29.遺訓第31条 天下泰平・徳治禅譲と戦国時代・武威放伐 天道是か非か! 2022年58

 

遺訓第31条

道を行ふ者は、天下挙て毀るも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。

 

□遺訓第31条の解釈  

道を行ふ者』は、世間の人々の毀誉褒貶の価値基準をはるかに超えて<天命>をあおぐ。『人を相手にせず、天を相手にする』(遺訓第25)、『己を愛するは善からぬことの第一也遺訓第26、修身克己を自らの信念とする人物である。

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ遺訓第30生き方をあえてえらぶ。『自ら信ずるの厚き』人物は、世間の空気に同調せず、<千万人の意見とちがえども吾往かん>の心意気がぶれない。

そういう人物の生き方を理解するには『韓文公が伯夷の頌を熟読せよ』。  

 

◆論点31.1 韓文公が伯夷の頌

韓文公とか伯夷の名前など自分はこれまで聞いたこともない。漢学の素養もなく漢籍を読めないわたしごとき者には『熟読』などできない。その筋の専門家に教えてもらうしかない。ネットを検索してつぎはぎしながら自分なりの理解を以下にまとめる。

 

1)伯夷の頌のポイント

天下挙て毀る人物は、殷の時代の最後の君主である暴君・暴政の悪名高い紂王。

天下挙て誉る人物は、紂王を討伐して周を建国し君主の地位に就いた武王。天下の者はみな周を宗主国とみとめる。周を興した武王を聖人と褒める、武王を非難する者はいない。孟子は、易姓革命の手段として武力放伐をみとめる。

ところが伯夷と叔斉の兄弟は、周の武王に徳をみとめない。その政権に仕えることを恥とする。官位よりも餓死をえらぶ。暴によって暴にかわり、その非に気づかない>武王を許さない。ふたりは天地の道理の本質を篤く信じ、自分の位置をはっきり知る人物なのだ、と韓愈は評価する。

 

2)韓文公は韓愈、(768―824年) 

唐の中期時代を代表する文人政治家、士太夫。当時流行の四六駢儷体に反対する復興運動をおこし散文体の始祖とされる。

その古文復興運動は、仏教や道教の盛行に反して中国古来の儒教の地位を回復する儒教復興と表裏をなす。

 

3)伯夷・叔斉

伯夷・叔斉は、殷代末期、紀元前1100年ごろの兄弟、伯夷が長男、叔斉は三男。父の亜微は、三男の叔斉に王位を譲ることを長男の伯夷に伝えた。

兄は了承、遺言に従って弟に王位を継がせようとした。しかし、弟は兄を差し置いて王位に就くことを辞退。

伯夷は、自分が国におれば弟が王位につけないと思って国を捨てて他国に逃れた。ところが叔斉も自分が王位を継ぐのは<長幼の序>にそむくとして、兄を追って出国してしまった。

国王不在でこまった国の人々は次男の仲馮を王に立てた。

 

流浪の身となった二人は周の文王の良い評判を聞き、周へむかった。しかし、二人が周に到着したときにはすでに文王は亡くなっていた。文王は、殷の紂王に任官された臣下である。

文王の息子の武王が王位を継ぐ。そして宗主国の殷に覇権をいどむ。

父の国をすてた伯夷・叔斉は、武王が呂尚を軍師に立て、殷の紂王を滅ぼそうと軍を起こし、紂王放伐に向かう途中に出会う。

 

周の武王に滅ぼされる殷王朝最後の王は、酒池肉林の放蕩や暴政で史書にのこる暴君の代名詞、義をそこない、善をそこなう、悪評高い紂王の名で知られる。

伯夷・叔斉の二人は道に飛び出し、馬を叩いて武王の馬車を止め、「父上が死んで間もないのに戦をするのがと言えましょうか。臣下の身で宗家である殷の君主・紂王を弑逆しようとするのが、であると申せましょうか!と諌めた。

周囲の兵は怒り2人を殺そうとしたが、呂尚が「手出しをするな! 正しい人たち・義人だ」と叫び、2人を去らしめた。

戦乱ののち殷は滅亡。武王が新王朝の周を立てた。

 

二人は周の粟を食む事を恥とする。<忠臣は二君に仕えず>、周の国を去る。首陽山に隠棲して山菜を食べていたが、最期は餓死。

餓死の直前に下の詩を残したとされる。武王が紂王を放伐して天下を制したことを非難し、太古の有徳の王(神農帝、王の天下泰平・禅譲時代を懐かしんだ歌。

現代語訳

首陽山に登り 山菜をとって暮らそう。 暴によって暴にかわり、その非に気づかない。

神農帝、王の世は今はない。 いずこに行けばよいのか。
ああ、もうおしまいだ。 天命も衰えた。

 

4)孔子と孟子の評価

 伯夷・叔斉は、古代中国の高名な隠者で後の儒教では聖人とされる。孔子は『論語』において、伯夷・叔斉は<事を憎んで人を憎まない人である。だから怨みを抱いて死んだのではなく、他人の過去の悪事をとやかく問わない、仁徳を身につけた清廉潔白の人物だ>として評価する。

孟子は、<伯夷は其の君に非ざれば事えず、其の友に非ざれば友とせず、悪人の朝に立たず、悪人と言わず>と語り。 そして戦国時代における武力放伐の易姓革命を擁護する。

 

◆論点31.2 司馬遷の『史記 伯夷列伝』 

司馬遷は、紀元前130年ごろ中国漢時代の歴史家で『史記』の著者。司馬遼太郎のペンネームの元になった人物。

『史記』は、古代中国の伝説上の黄帝から前漢の武帝まで、二千数百年にわたる歴代王朝の編年史、部門別の文化史、列国史、個人の列伝集からなる。

司馬遷は、伯夷・叔斉が餓死にいたる心境をかたる孔子と孟子の評価を疑問視する。<伯夷・叔斉は怨みを抱いていたのか、抱いていなかったのか>、と問う。

そして伯夷・叔斉は、怨みを抱いて死んだのではないか。義人が不幸な目にあう不合理ではないか、と思う。天道是か非か!と、その思いをふかくして嘆く。

 

