19.遺訓第21条 政治システムの改革は抜本的な公職選挙法改正が第1歩 2020年2月3日
■南洲翁遺訓第21条
道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は「無意無必無固無我」と云へり。
総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。よく古今の人物を見よ。
事業を創起する人其の事大抵十に七八迄は能く成し得れども、残り二つを終り迄成し得る人の希れなるは、始は能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕はるるなり。
功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼戒慎の意弛み、驕矜の気漸く長じ、其の成し得たる事業をたのみ、苟も我が事を仕遂げんとてまずき仕事に陥いり、終に敗るるものにて、皆な自ら招く也。
故に己れに克ちて、観ず聞かざる所に戒慎するもの也。
◆遺訓第21条の解釈 ~西郷がもとめる政治家・公務員の人物像
西郷の政治思想をつたえる南洲翁遺訓は、国家の「政柄を執る賢人」(遺訓第1条)=「賢人百官を総べる者」(遺訓第2条)=「万民の上に位する者」(遺訓第4条)=現代の国家権力者=政治家・公務員=「正当に選挙された国会における代表者」(日本国憲法前文)=「国民全体の奉仕者」(日本国憲法第15条)に要求する政治倫理である。
政治家・公務員は、つぎのような人物でなければならない。
※万民の上に位する者
己を慎み、品行を正しくし驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。(遺訓第4条)
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。(第25条)
己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。(第26条)
命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。(第30条)
◆論点21.1 「敬天愛人」の普遍性と西洋帝国主義の野蛮性
「敬天愛人」を目的とする経世済民=忠孝仁愛教化=節義廉恥の政治倫理は、近代国家の西洋の政治においても同じであるはずだ。西郷は、つぎのように述べる。
※遺訓第9条
忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、万世に亘り宇宙にわたり易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。
※遺訓第16条
節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。
西郷は、「西洋の刑法」について「実地が手に行き届いている、実に文明じゃと感ずる也」(遺訓第12条)といって、「罪を憎んで人を憎まず」の人道主義を評価する。
ところが、かえす刀で「西洋は文明国などではなく、残忍なことをする野蛮じゃ」という。
※遺訓第11条
文明とは道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やらちっとも分らぬぞ。
「西洋は野蛮じや」、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」。
西郷は、イギリスの歴史やフランス革命の経緯について翻訳書で知識を得ていた。福沢諭吉の『西洋事情』や中村正直の『西国立志編』も読んでいた。アメリカ独立戦争の英雄・初期大統領のワシントンを尊敬していた。『那波列翁伝』は愛読書のひとつであった。「功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、・・・終に敗るるもの」とは、ナポレオンの栄枯盛衰を示唆しているのかもしれない。
アメリカには奴隷制度があること、フランスやイギリスが「未開の国」のアフリカとアジアを植民地にして、自国の私利私欲・国益をほしいままに追求していること、「眠れる獅子」の清国がアヘン戦争でイギリスに敗れたこと、なども知っていた。
「道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」でなければならないはずだ。
しかし現実は、そうではない。
市民革命と産業革命以降の西洋思想は、政教分離の法治思想をかかげ、「天地自然の道理」を畏れず、怖いものなし。
勃興したブルジヨワ・市民階級が資本をあつめて株式会社をつくり、貪欲に私利私欲を追求し、尊徳感情なき損得勘定だけの功利主義賛歌ではないか。
世界に覇をきそう西洋列強の帝国主義国家の指導者は、節義廉恥の「義」を投げ捨て、「経世済民」の「慈愛」精神を換骨奪胎し、自制心なき「自由・自愛・自利・自欲」の資本主義経済を是とし、もっぱら利潤拡大をめざす「利」を至上価値としているではないか。
己を愛し、私利私欲を追求する、節義廉恥なき西洋は野蛮じや。
