16.遺訓第15条 戦後レジームからの脱却~節義廉恥の道義国家へ 2019330

 

■遺訓第15条  

常備の兵数も、亦会計の制限に由る、決して無根の虚勢を張る可からず。兵気を鼓舞して精兵を仕立てなば、兵数は寡くとも、折衝御侮共に事欠く間敷也。

■遺訓第16条  

節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。

上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘るる時は、下皆之れに倣ひ、人心忽ちち財利に走り、卑吝の情日日長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、相ひ讐視するに至る也。

此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。

徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔時戦国の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。

普仏の戦、仏国三十万の兵三ヶ月の糧食有て降伏せしは、余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。

■遺訓第17条 

正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん。

■遺訓第18条  

談国事に及びし時、慨然として申されけるは、国の凌辱せらるるに当りては縦令国を以て斃るるとも、正道を踏み、を尽すは政府の本務也。

然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。

■遺訓追加二条 万国対峙に孫子の兵法

いやしくも当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読すべ、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。

 

□遺訓第15条から第18条の解釈  ~一寸の虫にも五分の魂

1)国を維持する道は、節義廉恥の志操である。西洋各国も同じはずだ。(第16条)

2)外国交際は、正道を踏み国を以て斃るる義の精神でなければならない。(第17条)

3)当時の形勢は、帝国列強が万国対峙する弱肉強食の時代である。(第16条)

4)日本が米英仏露蘭などから強制された不平等条約は、国の凌辱である。(第18条)

5)ところが政府は、強大な西欧列強に畏縮して順従しているだけではないか。(第17条)

6)政商と結託して財利と銭財を争い、金穀理財の商法支配所ではないのか。(第18条)

7)それでは西欧列強との和親は破れ 軽侮を招き、何かと干渉されてしまう。(第17条)

8)政府の本務は、国の凌辱に当りて、血の出る戦を恐れず、英雄豪傑の節義廉恥猛き心をもって正道を踏み、を尽すことにある。(第18条)

9)勇猛果敢精兵ならば、少数といえども外国から軽侮されることはない。(第15条)

10)常備の兵数は、会計の制限に由り、決して無根の虚勢を張る可からず。(第15条)

11)万国対峙の時代を生き抜くために、古代中国の春秋左氏伝と孫子を熟読すべし。

 

南洲翁遺訓は、その全体の趣旨において、外国交際にかぎらず「明治新政府は節義廉恥を失っている」という西郷精神からの悲憤慷慨の陳述である。

15条から18条は、「国体なき」(遺訓第2)西欧追随の文明開化批判(遺訓第4条、第11)だけでなく、その心底には明治6年の「征韓論」政変において「義」を論じることなき藩閥権力闘争のやるせない徒労感、嫌悪感、虚脱感もあるだろう。

 

◆論点15.1 国を維持する道―節義廉恥―猛き心―国を以て斃れる精神

1)西洋の植民地にならなかった明治維新の最大の功績

戊申戦争は、攻める薩長同盟軍派と守る幕府連合軍派が、国家権力の覇権をきそう内乱である。慶喜の軍隊約14千前後にたいして、薩長土の軍勢力は約5千。

新国家建設をめざして兵気を鼓舞された薩長土の少数の精兵が勝った。

この戦いにそなえて薩長は、イギリスから武器を購入した。幕府軍にはフランスが、背後から武器と戦術を提供した。

イギリス公使は、西郷にイギリス軍の支援を申し出た。西郷は断った。

外国軍隊を自国の内乱に引き込むことは、「国を維持する道」にもとる卑怯な選択であり、恥ずべき精神であり、節義なき恥辱であるからである。

西洋の植民地にならなかった明治維新の最大の功績といわねばならない。その根本は、節義廉恥―猛き心―国を以て斃れる「武士道」精神である。

 

2)武士道 ~文武両道を修練する節義廉恥

西郷は、「百姓はを労し、役々はを労して御奉行を致す『社倉趣意書』)」という。遺訓第3条は「政の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り」とする。

「役々」つまり役人、藩士、家臣、士族である武士が労する「心」とは、封建制をささえた文武両道の修練である。文=道義精神により武=猛き心を抑制する訓練である。

「文」は、日本の風土にあわせた神仏儒の混淆習合、節義廉恥の倫理道徳、西郷の「天道」思想である。「武」は、孫子の兵法の実践である。

明治維新によって、武士の身分の者は幕臣をふくめて、明治新政府の「文官」官僚と「武官」軍人に移職した。

官への道を選択しなかった者たちは、野にくだり「武士の商法」ならぬ殖産興業・資本主義の推進者となった。そこから外れた者たちが、時流にとり残された勤皇攘夷の志士浪人どもと離合集散しながら、不平士族の集団を旧藩各地で形成した。

西郷は、明治6年の「征韓論」政変にやぶれて下野した。その時の心境を「獄に在っては天意を知り、官に居ては道心を失う」と詩にのこす。

※西郷の政治思想の根幹は、国家の為政者に「天意を知る道心」を求めることである

 

3)「道心を失う」明治新政府高官の汚職事件

 遺訓第16条の「上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘る」とは、なにを指すか。

官職に就くのは、功利にたけた者でなく、節義廉恥の徳ある者でなければならぬ(遺訓第1)。重職の地位にある者は、財利とか銭財とかを第一義の価値とするべきにあらず。それは下々の「小人」の領分である。(遺訓第6

「武士は食わねど高楊枝」、利よりも義を優先せねばならぬ。士族たる身分・地位にある者は体面を重く見る気風、矜持、やせ我慢の精神を修練しなければならぬ。「一寸の虫にも五分の魂」。

 ところが現実の明治新政府の高官たちの振る舞いは、いかがなものか。

歴史家の井上清は記す。「驚くほどの高給をむさぼり、広大な邸宅を与えられ、まるで大名暮らしであった。とくに財政経済担当の官僚は、三井組、小野組をはじめ、大商業資本家と結びついてぜいたくをきわめていた。会計官の大隈重信はその典型と見られた。その反面、士族とりわけ下級士族の窮迫を、政府はいっこうに気にもかけない。」( 『日本の歴史20』)

西郷は、このありさまを遺訓第4条に述べて「頻りに涙を催す」のである。

そして、長州藩出身の山県有朋・陸軍卿が関連した「山城屋和助事件」と「三谷三九郎事件」と呼ばれる汚職事件を唾棄叱責して山県の職をはずす。

もうひとつ、おなじく長州藩出身の井上馨・大蔵大輔が関連した「尾去沢銅山事件」。政府権力をもって極悪非道な無理難題をおしつけて、民間人の財産を没収するという「利を争ひ義を忘る」横暴事件である。

西郷は、井上を「三井財閥の番頭」と揶揄する。まさに「官に居ては道心を失う」である。

 

4)築地梁山泊 ~商法支配所

遺訓第18条の「金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆる」者たちとは、だれを指すか。

わたしは、「築地梁山泊」のことだと思う。

大隈重信・外務次官兼大蔵次官の私邸にあつまる面々である。その私邸とは、本願寺近くの武家屋敷跡五千坪の豪邸である。そこにあつまり政治談議にふける連中が、前述の山県有朋、井上馨、伊藤博文など「金に目のない」長州組、渋沢栄一、五代友厚、前島密など資本主義体制をおしすすめるリーダーたち。

中国の小説『水滸伝』に出てくる「天下国家を論じる」豪傑たちの居場所もじって、大隈屋敷は「築地梁山泊」とよばれたのである。

西郷は、それを「血をおそれて」戦いの意志なき商法支配所と揶揄する。

 

5)節義廉恥―猛き心―国を以て斃れる精神

西郷、大久保、木戸らの亡き後の明治政府は、山県、伊藤、大隈らが主導した。

明治国家は、「義と武」の文武両道の修練を捨て、「財と武」を結託させて「野蛮」な西欧列強の帝国主義国家の後を追ったのだ。西郷の精神主義は敗北したのである。

大隈重信は、つぎのように西郷の人物を回顧する。「軍人としては優れた人であるが、政治家としては如何であろう。西郷自身も『自分は政治家に非らず』と言われていた。」「西郷は強固なる意志を有せるに係わらず、人情には極めて篤かった。この情にもろい結果が、西郷の徳をして盛んならしむると同時に、その生涯の過ちを惹き起したのであろうと察するのである。

その大隈は、1915年内閣総理大臣として「対支21カ条の要求」を中国政府におしつけた首領である。そこから韓国と中国に反日ナショナリズムの火を燃え上がらせ、大東亜戦争の泥沼に引きずり込まれていくのである。

国家を破滅させるという「生涯の過ちを惹き起したのは」、西郷ではなく大隈たちではなかったのか。

※なぜ「節義廉恥―猛き心―国を以て斃れる精神」が、八紘一宇をかかげる軍国主義絶対国家の「特攻隊」精神までに換骨奪胎・変節されていったのか。

 

◆論点15.2 西郷は「征韓論」を主導した侵略的軍国主義者か

 明治新政府は、対馬藩が対応していた朝鮮との外交事務の窓口を外務省に変更する旨を韓国に伝えた。韓国は、それまでの慣例とは異なる文書であることを理由に文書の受け取りを拒否した。

