3.西郷の政治思想を凝縮した遺訓第1条の要点・論点 2018年4月2日
■遺訓第1条
廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、ちっとも私をはさみては済まぬもの也。
いかにも心を公平にとり、正道を踏み、広く賢人を選挙し、よく其の職にになふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。
それ故に真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。
官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛でし置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』の「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然として、其の通りぞと申されき。
◆論点1.1 大政と国政の分離
大政とは、天下の政治。天下は、儒教の「修身―斉家―治国―平天下」という世界観の天下に相当する。
鎖国体制の江戸時代は、天下国家と称して天下と国家は一体化していた。平天下の大政と治国の国政を区別する社会環境ではなかった。
だが幕末19世紀中ごろから、列強諸国が対峙する世界情勢は、日本列島の鎖国体制を維持し続けることを困難にした。
天皇から征夷大将軍に委任されていた大政=国政の政治権力は、明治維新により徳川幕府から朝廷へ奉還・返還されたのである。
天下とは、世界=グローバル社会=地球上の人類社会と同義である。天下には、おおくの国々がある。
近代社会の大政は、地球上の平和を維持する国際法や国連の諸機関などの世界政治に相当する。国政は、それぞれの主権国家に閉じた政治である。
大政と国政は、統治原理や範囲や機構がちがう。大政と国政を分離することが、西郷の政治思想を解釈する第一のポイント。
◆論点1.2 廟堂と政府の分離
廟堂とは、貴人や神の霊を祀り、天下の政治をおこなうところ。
朝廷とは、君主が政治をおこなう場所、君主を中心とする政府である。
大政奉還により王政復古の大号令が発せられた。日本の王政とは、天皇中心の政治であるので、廟堂は天皇を君主とする朝廷と同義となった。廟堂=朝廷は、遺訓第2条のいう「政権一途に帰し、皆統轄する一なる所」でなければならない。
明治新政府は、王政復古の名のもとで、この朝廷に奈良時代の律令制を模して、政体書によって太政官を設置した。(明治元年)
立法・行政・司法の機能を備えた政府組織であるが、明治新政府の官制の改廃は著しく、常に一定しない状態が、明治18年の内閣制度の発足により廃止されるまで続いた。
西郷は、遺訓第2条で明治新政府の状況を「取捨方向無く、事業雑駁、昨日出でし命令の、今日忽ち引き易うる」という朝令暮改のありさまと慨嘆する。
この西郷の慨嘆は、王政復古を名目として、廟堂と朝廷を一体化する国学皇国思想が、近代国家建設の時代に適応できず破綻したことの指摘である。
天皇を天子=君主として、公家・公卿・女官たちが群がる朝廷には、そもそも政治能力などなかった。戊申戦争の勝利者である薩長土肥など諸藩の藩主や藩士たちが、その政府の中枢をしめる。私心を隠さぬ有司専制の藩閥政治の非難は絶えなかった。
だから近代国家の内閣制度を採用せざるをえなくなった。王政復古の大号令は、空砲に帰したのである。
論点1.1の「大政と国政」の分離に重ねと、廟堂―大政、政府―国政という二重構造の統治体制であるべきだと西郷は主張したと解釈できる。
この西郷の政治思想を、昭和戦時体制の大政翼賛会にいたる天皇制皇国史観に対置させることが、第二のポイントである。
◆論点1.3 天道と公道の区別
天道とは、天の道、天地を支配する道理である。天が指し示す道理は、大地を支配する地道や人間を支配する人道を含みながらそれらを超越する観念である。
そもそも天道だの天皇だのという語は、「天」を崇拝して擬人化する古代中国の世界観と政治思想を起源とする。
「道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」(遺訓第9条)という西郷の政治思想の根底には、古代中国の儒教や老荘の「天」と「道」の哲学がある。
天道は、人間の知恵で人為的に制御できるものではない。だから個人や社会集団や国家の意志=利己欲=私心をはさめるものではない。
西郷は、「天道を行ふもの」に「私心」を挟むなという。「天」と「私」を対置する。
ところが一般には、「私」に対しては「公」が対置される。
