実施

「強いリーダシップ」は、社会保障システ構築プロジェクトの計画と管理

 企業経営情報システム構築プロジェクトを職業としてきた元システム屋からみたら、国家の社会保障システム構築プロジェクトの有様は、あまりにもシステム構築技術の方法論から隔絶しているように思える。つぎのように専門分野の有識者たちによる議論だけなのだから。

 ①だれが;政治家ではなく国民会議の委員、学者、有識者、業界代表と役人

②なにを;公共事業としての給付金と負担金(税金と保険料)のカネ

③どのように;国民の「健康で文化的生活」を保障するシステムの道筋の机上議論

これでよろしいのだろうか。詳細な構造設計と運用設計が極端に軽視されすぎているのではないか。主権在民の実態は、これでいいのだろうか。

 

○社会保障制度改革国民会議の思想性

「国民会議」の報告をうけて、下記のように立法―>行政―>経済―>生活のそれぞれの社会システムが作動する。

      公: みんな           共:自分たち       私:自分

立法: 議長 ß―議会ß―政党ß―議員ß-後援会)ß有権者ß国民 

  ↓(法律、予算) *国民会議;学者、専門家、有識者、業界団体

  

行政: 首相 →内閣→省庁/県/市町村・・→(自治会→家族)→国民

↓(公共事業)    ↓*独立行政法人/天下り先

↓            ↓   ↓ カネ

経済:  X     X   業界団体―→企業・NPO等―→就業者→国民

↓                ↓        ↓        ↓ 

生活            公助/救済    共助/共生   自助/自立

立法―>行政―>経済―>生活というそれぞれの社会システムは、それぞれに固有の機能と構造をもって、全体社会の環境において作動する。この図の枠組みを詮索すれば、民主主義という国家システムには大きな構造矛盾があるように思える。

社会保障システムに限っても、社会保障制度改革国民会議の思想性は、公助/救済/みんなへ偏重している。情理、もたれ合い、分かち合い、共感をベースにする共助/共生/自分たちレベルの思想性の不在である。トータルな人間性の一面的な議論に閉じている。

私: ○生理・・・医療と介護による身体性維持だけの思想性  

共: X情理・・・地域共同体の義理、倫理に関する共生思想なし

公: ○合理・・・生活保障をカネの給付/経済性だけに限定する蛸壺合理性 

天: X道理・・・生命論、生態系、共生思想の哲学なし

 

○無責任な「みんな」社会の集団的な催眠状態からの脱出

 借金が1000兆円を超えても赤字国債を発効し続けるのは、どうみても国家としての統合失調状態であるとわたしは思う。生理/情理/合理/道理の人間らしい統合性が失調している。国民は、私/自分の目先の身近な日常を生きるしかない。社会のことは、公/みんな/国家にお任せする代表制民主主義である。無責任な「みんな」社会の集団的な催眠状態のように思える。私公の二階建社会の不条理である。

「老学援交」コミュニティビジネスは、共助/共生/自分たちレベルで民間事業と公共事業を補完するローカルな地域社会保障システムである。集団的な催眠状態からの脱出をめざす。

a.民間事業  b.公共事業   c.コミュニティ事業

私共公   私/自分   公/みんな    共/自分たち

組織体   企業      国家/役所    自治会/NPO

範囲    グローバル  ナショナル      ローカル

思想    資本主義   社会主義      共生主義

 

国家依存の集団的な催眠状態からの脱出をめざして、「自分たち」思想を実践するコミュニティ事業の視点から、社会保障制度改革国民会議の次の提案に着目する。

*医療と介護の地域への移管

現行の介護保険制度の対象者は、2012年4月時点で、533万人。そのなかで比較的軽い要支援者は、140万人。この支援サービスを介護保険から切り離し、市町村が受け皿になって、地域のNPOやボランティを活用して社会保障費を抑えるという提案。

また、医療分野では、医療給付システム改革の提案もある。「高度医療ができる病院―地域の医院―かかりつけ医者」との役割分担システムである。

現状のシステムは、患者が医療機関を自由に選べる「フリーアクセス」である。小さな病気であっても誰でも大きな病院に行ける。医療の供給体制にさまざまな問題と不効率性をもたらしている。だから「フリーアクセス」に一定の制限をもうける。まず地域の「かかりつけ医者」に診断してもらい、医者が患者に必要な医療機関を処方する仕組みの提案。

 

○「老学援交」コミュニティビジネスには思想革命が必要

「老学援交」コミュニティビジネスは、「医療と介護の地域への移管」を実現するひとつの構想である。もちろん、これら提案の詳細な構造設計と運用設計の段階でさまざまな反対に出会う。

「老学援交」コミュニティビジネス構想は、いまだ妄想である。簡単に実現できるとは思えない。立法―>行政―>経済―>生活というそれぞれの社会システムの構造と関係者たちの利害が複雑に関係するからである。「老学援交」コミュニティビジネスの取組には、思想革命が必要なのだ。

 

戦前の軍人国家体制は、「滅私奉公」思想で臣民を催眠状態にした。戦争と原爆という究極の不条理な人災により、アメリカ占領軍が大日本帝国を革命した。それからの日本は、平和な民主主義国家の70年。いまや戦後の「尊私依公」思想の催眠状態は、ギリシャみたいに役人天国体制を破綻させるのではないか、とわたしは予感する。それは、どういう人災なのか。

その人災イメージは、「役人と学者が国家を滅ぼす」平和的な人災である。細分化された縦割領域の専門性を職業とする役人と学者の思想性は、限定合理性である。トータルな人間社会を専門的な視点から抽象化する思考である。その限定合理性は、必然的に生活世界における個々の人間の差異の多様性を二次的な現象として捨象する。

生身の人間の生活が、縦割制度で分断される。わたしは、私―共―公―天のシステム領域を横断して生きながら「理」を考える。

:個人  自分  生理、心理、条理 ・・・・人生論  身体自己

:社会  仲間  情理、義理、倫理 ・・・・思想   生活自己

:国家  国民  合理、法理、公理 ・・・・国家論  生活自己

:自然  人類  道理、哲理、真理 ・・・・哲学    了解自己

 

「理」には、数理、物理、論理などもある。無理もある。人間の理性は、それぞれの「理」の全体的な統合性、一貫性を志向する。しかし今や、それぞれの「理」の専門性が深まれば深まるほど全体的な「理」の統合性が失われる。理性至上主義を根にする近代文明社会の不条理である。パラドックスである。理性がはたらく学問が、社会生活の不条理をあらわにする。その不条理性は、ますます拡大しているとわたしは思う。端的にいえば、哲学、思想、国家論、人生論それぞれの「理」が関係しあう全体性の混迷である。人が人間らしく生きる全体性の喪失である。

地域の生活状況こそに、専門分野の学者たちによって抽象化されない少壮老の人間たちの、生身のトータルな生活が、営まれている。

だからわたしは、人間性の復権を「共」に求める。私―→共 ←-公 国家に一方的に依存せず一定の距離をおくこと。公である国家に依存する私/個人主義思想をこえ、国境をまたぐグローバルなローカルどうしの共生思想への意識革命。「共/自分たちのことは自分たちで責任をもつ」という自治精神/共生思想/トータルな人間性復活をめざす。その訓練プロジェクトとして、「老学援交」コミュニティビジネスを構想するのである。

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