ここにはじまるその後の一連の出来事が、未解決のまま明治6年までひきつがれた。そこには政商・大財閥に成長する三井の利権暗躍も関係することを忘れてはならない。

西郷は、板垣退助の積極的な軍艦出動をなだめ、兵の護衛を主張する三条実美の意見をしりぞけ、副島種臣が「自分が行く」というのを断り、兵を率いず「礼冠礼装、烏帽子直垂」を着て、天皇の勅使として派遣されたい、そうすれば、韓国は「軽蔑の振る舞いで使節を暴殺する」事件になるだろうから、そうなれば軍隊派遣の征韓戦争の大義名分がたつではないか、「自分は死ぬ、後は頼む」という西郷の主張が了承されたのである。

※ポイント 西郷がこのとき板垣に書いた手紙にある「内乱をこい願う心を外に移して、国を興すの遠略」をどのように解釈するか。

 

1873(明治6)年8月、留守政府は西郷の朝鮮使節派遣を閣議決定した。

西郷は、欣喜雀躍して「蒙使於朝鮮国之命」と題する漢詩を作った。それは、つぎの句でおわる。

遥かに雲房を拝して霜剣を横たえる

※ポイント この句をどのように解釈し、西郷の心境と外交思想をどのように理解するか。

 

西郷派遣の決議は、岩倉と大久保の「天皇を利用する」詐術によって10月の閣議でホゴにされた。その政変にやぶれた西郷は下野を決意。

西郷にとっては、明治維新の役者のおわりである。明治新政府の官職を辞して朝廷を去り、帰りなん、いざ鹿児島へ。

その時に作った漢詩に心境をつぎのように吐露する。(意訳

/受けた恥をそそんがとして戦略を論ずれば/義を忘れ和平を唱えて反対する

/自分の意見は時勢に合わない/使節遣韓に反対した連中は歓び笑っている

/正邪いまなんぞ定まらん/後世かならず清をしらん

そして獄に在っては天意を知り、官に居ては道心を失うと別の詩で詠むのである

※ポイント 天皇を利用して閣議決定をくつがえしたことが、後の立憲君主制へどのような影響をもたらしたか。天皇機関説や統帥権干犯問題など。

 

西郷を追って600名以上の政府役人の文官・武官たちが職を辞して鹿児島へかえる。西郷は、章典録の私財をなげうち、鹿児島県知事と協力して私学校:銃隊学校、砲術学校、幼年学校(章典学校)を県下に展開する。

漢学古典だけでなく西洋事情教育として外人教師を雇用、優秀な学生は国内および海外に留学させる。農業実習として吉野開墾社を設立。

まさに遺訓第3条の「文武農」の実践訓練である。

※ポイント この薩摩士族の精兵を訓練する意図はなにか。明治10年の西南戦争とどのように関連するか。

 

征韓論争に限らず、西郷を評価する世人の毀誉褒貶の落差はおおきい。

戦後の学者や知識人のなかには、近代政治思想の立場から西郷を否定する者がおおい。西郷を英雄視する庶民感情にどうにも腹がたち、気分をわるくして西郷をきらうのである。

征韓論の主導者―軍国主義の親玉―大東亜戦争の精神的首謀者、時代錯誤で因循固陋の軍人士族の頭領(西南戦争)とみなす者がいる。

「封建主義―農本主義―武力主義」にそまった凡庸にして愚鈍、世界事情に無知で反動的な政治家(征韓論)と蔑む者がいる。

あるいは下々の庶民が英雄視する講談的な偶像(戊辰戦争と江戸城無血開城)にすぎないと斬って捨てる者などがいる。

西郷は、武力討伐の征韓論者・軍国主義者なのか。親善外交の遣韓論者・平和交渉主義者なのか。はたまた死処を求める捨て身の玉砕主義者にすぎないのか。

遺訓第11条:  

実に文明ならば、未開の国に対し、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可き」

遺訓第20条:

何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し。人有りて後ち方法の行わるる物なれば、人は第一の宝のにして、己れ其の人に成るの心掛けが肝要なり。

遺訓第25条:

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。

遺訓第30条:

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

遺訓第40条:

翁に従て犬を駆り兎を追ひ、山谷を跋渉して終日猟り暮し、一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなりと。

※ポイント これらの遺訓の連結をどのように解釈するか。それによって、西郷像と「敬天愛人」思想の解釈の納得感がちがうだろう。

 

◆論点15.3 「万国対峙」する世界に対応するための西郷の時代精神

1)即自―対他―対自

西郷の行動指針は、斉彬の遺志である「自閉的な鎖国体制から万国に対峙する開国体制」への体制変革である。

体制変革には、時間と空間の遠近法における大局的な状況認識と政治思想をもたねばならない。西郷の政治思想の構造を、あえて哲学用語(即自―対他ー対自)に対応させて自分流に解釈すれば、つぎのように整理できる。

◇即自認識 ~外部を遮断して自国自身の内部を見る視点、自閉的な自己認識。

民の生活を豊かにする文明開化と殖産興業、富国強兵、中央集権(強兵国体

◇対他認識 ~自国の立場から他国と関係する視点、他国を知る視点。

アジアの中韓が連帯して帝国主義列強に対抗する東亜外交(アジア主義)開国

◇対自認識 ~自国を対象化して客観視する視点、超越的視点からの自己認識。

球儀から日本列島を俯瞰する世界における日本国の独立(道義)天道

開明藩主の名君と称される島津斉彬が西郷に遺したポイントは、水戸学派(藤田東湖)の「鎖国墨守、無条件攘夷」にくみするのではなく、「やむなく開国、民の力を蓄え、軍備をととのえ、近隣諸国と合従連衡、そして自立攘夷」という戦略である。

西郷は、その遺志を「自閉的な鎖国体制から万国に対峙する開国体制」への思想革命とうけとめて「志」を堅くしたのだ。(遺訓第5条)

※ポイント 道義(対自)―アジア主義(対他)―強兵(即自

 

2)兵気、猛き心

西郷は、明治新政府における岩倉や大久保などのように、会議で机上作業を職務とする文官ではない。身体をはる戦闘現場の武官であり、兵士を指揮する軍人政治家の陸軍大将である。

天下泰平の世の徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔時戦国の猛士より猶一層猛き心を振ひ起さずば、万国対峙は成る間敷也。(遺訓第16条)

この陳述は、近代国家建設をめざす西郷の武断政治家としての時代精神である。

その西郷が、不平等条約の「凌辱」をうけざるをえない小国日本の軍人たる兵士にむかって、恥を知り死をも恐れぬ「武士道」をふまえ、野蛮で強大な西欧列強にひるむことなく、「猛き心」の「兵気を鼓舞する政治思想は、つぎのように図式化できる。

外国交際凌辱猛き心 X虚勢〇正道節義廉恥孫子の兵法正戦破邪

この軍人思想は、万国対峙する明治近代国家の基本方針になったのか? 

その答えは、否!である。

だから西郷は、明治新政府を批判するのだ。そして西郷思想は挫折した。維新革命いまだならず。西南戦争をへて、西郷精神は換骨奪胎されて北一輝などの昭和維新にひきつがれた。

西郷が批判した明治新政府の近代国家建設の結末は、明治と大正の時代につづき「大東亜共栄圏」「五族協和」の妄想に舞い上がる昭和維新の狂乱をへて、1945年の敗戦にいたる、大日本帝国の崩壊だったのである。その約80年の歴史はどのようなものだったか。

 

◆論点15.4 大日本帝国の敗戦に至る外国交際 ~歴史認識の問題

神格化された天皇の「犯すべからざる」統帥権のもと、軍人勅諭を奉戴する大日本帝国の軍国思想の外国交際は、つぎのように図式化できる。

■外国交際海外膨張尊大猛き心X虚勢X邪道野郎自大八紘一宇国家破滅

 この図式の真髄は、「節義廉恥なき猛き心で虚勢を張る武装せる天皇制」である。これを証明する明治維新以降の外国交際―謀略・事変・戦争の事象を日本史年表(吉川弘文館)から列挙する。

 

1)大日本帝国の外国交際の歴史

1870(明治3)年~

岩倉使節団欧米派遣、台湾出兵、ロシアと千島・樺太交換、江華島事件、壬午・甲申事変

1894(明治27)年~

 日清戦争下関条約)、露仏独の三国干渉、北清事変義和団事件出兵)、日英同盟、日露戦争

1910(明治43)年~

韓国併合、関税自主権、日露協商秘密協約、第一次世界大戦に参加、対支21カ条の要求シベリア出兵、尼港事件

1920(大正9)年~

国際連盟常任理事国、九か国条約、中国の排日運動激化、山東出兵、済南事件、張作霖爆死事件

1930(昭和5)年~

 満州事変、上海事件、満州国建国、国際連盟脱退、日中戦争盧溝橋事件)、日独伊軍事同盟、

真珠湾攻撃、米英宣戦布告(太平洋戦争)、・・・・・、広島・長崎に原爆、ポツダム宣言受諾

 