明治新政府の基本方針として発布された五カ条のご誓文には、「天道」の文字はなく、その代わりに「天地の公道」がある。
■五カ条のご誓文 4)旧来の因習を破り天地の公道に基づくべし
この「天地の公道」は、西郷の「天道」とどのようにちがうか。
明治維新は、尊王攘夷を正当化する国学(平田学、水戸学)、文明開化をめざした西洋思想、そして封建体制を支えてきた儒教(朱子学、陽明学)が入り混じった思想革命であった。
近代国家建設の思想革命という視点から、「天道」と「公道」を区別することが、西郷の政治思想を解釈する第三のポイントである。
◆論点1.4 権威と権力 ~破邪顕正
「政柄を執る」とは、政治権力を執行することである。その職をになうものは、賢人でなければならない。
その賢人を「いかにも心を公平にとり、正道を踏み、選挙」するのは、天意である。
天意とは、天を擬人化したときの天の意思である。その意思を体現する人格は、天道を行うもの、つまり「廟堂に立ちて大政を為す」ものに帰着する。
この文脈は、A:政柄を執らしむる人格とB:政柄を執る人格を、明瞭に区別する。
この区別は、国家権力の正当性の根拠を何に求めるかの問題に一般化できる。
天道を行い大政を為すものが、「いかにも心を公平にとり、正道を踏み」国政の権力者をえらぶという西郷の政治思想は、まさに道義国家の国体宣言である。
この解釈は、天下の大政の下に国家の国政を位置づけた論点1.1に符合する。
大政と国政の上下関係というか包摂関係は、道義国家の政治思想では、権威➡権力の関係におきかわる。
公平に正道を踏み大政を為す「権威」者は、国家の政柄を執る「権力」者に対して、破邪顕正の道義をしめす。私心と邪道の権力は、武力にかけてでも排撃する。
この道義と武力にかかわる視点が、西郷の政治思想を解釈する第四のポイントである。
◆論点1.5 徳ある者に官職、功労ある者に褒賞 ~人材登用
勲労とは、国家・民族・社会などに対する功労、手柄、功績である。
官職とは、国家の権力者(為政者、政治家、公務員)に割り当てられた権限と責任をともなう地位と職務である。
明治維新における「国家に勲労有る」者は、戊辰戦争で徳川幕府を倒した現場の行動者たちである。第一級の勲労者は、戦場の軍人・士族と一部の公家たちであろう。
かれらの功労、手柄、功績は、かならずしも人格や仁徳などの道義心の程度と一致するものではない。手柄は、陰謀、策略や偶然も関係し、野心や野望などの私心の強さにも大きく左右される。
功労、手柄、功績の度合いは、しかるべき達成目標への貢献度で判断される。目標に到達するためには、手段・原因➡目的・結果という因果関係が重視される。
「目的のためには手段をえらばず」という事態も、時と場合によっては許される。徳ある者が、手柄を立てるとは限らない。
西郷の政治思想の中心をなす「徳」とは、天道を行い、正道を踏む精神のあり方を意味する。その精神を端的に表現することばが「敬天愛人」である。
天道を行い、正道を踏む「徳」の実践が、「敬天愛人」の目的であり、かつ手段である。「敬天愛人」の発露が、政治の自己目的である。
その政治を担うものが官職につく官吏である。
官職の地位の高低は、「敬天」と「愛人」の精神性と実行力の程度と相関しなければならない。だから官吏は、「敬天愛人」を実践できる徳ある者でなければならない。
「敬天愛人」を基準とするこの人材登用の原理原則が、西郷の政治思想を解釈する第五のポイントである。
◆遺訓第1条の論点整理
以上5つの論点を、「君―臣―民」の政治機構の三層構造として整理する。
この構造は、西郷の政治思想の基盤をなす古来中国の儒教(大学)の「修身―斉家ー治国―平天下」に対応する。
天 ・・・・・・・・・・・ 地 ・・・・・・・・・ 人
平天下 ← 治国 → 斉家・修身
天下 国家 社会
君 臣 民
聖人君子 ➡ 賢人百官 ➡人民小人
①大政(外交) 国政(内治) 社会生活
②廟堂 政府 共同体
③天道 公道 人道
④権威 ➡ 権力 ➡ (人権)
⑤敬天 愛人 ➡ (相互扶助)
◆天地自然 →天道・天帝
↓天の子=天子、天皇、君主
A;大政(廟堂+聖人君子)→ B;国政(政府+賢人忠臣)→ C;生活(人民庶民)
君 ――――――>臣 ――――――――――>民
◆「君―臣―民」の政治機構の現代的解釈
天 ・・・・・・・・・・・・・ 地 ・・・・・・・・・ 人
君 臣 民
世界平和 国家統治 国民生活
国連憲章 憲法 法律
<―資本主義―><―民主主義―>
◆西郷思想の問題提起
私心にまみれて貪欲なグローバル資本主義世界と道義なき国家権力をどうするか?