◆論点21.2 節義廉恥などどこ吹く風のエリート「上級国民」の増殖蔓延
西郷思想の真髄は、明治新政府の「文明開化」を「野蛮な西欧」への追随とみなす政府糾弾である。西郷は、天道=正道にもとづいて明治維新の『再革命』を目指し、西南戦争に突入した。そして玉砕自爆したのである。
それから約150年後、2020年の世界文明はいかなる状況にあるか。
地球温暖化による各種の異常気象、海洋異変、生態系の破壊だけではない。経済生活の極端な貧富格差、難民の増加、宗教・民族紛争、核兵器ほかの軍拡競争、罵詈雑言の分断メディアなどなど、人類社会の持続性が危機的状況にある。
GAFAに代表される一部の私企業集団が、グローバル経済市場を支配している。国境に閉じて「先進文明国家」を自称する国家群は、「己れを利する野蛮」きわまる自国ファーストの国益競争をくりひろげ、あらたなナショナリズムの勃興期といえる様相である。
民主主義を標榜する国家の政治と経済の指導者も、「節義廉恥を失ひて」、その権力を恣意的に操っている。
国連は、人類社会の危機的状況に対応するために、SDGs(持続的開発目標)をかかげているが、それは砂上の楼閣の文書に終わるかもしれない。
現代日本の社会状況に目をむければ、欧米流の物質的に豊かな「文明開化」の絶頂期にあるようにみえる。だが福祉国家をささえる社会保障制度の持続性は、あきらかに危険水域に近づいている。
政治家たちは、便利で安楽な物質文明の豊かさを維持するために、自由市場と資本主主義の経済政策による「経済成長」をはてしなく追い求める。
たとえば横浜市長は、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業を重点政策とする。その「経済成長」エンジンには「節義廉恥」のブレーキ装置が不在である。
近代西洋思想の資本主義経済が意味する「経済」には、古代中国思想の「経済」が意味する「経世済民」の道義性が欠落しているのだ。
資本主義経済の成長をかかげる「アベノミクス」の宣伝だけで政権を維持する安倍内閣の政治状況をみよ。
公文書の改竄、隠蔽、ウソ、ごまかし、はぐらかし、へつらい、傲慢、自己保身、空虚な言葉の羅列。お友達内閣、政治の私物化。公私混同というよりも「公」精神なき「私」への堕落。
世襲政治家と東大出身の高級官僚と大企業経営者およびその取り巻きなどのエリート「上級国民」層に、権力欲と財産欲にまみれて地位と権力を行使する「せこい、卑しい、浅ましい、みっともない」、節義廉恥などどこ吹く風の恥知らずな人物が増殖蔓延している。
「人間の解放」を標榜して近代国家の価値観を正当化してきた西洋流の哲学、法学、政治学、経済学の「学問の権威」が揺らいでいる。
◆論点21.3 夜郎自大のゴーマンな人間中心主義
産業革命を契機とする科学技術の急速な革新は、人類社会に未曽有の繁栄をもたらしている。第4次産業革命、Society5.0、ゲノム編集、仮想現実・拡張現実、AIとロボットなどの技術が、人類の生存条件を激変させている。
西洋文明の到達点である。
科学技術が加速させる経済の自由競争は、老若男女の地球住民を強弱基準によって優劣を選別し、弱者を排除し、多様性社会の共存関係を分断し、人種・民族・宗教・文化・伝統などに「不倶戴天」の敵対的人間関係をもたらし、人類社会の現在と未来に不幸と不満と不安をもたらしている。
これも西洋文明の到達点である。
1991年、資本主義は社会主義を標榜したソ連の自滅によって最終的な勝利宣言をした。
ところがその西洋文明の絶頂は、西郷が「西洋は野蛮じゃ」とみなす「自ら愛する心起り、恐懼戒慎の意弛み、驕矜の気漸く長じ」の到達点ではないか。
なにが、人類社会の危機的状況をもたらしているのであろうか。その淵源はどこに帰するか。
わたしは、その淵源を「近代西洋思想」にもとめる。
近代西洋思想は、①人間、②個人、③理性、そして④壮年・男性を中心的価値とする。この基準によって異質な対立物を排除する。
その要諦は、森羅万象を支配する「天地自然の道理」への恐懼戒慎ではなく、「自らの神」を絶対的に唯一無二とする一神教への帰依信仰である。
その神は「はじめに言葉」をつくり、その言葉でもって人間に命じる。
「自然を制御し、地球上の生き物を支配せよ」と。神は自分に似せて人間をつくり、人類を万物の霊長の地位におく。
※近代西洋思想は、夜郎自大のゴーマンな人間中心主義であるといわねばならない。
「完全無欠なる神」が創造した世界=天地自然の「普遍的真理」を探究する「学問の権威」は、王権神授説や天賦人権説、その他の諸説・学説・妄想を言語化し、政治権力者の正統性とその統治の正当性を擁護し、権力者を庇護してきた。
自由な人間が「普遍的真理」を探究する知的欲望は、天動説に代わって、16世紀のコペルニクスの地動説を生み出すにいたる。
近代科学=自然科学=数理系の知性=工学技術=道具の発達は、人間性を抑圧する神学と中世哲学を近代合理主義哲学へと転回させた。
学問の中軸が、天地自然の「道理」を探求する規範的形而上学から「物理」法則を探求する唯物論的生活経験学に移った。