2)アジア主義の源流と変質

「アジアの中韓が連帯して帝国主義列強に対抗する東亜外交」方針は、島津斉彬や勝海州らがとなえ、各種の亜流・反流をうみだしながら総称して「アジア主義」とよばれる。

それは戦争末期においてインドをふくむ「大アジア主義」と「大東亜共栄圏」にまで肥大化して挫折する。その歴史舞台の登場人物たちはつぎの者たちである。

a.明治政府: 西洋列強の政治ルールに従いながら帝国主義を推進する。

b.陸海軍: 天皇の統帥権のもとで武力行使による国権の海外膨張をめざす。

c.政党 : 国会開設後の自由民権運動家たちが離合集散する政党政治。

d.大陸浪人: 反政府の不平士族が韓国・清の革命党派との連帯をめざす。

e.政商財閥: 海外に市場と権益の拡大をめざして上記の者たちと結託する。

f.マスコミ: 挙国一致、報国精神の戦争高揚、アジア蔑視の宣伝。

g.思想家 : 幕末前後の神儒仏老洋の各種思潮の経世思想と国学の突出。

h.移民  : 帝国軍隊の占領地域に移って「王道楽土」の新天地をめざす。

i.一般国民: 在郷軍人、町役人、巡査、教師、神官、・・・・生活共同体。

ここに登場する人物たちには、それぞれに少―壮―老の人生がある。身心頭の欲望をもつ。WillCanMustを意識する。生理―感性―理性をもつ。即自―対他―対自の自己認識の分裂と統合を生き、自己の社会的存在を維持する。

この登場人物たちが渦巻きながら、大日本帝国は中央集権国家として殖産興業と富国強兵の路線を走り、国際連盟の理事国の地位につくまでは成功した。

だがアジア諸国との関係性は、初期の連帯思想(王道日韓合邦)から変節して盟主思想(覇道日韓併合)へ堕落していく。日本近代史の大いなる論点である。

「アジア主義」については最低限の知識を後述の補論15.2で整理した。ここでは1924(大正13)年11月、孫文の神戸での講演の一説を引用しておく。

 

3)孫文の演説

孫文は大隈内閣が突き付けた「対支21ケ条の要求」を撤廃するよう日本に求めたが相手にされなかった。以下の演説は、それにたいするおおいなる落胆の悲憤慷慨、絶望である。

~我々の主張する不平等廃除の文化は、覇道に背叛する文化であり、又民衆の平等と解放とを求める文化であると言い得るのであります。貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。

 

4)美辞麗句の粉飾にまみれた「大東亜共栄圏」の誇大妄想 

「節義廉恥なき猛き心で虚勢を張る武装せる天皇制」は、大日本帝国の外国交際の基本方針をどのように正当化したか。

国家権力の正当化には、古今東西かならず「頭脳をはたらかせ、文字をあやつる」ことを専門にする学者・知識人が動員される。

東京帝国大学の法学部教授たち、京都帝国大学の京都学派をはじめとして、慶応大学の創始者・福沢諭吉、早稲田大学の創始者・大隈重信などから、北一輝や大川周明などの民間学者まで、大日本帝国の「武装天皇制」の「アジア進出」を正当化するために、頭をしぼって論理構成をこぞってひねりだした。脱亜入欧、和魂洋才から大アジア主義まで。

その者たちは、表面上は「不拡大方針」をとなえながらも「朝満蒙の既得権益の墨守」「生命線の維持」を不退転とする政府の本心を追認し、軍人が突出する現場の身体行動に美辞麗句の衣装を着せ、その軍事行動を賛美するために、新聞社と雑誌と学校と町内会などを総動員し、思考停止をもたらす美辞麗句の「文字ことば」を国民の心情にすりこむのだ。(➡軍人勅諭、教育勅語)

国民大衆を洗脳する美辞麗句の例を、平野義太郎の『大アジア主義の歴史的基礎』から抜粋する

~東亜聯盟各民族の盟主として東亜全民族の独立を確保し、その幸福を増進し世界の文明に貢献せんとせることは、日本民間志士における明治十年代からの根本精神であり、朝野の一致した思想動向である。

~全アジアの諸民族が一致団結、同盟軍を結成して白人帝国主義の侵寇を共同防衛し、東洋の衰運を挽回し興亜の大業を醸成するために、大東亜の諸邦が日本を盟主とする大東亜聯盟をつくる。

政府方針に異をとなえる多様な意見の持ち主たちは、ことごとく発禁処分をうけ、検束され、牢獄に閉じ込められ、拷問をもって転向を白状させるか獄死するかの選択を強制された。

資源大国アメリカと比較して日本は、自給自足の経済力、資源力に格段の差のあることを知り、米国への宣戦布告をあきらかに「無根の虚勢を張る」無謀で無責任でむちゃくちゃな小児的思考水準だとひそかに思う者も少なくなかった。

大多数の国民は、逆立ちした「滅私奉公」の道徳を強制されながらも、日々の日常生活においては、神仏儒の「お天道様」がおしえる節義廉恥と相互扶助の精神をもって生き抜いた。そして大本営発表の遠い外地での連戦連勝ニュースに歓喜したのだ。

大多数の国民は、子どもから老人まで「天皇陛下万歳!兵隊さんありがとう!」と日の丸の旗をふるのであった。(2019年の日本人の精神状況、平成天皇と自衛隊への親近感とほとんど同じではないか!?

日本陸軍の軍歌の一節: 天に代わりて不義を討つ  忠勇無双の我が兵は

歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ父母の国  勝たずば生きて還(かえ)らじと  誓う心の勇ましさ

※「天に代わりて不義を討つ」の「不義」とは、何を意味すると国民は理解したのか。

 

5)「心・道義」と「頭・理性」と「身・武力」の統合失調を問題とする現代的意義

他国の土地を占領して我がもの顔でふるまう「節義廉恥」を喪失した状態こそが「不義」である。

この時代状況をもたらした「お上:君臣」とそれを受け入れた「下々:臣民」の「官尊民卑」の明治国家は、「身心頭の統合失調」と解釈するしかなかろう。

このような解釈は、右翼国家主義者が批判する「自虐史観」なのか。

なぜ「心・道義」と「頭・理性」による自省と自制と節制のブレーキ(制動装置を失い、「身・武力」の欲望高揚だけに暴走したのか。

日本を各民族の盟主」とするあきれるほどの「ゴーマン史観」は、いったいぜんたいどこから発生してふくれあがったのか。万世一系の天皇家を八紘一宇の天頂にすわらせる夜郎自大の精神は、人間のいかなる理性のはたらきなのか。

なにが国家指導者たちの「身心頭」の破廉恥な統合失調をうみだしたのか。

この問題は、きちんと整理されずに、ずるずると戦後70年の現代にも引き継がれているのではないか。

上で引用した平野義太郎は、中国研究者にしてマルクス主義法学者とされる。戦後は、日本平和委員会の会長に就任した平和運動家とされるのだ。

敗戦を契機にしてふきだす「平野義太郎」的なる転向・変節、国民大衆の鬼畜米英からアメリカ流民主主義受容への一夜にしての豹変は、いったいどのように理解すべきか。

※日本国憲法第97条の「自由獲得の努力の成果」は、日本人の歴史体験といえるか。

 (百姓一揆とはちがうレベルの下々からお上への抵抗運動は、自由民権運動にはじまる。それは国会開設要求の「ブルジュワ民主主義の限界)をもって終わり、国家権力と資本主義を否定する共産主義・社会主義・無政府主義の社会思想にとってかわる。その社会運動を都市生活者のインテリゲンチャのものだとして反発し、伝統的な村落共同体を根とする急進的な反財閥、反資本主義の農本主義者が登場する。その中間に「大正デモクラシー」と称される思想家から植民地政策に強く反対する政治家、宗教家、文学者たちもいる。中江兆民、植木枝盛、幸徳秋水、大杉栄、内村鑑三、三木清、吉野作造、美濃部達吉、石橋湛山、田中正造、権藤成卿などなど。これらの歴史を現代のわれわれは、どのように受け継いでいるか。」

 

6)節義廉恥を失った野蛮な明治国家 ~帝国主義国家への道

 明治国家は、西郷精神の「王道・正道」を踏み外し、「覇道・邪道」の迷路にもがきながら破滅にむかった。「無根の虚勢を張る」ことなく身の丈のまっとうな「身心頭の統合」制御に失敗したのだ。 

この問題に主体(内部、即自)、②環境との相互作用(境界、対他)③環境(外部、対自)の三つの次元から構成する「主体」認識のシステム思考(哲学)でアプローチする。   

大日本帝国の夜郎自大の「大東亜共栄圏」妄想にいたる破廉恥の根本原因は、「即自―対他―対自」の視点移動をともなう「頭」の認識能力の極端な不均衡をもたらす「島国根性」であるといわねばならない。

西郷なきあとの明治国家は、西郷がめざした「節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らずの天道思想にもとづく道義国家の建設に背をむけ、西欧列強の野蛮国家(遺訓第11)の後追いをしたのだ。

「国を維持する」政治の道義―正邪節義廉恥)判断は、軍人の強弱―勝負強兵)と結託した財閥の損得-功利市場拡大)と殖産興業政策の合理―技術科学技術)によって閉塞させられた。

●この事態を即自認識の過剰肥大、対他認識の我田引水、対自認識の異常疾病とする。

大日本帝国の「身心頭の統合失調」とは、「身」の拡張である武力信仰と「頭」の作用である技術信仰とを制御できない「心」の基盤の堕落、破廉恥である。

◇目的合理性

心身の欲望を実現する頭の働きが、目的合理性である。その認識は、即物的な観察にもとづく対他関係である。西洋の功利思想である。

◇価値道理性

 心身の欲望を自制する頭の働きが、価値道理性である。その認識は、超越的な畏敬にもとづく対自関係である。西郷の天道思想である。

明治国家の『価値道理性と目的合理性』の統合失調は、皇国史観の「国体」に象徴される身心頭の分裂状態にほかならない。

では破廉恥に堕落していくほかない「制動装置」なき夜郎自大の皇国史観にすがりつく淵源をどこに求めるべきか。

それは、日本列島社会の歴史をベースとする明治維新による明治国家の統治機構に求めなければならない。→ 参照: 補論15.1 明治維新を了解するための論点

 