人間が経験する不幸や不運に対する、激しい悲しみや憤り。不遇なままにこの世を去る善人たち。悪いことをしながらも罰せられることがなく寿命をまっとうする者たち。

秩序を守らず悪行を重ね、生涯を享楽や逸楽のままに過ごし、富貴にも恵まれた人がいる。

自分に厳しく行動に慎重であり、人から隠れてずる賢く脇道や近道を通って物事を達成しようとはしない人もいる。

「天道是か非か!」―天は善人に味方するか/見はなすか、悪人を亡ぼすか/のさばらすか。威力があっても道義のない者は必ず滅ぶか。天道は、正しいのか、正しくないのか。

この煩悶のゆえに伯夷列伝を『史記』列伝の筆頭におき、『史記』を貫く大テーマのひとつといえる「天道是か非か!」を問いかける。司馬遷は、不正義、不公正、不公平の現実にすこぶる絶望感に襲われるほど悩み、迷いに誘われると言って、歴史の不条理を語るのだ。

 

◆論点31.3 臣下たる者は、君主が道理に反する行いをしたとき、いかに対応するか

❶君主にへつらいひつじのごとく迎合する。

❷自分の信じる筋道・信念・大義をとおす。

誠意をもって忠告・諫言につとめ諫死をも覚悟する。

❹反抗決起して武力をもって放伐・易姓革命に参じる。

❺逃亡・脱俗・隠遁する。

 

西郷は、沖永良部島から召喚されたあとの行動で島津久光を君主とは思わず、その命令を無視、❷自分の信じる【信念大義】の筋道をとおす。

征韓論争における天皇の裁可にたいしては、❺隠遁・逃避をえらぶ。

西南戦争においては、陸軍大将の名において❸「尋問の筋これあり」をかかげ、❹反抗決起して『丈夫玉砕愧甎全』遺訓第5をえらぶ。

 

◆論点31.4 官位を拒否して餓死をえらぶほどの信念 そこに大義があるか? 

西郷は、明治6年の政変にやぶれて<辞闕 官職を辞して朝廷を去る>けれども山中に隠棲して餓死する道を選ぶわけではない。現実の政治状況に絶望し、現実逃避・隠遁をえらび、餓死することを『道を行う』者とみなすとも思えない。

伯夷・叔斉は『命もいらず、官位もいらぬ』始末にこまる人(遺訓第30)の人物像であるか?

また『自らの信念が厚き』者の行動が無条件に『道を行う』ことに通じるものでもなかろう。その信念の内実が、道理の是非の問題となるのだから。

特に<自らの正義感>を振りかざす者は、要注意である。イスラム過激派が、コーランの〈神の道のために奮闘することに務めよ〉にもとづく聖戦の名のもとで、自爆テロ・玉砕する者は、その典型である。

たしかにこういう世にはびこる<天を私する>正義感は、まことに<始末に困る>。

 

◆論点31.5 天下泰平・徳治禅譲と戦国時代・武威放伐 天道是か非か!

西郷は、『自らの信念が厚き』ことの其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ』という。そういわれてもわたしは、漢文はよめない、伯夷の頌など熟読できるわけがない。

だから遺訓第31条の西郷の真意は理解できない。自分流に西郷の心境をつぎのように推察するしかない。

 

西郷は、伯夷を聖人とする孔子・孟子の儒教復興をめざす韓愈に同意せず、伯夷がのこした<天命も衰えた>という詩に注目する司馬遷に共感しているのではないか。

武王が殷の紂王を討伐して周を建国したのは、武王の私心ではなかったのか。徳治禅譲ではなく、武力行使による放伐は、天意にそむくのではないか。

西郷がユートピアとみなす神農帝、王の世は今はない>、<暴によって暴にかわり、その非に気づかない>ことを嘆く伯夷の心境を、わが身における明治6年の征韓論争に応対する朝廷と明治政府の政治状況にかさねているのではないか。

 

西郷は、1862(文久2)年、35歳からの1年半を沖永良部島で「囲い入り」の囚人として、風雨にさらされて生きた。その獄中で膨大な和漢の書を読んだ。

明治6年の政変で下野したときは、西洋文明を紹介する福沢諭吉などの洋学書を読みあさる。狩猟と温泉と読書の隠居道楽生活で200篇あまりの漢詩にその心境をのこす。

征韓論争の評価は<正邪今何ぞ定まらん 後世必ず清を知らんむ>。

世上の毀誉軽きこと塵に似たり 眼前の百事偽か真か>。<朝に恩遇を蒙り夕に焚抗せられる 人世の浮沈は晦明に似たり ・・・生死何ぞ疑わん天の賦与なるを ・・・焚抗とは、焚書坑儒という処罰。晦明とは、天気の晴れと曇り。

  <獄に在っては天意を知り 官に居ては道心を失う>、<謬って京華名利の客となり 市利朝名は我が志に非ず>、辞闕 官職を辞して朝廷を去る>。 

 

軍人政治家たる西郷の<敬天愛人>に結実する【信念大義】の根幹は、命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ』(遺訓第30人生論、修己治人の斉家・治国・天下泰平である。

2022年5月、テレビはプーチン大統領が司令するロシア軍のウクライナ侵攻とその暴虐破壊の非道・地獄の様相を伝える。

あの世から西郷は、万国対峙するこの天下国家群の国際情勢をどう評するであろうか?

 

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