◆論点15.5 開国を強制されて万国対峙にむかう「君臣民」の「心」の混迷

 統治機構からみた明治維新のキーワードを「大政奉還、廃藩置県、四民平等」とする。

1)明治維新による統治機構の革命 

明治維新による鎖国から開国へ転回した統治機構の革命は、1889明治22)年の大日本帝国憲法・皇室典範の発布をもってひと区切りとなる。

 この統治革命は、つぎのように図式化できる。

◇天皇・公家 →大政;徳川家 →国政;藩主・大名・諸家 →平民・農工商

 ↓  大政奉還   ↓     ↓ 廃藩置県       ↓ 四民平等

◇天皇・朝廷・軍隊 政府・国会・政党 都道府県・市町村 町内自治会・隣組

天皇-征夷大将軍―藩主」三層構造の統治体制と「君―臣―民」三層構造の倫理道徳が、大政奉還、廃藩置県、四民平等の大改革によって崩壊した。

大政奉還 ~立憲君主制への変革 

 a.征夷大将軍の廃止

国体:武装天皇制、統治総攬大権、無答責~玉座、君臨すれど統治せず

b.大政と国政の一体化
大政(天皇)-国政(徳川幕府)-藩政(大名家)の領邦国家・幕藩体制の解体、集権化

c.権威と権力の一体化

祭政一致、廃仏毀釈、儒教道徳の解体、国家神道、神国思想、国学皇国史観、教育勅語 

廃藩置県 ~中央集権国家への変革 

 a.万国対峙の国家体制の確立

法治国家、統一通貨・中央銀行、教育制度、殖産興業、国家資本主義(商法支配所

b.国会―政府―官僚機構―都道府県・市区町村・町内自治会の統治体制
枢密院(顧問官)-貴族院(上院)―衆議院(下院)-政党―選挙制度―市民

c.外交機能の拡大

 不平等条約(治外法権、関税自主権)改正、領海周辺の国境関係(清韓露、蝦夷琉球台湾

四民平等 ~士族廃止・徴兵制への変革           

 a.下級士族の官僚化(文官と武官)および民間人(企業家)と不平士族への解体

文武両道の解体、武士道の基盤喪失、軍人勅諭の軍人道徳 

 b.特権的な世襲武士から国民皆兵の徴兵制へ 

  近代的軍隊組織、統帥権独立、陸軍と海軍、旧藩意識の軍閥軍人思想

c.士農工商の序列の逆転 

  民間企業・政商の勃興、資本主義経済、工業化へ外国人招聘、農本主義の時代錯誤

 

2)大日本帝国の「身心頭」の統合失調をうみだした根源 ~島国根性

明治国家建設の主導者は、薩長土肥など雄藩の下級士族と岩倉など下級公家であった。その者たちの思想性の離合集散が、有司専制の明治政府の精神性を規定した。

その精神性を形成した要因をわたしは、天下泰平の世の江戸時代の幕藩体制をささえた「君臣民」構造の統治思想と倫理道徳の攪乱・動揺・破綻に求める。

幕末には「万国公法」の西洋思想もフランス革命の事情もすでに輸入されていた。五カ条の御誓文に「万機公論」「天地の公道」という語句がある。「公」があらためて浮上する。

政治思想における自立した「私」個人と「公」国家の関係の西洋事情の知識である。

儒教の「君臣民」封建制度の「門閥制度は親の敵でござる福沢諭吉)ということで、「君臣」ではなく「公官」の名が文明開化にふさわしいということになった。

「君―臣―民」の三層思想が、中間層を排除して「公―私」「官―民」という二層思想へ変換された。

そしてこの二層を維持する統治思想は、権威と権力と国民生活を一体化して天皇を頂点とする「一君万民」「君民共治」である。(国学者や長州藩の吉田松陰などが主唱

国家を家族の延長とみなす絶対主義国家体制は、下々の国民に向かって国民道徳の「滅私奉公」(教育勅語)を要求した。

西郷が「万民の上に位する者」たちに求める「滅私奉公」が逆立ちしたのである!!

 国家権力者に「私欲の抑制」「無私」「節義廉恥」を求めるべき「滅私奉公」精神の喪失と国民道徳への逆転である。天道が地に落ちた。

王政復古と文明開化をめざす大政奉還、廃藩置県、四民平等による統治機構の改革が、「君臣民」から「公官民」への統治思想の攪乱・動揺・破綻をもたらし、国民全体の「心:こころ」の昏迷、「身心頭の統合失調」をもたらしたのである。

その根源を三つに集約する。             

A:「君」からお飾り「公」へ ~「公」の道義心 → 天皇制 

奉還された「大政」を為す統治能力なき天皇(公家、朝廷)、王政復古の時代錯誤

「国を維持する道」の混迷、国学思想への傾斜、天皇家の神格化、国家統一の象徴

西洋の一神教に対抗する「天皇教」の創設 → 「国体明徴」

B:「臣」の文武両道の解体 ~「官」の道義心 → 官僚制  

島国根性、鳥の目なき井の中の蛙、一寸の虫にも五分の魂、窮鼠猫を噛む

武士道を修練する根拠の喪失、藩の家臣から国家の為政者へ上る意識の壁

儒教から英仏米の政体ではなくドイツ流国家主義の官僚への跳躍、官尊民卑

C:「民」の商の勃興と農の没落 ~「民」の道義心 → 資本制

 資本主義経済の拡大、農本主義の自閉と基盤喪失、農村から都市へ、財閥の勃興 

時代遅れの尊王攘夷の志士浪人と不平士族を中心とする自由民権運動の限界、国権へ

 成りあがり者たちの西洋思想かぶれ、時流とは無縁の平民の神儒仏のお天道様信仰

 

3)明治国家は西郷がめざす道義国家ならず ~節義廉恥の武士道精神の喪失

「天皇-征夷大将軍―藩主」体制の解体による「一君万民」体制は、君臣水魚の精神基盤である統治者としての「道義心」、「滅私奉公」の根拠を崩壊させた。

家臣の藩主への忠誠心が、玉座にすわる天子様の天皇への忠誠心にかんたんに飛躍できるわけがない。

顔をみて、声がきこえる殿様・藩主への忠誠心が、顔もみえず声もきこえない天皇への忠誠心にかんたんに移るはずがない。藩主から受けた「御恩」に「奉公」によってお返しするという封建的な関係になりようがない。

島津藩や毛利藩を「お国」と考える空間思考から境界も定かでない「日本」という空間思考に簡単に飛躍できるはずがない。

その無理を承知で明治新政府の有司専制者たちは、奉還された征夷大将軍の機能をはたすために、「王政復古」「五カ条の御誓文」「大日本帝国憲法」によって「万世一系の天皇家」を政治権力の頂点におしあげざるをえなかったのである。

無理を通せば道理がひっこむ。

薩摩の芋侍や長州の田舎侍の下級士族と京の御所近辺でくらす下級公家たちにとって、地球儀から日本列島を俯瞰し「万国対峙の状況における政治思想」を構築することなどそもそも無理筋であったのだ。島国根性の限界。

文武両道の修練の場を喪失した「文」道義心は、節義廉恥なく虚勢を張る「武」猛き心を統制できなくなった。

武士道精神の「文」道義心は、破廉恥に堕落していくほかない「制動装置」なき夜郎自大の皇国史観に回収されて変節するほかに道はなかったのである。

※参照 No10.遺訓第8条 我が国の本体を据え風教を張る(2018105

    No11.遺訓第9条 天地自然をベースとする「道義国家」の未来像(2018年11月3日) 

 

◆論点15.6 戦後70年の平和憲法と自衛隊と日米同盟の問題 

 明治維新から150年をへた現在の世界状況において、西郷思想の外国交際の精神、「猛き心 X虚勢〇正道→ 節義廉恥 正戦破邪」は、あらためて問い直されるべきだ。

 特に中国と韓国・北朝鮮とは、2000年におよぶ隣国交際の歴史をふまえ、「東洋の王道」精神を共通基盤とし、胸襟をひらき徹底的に協議すべきじゃないか。

1)日本国と国民統合の象徴天皇の問題

 20193月、平成天皇の退位の儀式、三種の神器(剣・鏡・玉)を引き継ぐ宮中祭祀がはじまった。陛下と皇后は、神武天皇を祀る橿原神社で皇祖神に天皇退位を報告する。

日本史における天皇家の地位と政治システムの関係は、時代条件におうじてその様態と思想を変化させてきた。右翼から左翼までくりかえし、むしかえし多様な議論がある。

そこに登場するキーワードを「武」の視点から列挙する。

初代天皇―神武天皇武神―「剣」-殺傷能力―政治支配―古代天皇―権威・神聖性―祭政分離(大政委任)-征夷大将軍(武家政治)―明治維新(大政奉還)-昭和維新―国体明徴―神国神話(神格天皇)―軍国主義国家―敗戦―新憲法―平和主義―象徴天皇

※1 象徴天皇が神器の「剣」を奉じることをどのように了解するか。

 

2)憲法で「戦争放棄」とはいうけれど世界第8位の軍事力をほこる自衛隊の問題

中国は、伝統的な「中華思想」と「中国式社会主義」思想による大国主義をかかげ、陸と海において「一帯一路」戦略で膨張しつづけている。その軍事力を背景に、世界の警察官を自認してきたアメリカと対峙する国際情勢である。

中東アジア諸国の間の紛争と武力衝突もたえない。核兵器の保有/廃絶をめぐる条約交渉を決着させる道筋はみえそうもない。

戦争放棄をかかげる平和主義の日本国憲法のもとで戦後70年、沖縄には強大な米軍基地が存在する。自民党と安倍総理大臣は、憲法9条の改正と緊急事態の追加に執心する。防衛予算は拡大をつづける。

トランプ大統領からは、米軍基地経費負担のさらなる増額を求められる。

戦後世界の国際情勢に対応するために、日本の武力保有・再軍備は米軍主導のもとで、つぎのように拡大路線をおしすすめてきた。

敗戦アメリカ軍の占領→朝鮮戦争勃発→GHQの指令で警察予備隊発足→保安隊に改組強化→米ソ冷戦体制→日米同盟の拡大集団的自衛権の容認→自衛隊の海外派遣 新ガイドライン関連法→憲法第9条改正の自民党草案→普通の国の軍隊へ

いまや陸海空の「戦力を保持する」自衛隊とアメリカ軍基地が存在する日本の軍事費は世界第8位である。

 2016年の軍事予算調査(ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)、単位は億ドル)

① 米国:6,110  ② 中国:2,150  ③ ロシア:692   ④ サウジアラビア:637

⑤ インド:559  ⑥フランス:557 ⑦ 英国: 483    ⑧ 日本: 461

⑨ ドイツ:411  ⑩ 韓国:368   ⑪ イタリア:279  ⑫ オーストラリア:246

※2 この軍事力はなにを目的としているものか。

 

3)敗戦処理の未決と領土境界の問題

北方領土は、ロシアに占領されている。竹島は、韓国に実効支配されている。北朝鮮は、戦後賠償を要求し、日本人を拉致している。中国が領有権を主張する尖閣諸島には、日本人であっても上陸できない。強制収容された沖縄の土地の一部は、アメリカ軍が駐留する治外法権地域である。

「日本に固有の領土である」と政治家たちは叫ぶけれど、国防の現状は国境周辺を隣国に蹂躙されている「国辱」ではないのか。

「領土問題は存在しない」と叫ぶ政治家は、現実から目をそらしてタテマエ主張だけの思考停止状態にあるのではないか。

その思考停止は、外国交際における「アメリカのポチ犬」根性と表裏一体ではないのか。

※3 日本国首相は、世界にむかって「虚勢を張ることなき節義廉恥」の武士道精神を宣言すべきではないか。

 

4)軍事力と国家安全保障の問題

国防省が発表する国防白書は、つぎのようにいう。

~わが国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している

~アジア太平洋地域における安全保障上の課題や不安定要因は、より深刻化

~北朝鮮による核・ミサイル開発などの軍事的な動きは、重大かつ差し迫った脅威

~中国による軍事活動は、わが国を含む地域・国際社会の安全保障上の強い懸念

~ロシアはわが国周辺を含め軍事活動を活発化、その動向を注視していく必要

 治に居て乱を忘れず。備えあれば憂いなし。君子危うきに近寄らず。文事ある者は必ず武備あり。

自衛隊は大規模災害の復旧事業に出動する。自衛隊の存在がひろく国民に支持されている理由である。しかしこの活動は自衛隊の本務ではない。

自衛隊の本来の目的は、外国からの領土侵害と国民生活の破壊攻撃への対応である。

国家の安全と存立をおびやかす緊急事態とは、想定されるつぎのような危険性である。

a.地震および伝染病等による大規模な自然災害、天災 ~地震、津波、・・・

b.国際的な無差別大規模テロ攻撃、核兵器の暴発 ~人種差別、民族紛争、宗教・・・

c.原発事故等による大規模放射能汚染 ~大量核物質保有施設の破壊、・・・・

d.外国からの領土侵害と社会生活の破壊攻撃 ~中国? 北朝鮮? ・・・・

.自給自足できない必需品の輸入の途絶 ~他国の社会混乱、国際会議の決裂、・・

f.国債暴落、財政破綻、金融恐慌 ~経済成長目標一辺倒、借金1千兆円、・・・・・

g.内乱等による社会秩序の混乱 ~琉球沖縄の独立運動?

h.その他想定外 ~巨大隕石の日本列島落下、・・・・

国家安全保障の重要事項を審議する機関は、内閣に設置された国家安全保障会議である。審議内容は、国防の基本方針、防衛計画の大綱、防衛計画に関連する産業等の調整計画の大綱、武力攻撃事態等又は存立危機事態への対処に関する基本的な方針などである。

国家の安全と存立をおびやかす事態は多様である。国防省の専権事項ではないことは明らかだ。

ところが国家安全保障会議は、あきらかにd.外国からの領土侵害と社会生活の破壊攻撃~中国?北朝鮮?・・・・を仮想敵国とみなして、軍事力に偏りすぎている。

アメリカの世界戦略の一環としての日米同盟を不可欠の大前提としているからだ。

※4 中国の軍事力に対抗するための日米軍事同盟は、いつまでも持続可能なのか。

 

5)沖縄の基地問題 ~虫と鼠、狐と犬

 20193月、沖縄県で県民投票が実施された。しかし政府は一顧だにもしない。防衛大臣は「沖縄県に民主主義あり、国家に民主主義あり」と意味不明の言葉でもって「下々は、国防にくちをだすな」と言っているようだ。

「抑止力」としての米海兵隊基地の必要性を「県民と国民にていねいに説明して理解を得ることなく」、ただ中国への恐怖心と猜疑心をもって、ひたすらアメリカへの追従心と依存心を強くしているだけのように見える。

 上に位する者がもつべき「節義廉恥」とは、まことにほど遠い精神といわざるをえない。高潔と卑屈を対比したくなる。

<高潔>: 西郷精神

・一寸の虫にも五分の魂 ~正道を踏み、義を尽くす

  ・窮鼠、猫を噛む ~国を以て斃るるの精神

<卑屈>: 安倍首相と自民党精神

  ・虎の威を借る狐 ~米軍の後ろに隠れて虚勢を張る抑止力

  ・アメリカのポチ犬 ~米海兵隊基地建設に数兆円と予想される税金投入

※5 西郷精神の「節義廉恥の猛き心」を今こそ問いなおすべきではないか。中国の軍事力の意図を徹底的に問いただすべきじゃないか。いたずらに脅威をあおるのではなく。

 

6)国民の戦争加害者ならぬ被害者意識の問題 ~あつものに懲りてなますを吹く

 「大東亜戦争」でアジア各地の占領地域において武器弾薬も尽き果て戦死にあらず餓死にたおれた死者、片道切符の特攻隊出陣で帰らぬ死者、米軍の沖縄上陸作戦による住民の死者、東京大空襲による死者、広島・長崎の原爆投下による死者・・・・・ポツダム宣言受諾、国家主権の剥奪、武装解除、天皇の神格否定・・・・・これらの出来事は、国家最高水準の国辱、凌辱、悲惨であるはずだ。

ところが大多数の日本人は、敗戦を屈辱ではなく歓喜をもってうけいれた。天皇陛下とマッカサ―の両方を受け入れたのだ。

天皇の戦争責任を問う声はほとんど聞こえず、「鬼畜米英」が一夜にしてアメリア占領軍に感謝して追従する精神に反転する。

このことは、国家の凌辱が、かならずしも個人の屈辱に直結するものではないことをおしえる。屈辱と感じた者は、きわめて少数の軍人と軍需利権をうしなう民間の戦争協力者たちだけであっただろう。

そして戦後の日本国憲法は平和主義を宣言した。

戦後70年の安全保障防衛政策は、「日米安保条約(米軍基地)―自衛隊―憲法(9)」という構造によって規定されてきた。

戦争は悲惨だ、非人道的だ、二度と戦争はしない、戦争絶対反対!」の叫びは、臣民ならざる国民の心底からの感情の高揚である。

憲法前文と第9条は、戦前の軍国主義を否定する戦後日本人が希求する平和主義の宣言である。大多数の国民が、戦争は嫌だ!!といって憲法の理念を支持している。

問題は、被害者意識だけが過剰に突出し、加害者意識が軽薄すぎるのではないか、ということだ。

※6 戦後日本人の平和主義は、「国を維持する道」のいかなる政治思想にもとづくのか。

 

7)戦争を知らない世代の「右傾化」の問題 ~喉元すぎれば熱さ忘れる

2008年、当時の田母神航空幕僚長が「日本は侵略国家であったのか」と題した論文を公表して、政府の見解と異なることが問題となった。

今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐え難い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし、私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある」と主張。

日中戦争について「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」、日米戦争についても「日本を戦争に引きずり込むためアメリカによって慎重に仕掛けられたワナだったことが判明している」などと指摘。

内閣による自衛隊の「文民統制」の問題をこえて、歴史認識の問題として、論文への賛否両論をめぐってマスコミをふくめて大きな話題となった。政府は辞職を勧告したが拒否されたので更迭を決定した。

20歳代の若者のあいだに「中国に対抗するためにアメリカとの同盟を強化しろ」、「集団的自衛権に基づいてアメリカと一緒に戦争するのは当然だ」、「沖縄は米軍基地や米軍犯罪を我慢しろ、沖縄で反基地を主張するのは在日で左翼だ、日本から出ていけ」などとネットで公言する時代になった。

国益ファースト、国家主義、権威主義、ナショナリズム、ポピュリズム、反知性主義、反多元主義などの世相である。自由、人権、民主主義を普遍的価値とみなす西洋型インテリ知識人たちへの反乱ではないか。

※庶民的人情論の謙譲と節義廉恥に価値をおく政治思想を創出すべきではないか。

 

◆論点15.7 民主主義国家の文民統制の問題

西郷の軍事思想と戦後憲法の平和主義の関係は文民統制の問題である。虚勢を張ることなく節義廉恥をもった「武」猛き心を、どのようにして「文」道義心によって抑制するか。

1)日本国憲法と西郷思想との共通点 

◇日本国憲法前文

人間相互の関係を支配する崇高な理想、この政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である。

〇南洲翁遺訓第16

 節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。

●外国交際を対等関係とし、政治道徳を表明することが共通点。

 

2)日本国憲法と西郷の政治思想との相違点 

日本国憲法前文

a.平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持。

b.日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動

〇南洲翁遺訓第18条と30

x.国の凌辱せらるるに当りては国を以て斃るるとも、正道を踏み、義を尽す。

y.命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人が国家の大業を成し得る人物

●相違点 政治道徳の実行手段が異なる。

a.-x. 絶対平和主義ではなく軍事思想(:勇猛心)を重視することが相違点。

 b.-y. 国会だけでなく「賢哲政治システム」を必要とすることが相違点。

 

3)文民統制に関する政府の統一見解

平成270306日 衆議院予算委員会における中谷元防衛相の答弁:

「文民統制とは、民主主義国家における軍事に対する政治の優先を意味するものであり、我が国の文民統制は、国会における統制、内閣(国家安全保障会議を含む)による統制とともに、防衛省における統制がある。そのうち、防衛省における統制は、文民である防衛大臣が、自衛隊を管理・運営し、統制することであるが、防衛副大臣、防衛大臣政務官等の政治任用者の補佐のほか、内部部局の文官による補佐も、この防衛大臣による文民統制を助けるものとして重要な役割を果たしている。文民統制における内部部局の文官の役割は、防衛大臣を補佐することであり、内部部局の文官が部隊に対し指揮命令をするという関係にはない。」

戦前の軍部独走を反省して、文民統制をめぐっる国会論戦では、防衛省内の「文官統制」問題、つまり「背広組が文官優位により制服組の武官を統制すること」が焦点となった。

しかしそれは「文民統制」の本質論ではないはずだ。

日本国憲法の理想は、絶対平和主義である。自衛隊は国民への説明では「軍事力を保有する軍隊」ではない、「軍隊も軍人も存在しない」というタテマエになっている。

:勇猛心」などという言葉をもちだせば、戦前の軍国主義を連想させるということで禁句とされる。

問題とすべきは、国会と内閣による「文民統制」の脆弱性と危険性である。

※7 :道義心により:勇猛心を統制する」ための安全保障政策立案、条約改正、立法整備などを所管する統治機構を制度化しなければならないのではないか。

 

4)三権分立立法―行政―司法」による軍人の「文民統制」の限界 

現代の主権国家の経世済民は、「道義心」にもとづくものではなく「法治」にもとづく。

国会―内閣―外務省によって防衛省の武力行使を「文民統制」する機能は、憲法と法律によって制約される。憲法第15条2は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と規定する。

問題とすべきは、国民と国家権力を行使する政治家・公務員との関係性である。

国民の政治への関与度合いは、無関心、選挙投票だけ、街頭デモ活動、党員や後援会活動、政治献金、利権ロビー活動、評論活動、ネットへの発信までさまざまに分布する。国民の政治への要求と評価は、多種多様に分散する。

与野党に分かれる政党政治は、主義主張が対立する権力闘争である。政党は、一部の国民の利害を集約する「中間集団」のひとつの類型でしかない。

議院内閣制における内閣の価値観は、政権与党と一体である。政府が、政権与党を支持する「一部の国民」の代表者に陥る危険性は常に必然的に潜在する。

安倍政権は、内閣法制局長官を恣意的に更迭して政治任命した。解釈改憲により集団自衛権を容認する安保法制の整備を強行する。官邸、内閣府の行政権力が拡大し、国権の最高機関であるはずの国会審議の劣化は目をおおうばかりである。

「お飾り、軽くて薄い大臣」の事例も少なくない。おおくのXXチルドレンと言われる新人国会議員は、「国民の代表者」としての長期的・大局的な視野の見識と能力をもった立派な人物像(賢哲政治家)からはほど遠い。

政権与党の政治家に追従してその心を忖度し、自己保身にきゅうきゅうする高級官僚たちが続出してきた。優秀な学生が国家官僚への就職を志向しない時代になりつつある。

行政をになう高級官僚には、上級国家公務員試験や外交官試験がある。司法をになう裁判官と検察官には、司法試験がある。

専門性が要求される行政職の官僚制度は、本質的に縦割りである。視野狭窄に陥る。

国政をになう国会と内閣による「文民統制」の限界をこえるためには、内閣主導の国政に君臨する権威、つまり国政を対象化する「対自認識」の地位を設置すべきである。

その地位が、南洲翁遺訓第1条の「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふ」の「大政」にほかならない。

「大政」をになう者は、無私無欲、滅私奉公、節義廉恥プラス大局をみわたす総合的な知見と洞察力をもった「賢哲公務員」でなければならない。

ところが現実は、国権の最高機関である国会を構成する国会議員には、選挙という「試験制度」しかない。

※8 政治(選挙等による選抜)と行政(専門試験・能力による選抜)という「政と管」、「公と官」、「永田町と霞が関」の二分論は、主権在民の視点からみて根本的な欠陥ではないか。

 

◆論点15.8 江戸時代から現代までの国家統治機構における「大政」の地位の変化

国政にたいして権威をもって君臨する「大政」の地位は、歴史的に変化してきた。

1)幕藩体制

<天下―日本>天皇(宮中)―徳川家(幕府)―300諸侯(藩)―国民(社会生活

  天下は日本の領土範囲。天皇は天子様。国は藩のこと。お国自慢は郷土自慢。

世界の中の日本を対象化する「対自認識」訓練なし。島国根性の中華思想の一種。

大政は天皇家から国政をになう武家政治の征夷大将軍に委任。天皇は祭祀の神主。

2)明治国家

<天下―万国対峙-日本>天皇(軍隊)-憲法―国家統治機構―国民(社会生活

  天下に諸国あり。日本はそのひとつ。日本を対象化する「対自認識」の夜郎自大化。

  大政なし、国政と一体化した天皇制全体主義国家。「文民統制」の概念なし。

3)戦後国家

<天下―世界(国際機関)-日米同盟―日本>憲法―国家統治機構―国民(社会生活

天下に諸国連合の国際機関あり。日本は日米同盟の傘の下。「対自認識」の未成熟。

大政はアメリカ依存。平和主義をかかげる憲法に「大政」を為す統治機構なし。

4)今後の展望

<天下―世界(地球警察)-日本>改正憲法―今後の国家統治機構―国民(社会生活

アメリカ依存の大政を自国の統治機構に組み入れる。憲法改正の必要性。

※9 道義心にもとづく「対自認識」により軍事力を抑止する「大政」を、現代の政治システムにどのように組み込むか。日本列島の島国根性から地球村の村民精神へ。

 

◆論点15.9 国家統治機構の抜本的な改革 ~憲法改正の必要性

西郷の「節義廉恥―猛き心―国を以て斃れる」精神が、なぜ八紘一宇をかかげる軍国主義絶対国家の「特攻隊」精神までに換骨奪胎・変節されていったのか。

その理由は、大政と国政をになう国家の為政者に「天意を知る道義心」を訓練する人材育成制度、②選抜制度、③権限制度の統治機構の設計に失敗したからである。

※遺訓第20条:何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し。人有りて後ち方法の行わるる物なれば、人は第一の宝のにして、己れ其の人に成るの心掛けが肝要なり。

 

1)大政と国政の分離 ~グローバル社会における西郷の政治思想の現代的意義

明治維新によって西郷がめざした天皇制近代国家建設の政治思想は、遺訓第1条に凝縮されている。その思想の核心はつぎの論点である。

◇論点1.1 大政と国政の分離 ◇論点1.2 廟堂と政府の分離

◇論点1.3 天道と公道の区別 ◇論点1.4 権威と権力~破邪顕正

◇論点1.5 徳ある者に官職、功労ある者に褒賞~人材登用

この論点の現代的意義を、古代中国の政治思想である儒教の「修身―斉家ー治国―平天下」に対応させて、「道義大政―法治国政―自治共政」三次元政治システムの構築に応用する。

 天  ・・・・・・・・・・・  地   ・・・・・・・・・・・ 人

平天下  ==> 治国   <== 斉家・修身

道義大政 ==> 法治国政 <== 自治共政

<トップダウン> <文武権力>  <ボトムアップ>

憲法    → 立法・行政・司法 ← 公共の福祉(人権

君・賢哲聖人 →  臣・百寮百官  ← 民・経済生活

天道(破邪) →  公道(国道)   人道(顕正

権威(天意) →  権力(国権)   民権(人情・相互扶助

<敬天*愛人類> <敬天*愛国民> <敬天*愛隣人>

この構想は、幕藩体制の「天皇-征夷大将軍―藩主」の統治機構を、<権威と権力を分離する>という視点から解釈しなおして、<戦後レジームからの脱却>をめざす今後の政治システムに写像変換したものである。

西郷の政治思想は、民主主義を包摂する「堯舜の世」を理想とする哲人政治である。

※ポイント 国政をになう国会議員の上位に、大政を為す<権威>としての「賢哲公務員」をおき、戦前の元老院・枢密院を変形して現代版民主主義の「憲法の番人」とする。

 

2)道義大政をになう「賢哲公務員」の人間像  

 哲人政治を為す「賢哲公務員」とは、つぎの人間像である。

遺訓第1条:大政を為すものは、ちっとも私を挟みては済まぬもの也。

遺訓第2条:賢人百官を総べる者。

遺訓第4条:下民が気の毒に思うほどに職事に勤労して人民の標準となる者。

遺訓第5条:丈夫玉砕して甎全(志なく長生きするだけ)を愧じる者。

遺訓第6条:世上一般十に七八は小人なれば、能く小人を小職に用いる者。

遺訓第7条:正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からざる者。

遺訓第8条:我が国の本体を据ゑ風教を張り、その後で西洋の長所を斟酌する者。

遺訓第9条:忠孝仁愛教化の道を政事の大本にする者。

遺訓第10条:国に尽くし、家に勤るの道を明らかにする者。

遺訓第11条:未開の国に対しなば、慈愛を本とし懇懇説諭して開明に導く者。

遺訓第23条:己に克ち、身を修する者。

遺訓第25条:人を相手にせず、天を相手にする者。

遺訓第26条:「己を愛するは善からぬことの第一也」の修業を怠らぬ者。

遺訓第30条:命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

3)道義大政システムの設計方針

:道義心により:勇猛心を統制する」道義大政システムを以下の考え方によって設計する。

兵力=軍隊=武力の目的は、「国民の幸福」を阻害する脅威の排除、「破邪」である。

外国の「脅威」レベルの判断は、総理大臣・内閣・国防大臣・外務大臣・軍隊などの行政権力の権限とすべきではない。

③議院内閣制の総理大臣と内閣は、政権与党の党利党略にもとづく判断におちいる危険性を潜在的に有するからである。

④外国交際の基本方針策定は、節義廉恥の「政治道徳」にもとづいて「破邪顕正」の判断を提示する「権威」機関の権限でなければならない。

⑤自衛隊の兵力構成、国防予算規模、日米同盟のあり方、武力行使の程度などの指針を、行政権力に提示する「権威」機関の設置には、国家統治機構の改革と憲法改正が必須となる。

⑥立憲民主主義の政体においては、憲法が国家権力の行使を抑制する機構であるので、「権威」機関の名を「憲法議院」と称する。参議院は廃止。衆参憲法調査会を吸収。

⑦主権在民の政体においては、国民の総意が国家の最高「権威」であり、現世代だけでなく将来にもわたる多種多様な国民の総意は、「憲法議院」の憲法議会の審議によって集約されなければならない。(AI;人工知能の活用が必須

⑧憲法議会を構成する憲法議員は、政党政治から距離をおいた無私無欲の命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ」人物=賢哲政治家でなければならない。

⑨そのような人物の育成と憲法議員の選挙と憲法議院の設置のためには、「抜本塞源」の憲法改正と政治システム改革が必要となる。

 

4)道義大政システムの構成

 哲人政治を実現するための政治システムを以下のように構成する。

A:民意収集システム ~「国立世論調査機関」を新設

B:賢哲公務員風教システム ~国家の指導者を育成する「国立政経塾」を新設。 

C:憲法議員選挙システム ~憲法改正による憲法議院「憲法番人」を新設。

D:政策立案システム ~「国立シンクタンク機構」を新設。

E:公務員選挙システム ~憲法改正による統治機構の変革と連動。

F:国政実績開示システム ~国民の「要求と評価」の達成度を開示。

X:憲法改正草案の作成 ~AとBとDを実現した後でC、E、Fを制度化。

 

5)道義大政システムを構成するサブシステムの機能関連

A.国家の政策は、何にもとづいて立案されるか。

それは、「民意」つまり国民および外国からの日本政治への要求や意見である。政策立案のためには、民意を収集して整理した「民意データベース」を管理するA:民意整序システムを必要とする。

B.政策立案に責任と権限をもつ「賢哲公務員」をどのように育成するか。

それは、政治家と高級官僚の公務員志望者を育成するB:賢哲公務員風教システムである。風教とは、頭・知性と心・道義の左脳と右脳を修練すること。節義廉恥の道義心。

風教システムは、民意データベースにもとづく政策立案のケーススタディーを柱とする。

C.政策立案に責任と権限をもつ「賢哲公務員」をどのように選挙するか。

 それは、憲法議院のC:憲法議員選挙システムである。

 憲法議員の立候補者は、B:賢哲公務員風教システムによって認証された特別な資格所有者でなければならない。

 憲法議員の選挙人は、政治意識調査による一定の評価を受けた者とする。

D.政策は、どのようにして立案されて、どのように利用されるか。

 それは、D:政策立案システムによって、憲法議院を構成する憲法議員が合議して「政策代替案」を作成する。

合議のベースになるのは、民意データベースとF:国政実績開示システムによって作成された国政実績データベースである。

 作成された「政策代替案」は、法治国政システムの「立法府」である衆議院にたいして「政事国策要求仕様書」として提供される。

法治国政システムの衆議院(国会)と政府は、政策と立法と予算を決議する。

E.衆議院の国会議員は、どのようにして選挙されるか。

 それは、国政レベルの衆議院と共政レベルの地方自治首長と地方議会の議員を選挙するE:公務員選挙システムである。E:公務員選挙システムの立候補者は、B:賢哲公務員風教システムによって認証された特別な資格所有者でなければならない。

 立候補者は、D:政策立案システムによって作成された「政事国策要求仕様書」への意見表明を選挙公約としなければならない。

 選挙人は、政策選択と立候補者選択の両方に投票する。

F.作成する政策案が憲法の規範をはずれるときは、どうするか。 

 それは、X:憲法改正草案作成システムによって憲法改正草案を作成し、衆議院に上程する。衆議院が憲法改正を発議し、国民投票をおこなう。

 

6)賢哲公務員とAI(人工知能との協業

国家安全保障政策にかぎらず現代の主権国家の政策立案は、通常の人間たちの人智をこえるものとなっている。有識者の専門家は蛸壺化せざるをえない。

多面的かつ長期的な視点から大政を為す憲法議会は、複雑きわまる「天網恢恢疎にして漏らさず」の世の中の因果関係を、主観的な利害関係に拘束されず、不偏不党の立場で洞察できる、最高の知性と人格をもった人物集団でなければならない。

それでも整合性をもった公平で合理的な政策体系の設計は、「賢哲」といえども人間の能力には限界がある。

したがって、大政システムの実現にはAI(人工知能)技術の活用が必須である。

感情をもたないAIが、目的合理性にもとづき政策代替案の集合を生成する。

感情をもった憲法議員が、価値道理性にもとづき政策案の波及効果を評価する。

その結果を国家政策体系の公約代替案集として「政事国策要求仕様書」に編集する。

 「政治」を語るだけでなく、「政治システム」を語ることにもっと目を向けよう。

西洋型インテリ知識人たちがとなえる「自由、人権、民主主義」の普遍的価値の代わりに、庶民的人情論の謙譲と節義廉恥に価値をおく政治システムを創出すべきではないか。

 

以上  No.15へ    No.17

 

◆補論15.1 明治維新を了解するために必要となる歴史認識の論点

明治維新は、現代までつづく近代国家建設の起点である。その歴史認識は、玉石混交の花盛りである。それらの発言を評価するための論点を思いつくまま列挙する。

これらの論点をどのように料理するか、人それぞれの「身心頭」の欲望のありようによって、壮大なる思弁体系から個人的な感想文あるいは幼児的な感情表出までに分布するだろう。

A:日本列島社会の国家形成史、統治機構、外国交際の歴史など

・狩猟採集漁労を生活基盤とする縄文人の「身心頭」の統合性と武力機能

・日本列島の征夷の歴史、熊襲・隼人・蝦夷・琉球・アイヌの征服、日本民族の重層性

・奈良時代以降の日本が外国軍と国内で地上戦を戦った経験がないことの意義

・幕末の海外雄飛の空想的虚勢思想、東亜先覚志士、北方領土画定の探検行動

・西欧列強への恐怖心、海防問題、ロシアへの脅威、日英同盟、米国一辺倒

・朝鮮、支邦への侮蔑心、「強」への恐怖と「弱」への尊大の共存、アジア主義の変質

・中華思想(華夷思想)、対等思想なき上下思想―支配・冊封または従属・朝貢

B:日本人の戦争観、武力行使の道義心、破邪顕正の判断者と執行者、宗教心など

・大政委任と奉還、征夷大将軍の地位継承と天皇の統帥権、武力行使の判断能力

・国士、勤皇志士浪人、国学、国家神道、天皇教、キリスト教、一神教、守護神、お天道様

文武両道、和戦両様、学問と武芸、節義廉恥、猛き心、恥の文化、死生観

武士道、身分の高い者の社会的責任と義務、滅私奉公、ノブレス・オブリジェ

C:島国根性の風土性、感性、世界観、自然観など

・王政復古と文明開化、脱亜入欧、東洋の道徳・西洋の技芸、和魂洋才、和洋折衷

神儒仏三道融和、西洋思想、進歩史観、啓蒙思想、理性信仰、諸行無常、万物流転

・国家資本主義、商法支配所、拝金主義、財利銭財、政官財学の癒着、商人道徳

・幕末と明治初期の思想家たちの土着性・風土性の再評価 ~普遍性と固有性

 

◆補論15.2 アジア主義について

孫文の神戸での演説は、「大アジア主義という名で粉飾した日本への失望と日本のアジア主義が帝国主義へと変貌してゆく危機感、絶望が込められていた」と解釈される。

日本の大アジア主義は、西洋列強の圧迫下にあるアジア諸民族への同胞・被害者意識にもとづく連帯論とアジア諸民族への蔑視にもとづく膨張侵略論が交錯しながら展開した。

竹内好は、『日本のアジア主義』(1963年)において、「アジア主義」の源流とされる1880年代の状況をつぎのような段階にわけてその変遷を要約する。

その変遷は、私欲なき素朴な「隣国連帯」主義から私欲が充満する傲慢な「大アジア君臨」主義への見通しである。

 1―玄洋社の転向と天佑侠

 2-大井憲太郎と大阪事件

 3-樽井藤吉と『大東合邦論』

 4―福沢諭吉と中江兆民 ~「脱亜論」 と「三酔人経綸問答」

岡倉天心には『東洋の理想』がある。吉野作造が推した宮崎滔天には『三十三の夢』がある。内村鑑三は『代表的日本人』で西郷隆盛を論じる。内田良平は『日韓合邦秘史』をのこす。

 大アジア主義の大勢は、日本とイギリスおよびアメリカとの関係の悪化、中国のナショナリズムの自覚高揚にともない、日本主義や皇道主義と結び付き、右翼団体に担われた独善的な盟主気取りの連帯論となり、日本のアジア支配を根幹とした東亜新秩序、大東亜共栄圏の妄想となり、政府・軍部の大陸侵略策を正当化するイデオロギーになった。

 東洋と西洋、野蛮と文明、反財閥と反西洋の情念、日本人の優性思想と人種差別など多様な心情を織り込みながら、国家破滅にいたる「アジア主義」の行動履歴を以下に概観する。    

1873年征韓論沸騰  1874年台湾出兵  1875年江華島事件 1880年興亜会設立

1881年玄洋社設立

1885年福澤諭吉の「脱亜論」 1891年 東邦協会設立 1893年 殖民協会設立

1893年 樽井藤吉の『大東合邦論』  1894年 天佑侠結成、日清戦争 

1897年 東亜会設立 1898年 東亜同文会発足 1900年(義和団の乱)北清事変出兵

1901年 黒龍会結成 1904年 満州義軍結成 1905年 中国同盟会設立、日露戦争

1906年 南満州鉄道株式会社設立  1910年韓国併合  1911年 辛亥革命

1915年 世界大戦参加、対華21カ条の要求、南洋協会設立 1921年台湾文化協会創立

1922年 世界紅卍字会設立  1927年山東出兵、済南事件 1928年満州某重大事件

1924年孫文の大アジア主義講演  1932年満州国建国宣言 1933年昭和研究会設立

1937年日中戦争(盧溝橋事件)

1938年 三木清の「東亜協同体論」 1940年 大東亜の新秩序建設理念確立

1943年大東亜会議開催 1945年ポツダム宣言受諾

※主要な人物

曽根俊虎 頭山満、小沢豁郎、白井新太郎、副島種臣、吾妻兵治、岡本監輔、依田四郎、岡倉天心、植木枝盛 樽井藤吉 犬養毅 頭山満 広田弘毅 内田良平 武田範之 大井憲太郎

宮崎滔天、梅屋庄吉、北一輝 近衛篤麿 広田弘毅 岸信介、大川周明、松井石根 三木清 

蝋山政道 尾崎秀実 新明正道 三浦襄 平野義太郎 町井久之(鄭建永) 児玉誉士夫 

鹿島守之助 その他有象無象

※政商・豪商の一部: 戦争協力による商売繁盛

「高田屋喜兵衛」樽廻船屋   「濱口梧陵」醤油製造業、
「13代伊藤次郎左衛門祐道」呉服小間物店、震災等の古着など

「5代嘉納治兵衛尚正」酒酒造  ・ 「近藤茂左衛門弘方」飛脚、酒屋、薬屋

「白石正一郎」廻船業   「山本覚馬」造船 最新武器輸入
「鴻池善右衛門幸富」 酒造業、海運業、金融業   「8代濱崎太平次」海運業、武器調達
「福田理兵衛」材木商   「飯田新七」呉服商 古着   「大倉喜八郎」武器調達

「初代伊藤忠兵衛」呉服商 武器調達、  「三野村利左衛門」両替商 三井組

「トーマス・グラバー」武器売買 蒸気機関車を導入   「藤田伝三郎」軍需品

「岩崎弥太郎」 海運業、鉱業、金融業、造船業、軍艦、鉄砲、弾薬等 
※北支事変、支邦事変、上海から南京へと占領地域の拡大、戦争はもうかる。

~このどさくさを利用せんとあきまへん・・・・・・そういうのが充満している。現地の軍人や商人たち、中国人への勝手気ままな不法行為、無理難題の荒稼ぎ、アヘンの売買にまで手を染め、戦勝気分にうかれて日中から酒をあおってバカあそび

~不景気風が世人の身に染みてくると、市民のなかには、いっそ戦争でも起れやええがな、出きれや外国同士がポンポン撃ち合って、こっちが高みの見物なら越したことはないがと、虫のいいことを希望するものも少なくなかった。

~戦争を利潤獲得の手段として兵器などの軍需品を生産・販売する資本家と企業。しばしば戦争挑発の一翼をになう。

~西南戦争の前線と、物資集積地の福岡との中継地点になった久留米市中の商家は、軒並み「未曾有の大繁盛にて…中には一時数百金の利を得たるものある中に…」と物資調達で活況を呈する久留米の商人の状況を新聞は伝えている。

~官軍の武器弾薬兵糧等の輸送は、三菱のような民間業者に委託していた。三菱は、ぼろもうけ。

※なにが軍縮と武器廃絶を阻害しているか。

朝鮮戦争の勃発によって、アメリカ軍からの日本国内の各種企業に対する発注が急増。この受注によって輸出が伸び、日本経済は戦後の不況から脱することができた。

米国は、軍産複合体といわれる巨大化した軍部と軍事産業との相互依存体制により、世界にたいして政治的・経済的に大きな支配力をもっている。

 沖縄の普天間から辺野古への米軍基地移転は、防衛省発注の「公共事業」を受注する業者の利権の場である。

 国家資本主義体制の政府は、西郷のいう「商法支配所と申すもの」に非ざるか!

 

◆補論15.3 孫子の兵法と戦争論

孫子は、古代中国の紀元前5世紀から4世紀頃に成立したと推定されている書。

「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」などなど目先の戦闘論ではなく、あくまでも経世済民の政治との関係から実践的な武力行使を論じる。

 江戸時代には、おおくの『孫子』注釈書があらわれたが、明治時代の陸軍と海軍は近代的兵学のドイツ流兵学を採用し、『孫子』が注目されることは少なくなっていく。

 クラウゼヴィッツの近代的『戦争論』は、孫子とはちがって、軍事力の正面衝突、敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒、国家間の凄絶な総力戦を論じる。 

いまでも『孫子』・『戦争論』とも高級指揮官教育において不可欠な教材とされ、日本の防衛大学校では第二次世界大戦敗因への批判的分析から研究されているそうだ。

西郷が「孫子」を推奨するのは、武力行使の道義的自制=節義廉恥に着目するからだろうとわたしは思う。

 

◆補論15.4 『戦争と平和の法』 にはじまる戦争抑止の論理と人類の知恵 

オランダの法学者、「自然法・国際法の父」と称されるフーゴ―・グローティウスの著作。

ドイツを中心にした宗教戦争(三十年戦争の災禍を経験して「野蛮人でも恥とするような戦争に対する抑制の欠如」を問題とする。

戦争の防止や収束、残虐行為に対する緩和を説き、人類の平和維持の方策を模索し、自然法の理念にもとづいた正義の法によって為政者や軍人を規制する必要があると考え、戦争をいかに規制するか、正当な戦争と不正な戦争を区別する国際法が必要であると主張。

古来より戦争は紛争解決の最終手段として用いられ、戦争は違法なものではなく、単に戦争の方法に関する戦争法規があるだけだったから。

近現代の戦争は、非戦闘員までもまきこむ大量殺りくとなる一方で、戦争抑止の条約や宣言などによる平和への努力はくりかえし為されてきた。

1795年 カントの『永遠平和のために』~常備軍の撤廃。

1791年 フランス91年憲法の「征服をおこなう目的でいかなる戦争を企図することも放棄」の規定。

1899年 ハーグ平和会議で「非人道的な毒ガスなどの武器使用の規制、略奪・私有財産没収・非武装都市の攻撃の禁止」などの規定。

1920年 第一次世界大戦の後、国際連盟は「戦争に訴えざるの義務」を規定。

1928年 パリ不戦条約 ~戦争の違法化

締約国は国際紛争の解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する」。ただし「国際連盟の制裁として行われる戦争」および「自衛戦争」は対象から除外

1945年 第二次世界大戦の後、国連憲章は「国際紛争を武力による威嚇又は武力の行使ではなく平和的手段により解決すべき」を宣言。

1949年 ジュネーブ諸条約―国際人道法は「国際武力紛争において敵を害する方法と手段の制約」「戦争犠牲者、戦闘不能になった要員、非戦闘者の一般個人の保護」を規定。

    NO.15へ    No.16のトップへ   No.17へ 

以上