アタマの中だけで言葉をころがす概念操作から、道具を利用した拡張知覚による世界観察の記述へと、学問の方法原理のコペルニクス的転換である。
18世紀のフランスの革命思想は、王様と貴族を打倒し、それに代わって「市民」の自由と人権尊重を標榜する西洋近代思想に昇華した。
相互扶助の人情を掟として生きる共同体の「住民」たちが、合理的判断能力をもって「社会契約」の主体者となりうる独立した「市民」に姿を変えた。
王様に統治されてきた下々の「平民」は「国民」になり、さらに人権意識と政治意識が注入された「政民」の地位に成りあがったのである。
近代国家の政治思想は、人間中心➡個人中心➡理性中心➡壮年男子中心の価値観を基軸とする。
その思想は、アメリカ独立宣言とフランス革命を契機とし、二度の世界大戦後の世界人権宣言を経て、「個人主義―自由主義―資本主義―民主主義―法の支配」を普遍的価値と宣言する。
ところがこの価値観には、市民と国家権力者に「節義廉恥」の修養を課す原理が不在である。
個人主義は、私欲追求を許す自分主義と同義となった。共同体の相互扶助を排除する。
自由主義は、私欲追求の放任主義と同義になった。共同体の自治規範を放棄する。
資本主義は、個人主義と自由主義と結託して、節義廉恥なき拝金主義に堕している。
民主主義は、選挙投票主義に矮小化され、道理なき形式的な多数決主義に堕している。
法治主義は、権力者と忖度者の恣意的な「言語操作」により権威主義に化けている。
神は死んだ。
恐懼戒慎する聖域をもたず「己れを愛するは善からぬことの第一也」(遺訓第26条)の「夜郎自大のゴーマンな人間中心主義」は、個人―企業等の中間集団―国家、それぞれの「主体」に自己防衛と生存競争の自由を容認する。
自分の利益、集団の利益、国家の利益、それぞれの「主体」は「己れを愛する」利益追求を「進歩・成長・発展」の原動力とする。
近代西洋思想は、国家権力者が「正心・誠意・修身―斉家―治国―平天下」(『大学』)をめざして、己の自由を自制する克己・謙虚・寛容・公正を修養する原理をもたぬ。
◆論点21.4 公職選挙法の抜本的な改正の必要性
西郷は、節義廉恥なき野蛮な西欧へ追随する明治新政府を糾弾し、明治維新の『再革命』を目指した。
西郷精神を換骨奪胎した「昭和維新」は、節義廉恥なき夜郎自大の軍国主義国家への道をひらき、大日本帝国の崩壊をもたらした。
近代国家日本をつくった明治維新から約150年の歴史がきざまれた2020年の現在、外交関係を対比すれば概略つぎのようになる。
1854年、日米和親条約(神奈川条約) ➡日米安保条約、米軍の基地問題
1867年、大政奉還、王政復古の大号令 ➡象徴天皇が平成から令和へ、皇位継承問題
1874(明治7)年、台湾出兵 ➡尖閣諸島の領土問題
1875(明治8)年、ロシアと千島・樺太交換条約 ➡北方四島の領土問題
1875(明治8)年、江華島事件 ➡竹島の領土問題、歴史認識清算問題、北朝鮮問題
国境を接する近隣外交は、大日本帝国の戦争の後始末がいまだに清算できていない。負の遺産をかかえている。
過剰なまでに国家主権を主張して、「天地自然の道理」に恐懼せざる「ゴーマンな国家主義」は、領土問題を解決するために必須な共有すべき価値観と思想基盤をもたぬ。
問題とすべきは、国家論・国家思想である。
1867年の明治維新は、日本の天皇制中央集権国家の出発点である。この年はマルクスの『資本論』が出版された年でもある。マルクス主義は、「国家の廃絶」をとなえる。
マルクス主義がめざす共産主義国家思想は、資本主義と表裏一体の福祉国家思想に敗北した。税金と保険料と社会保障制度によって富の再配分機能を独占する現代の国家思想は、「国家の廃絶」とは真逆に主権国家の不可侵性と国益追求を金科玉条の絶対的価値とみなす。
領土に閉じた主権国家の「国権」を抑制できる上位権力は不在である。国際司法裁判所も国際連合も主権国家の国権の衝突を強制的に調整する最終審級機関にはなりえない。
国連は、人類社会の危機的状況に対応するために、SDGs(持続的開発目標)をかかげているが、その進展は容易ではない。
「個人主義―自由主義―資本主義―民主主義―法の支配」を普遍的価値とみなしながらも領土社会に限定された憲法を最高法典にいだく『一国立憲政治』思想は、国境なきグローバル社会の諸問題に対応する能力をもたぬことが、はっきりしてきた。
技術革新がもたらす負の側面の人類社会の危機的状況は、「個人・家族―市民社会―国家」、「修身―斉家―治国―平天下」という政治空間の階層的図式が時代遅れの弊害となることを表明している。
西郷は、下々が「お天道様の下」で自然な人情の「お互い様」の気持ちで「相互扶助」しながら平穏にくらす「堯舜の世」を理想とする。
西郷がめざした明治維新の『再革命』の現代的意義を、わたしは「共政―国政―大政」の三次元民主政治システムに翻案する。
その統治構造は、個人―【L:中間集団―N:領土国家―G:人類社会】―天:地球*自然で図式化される。
【L】中間集団(市民社会) ➡ 自治共政システム ⇦⇦個人⇦⇦生命*自然
【N】領土社会(国民国家) ➡ 法治国政システム
【G】人類社会(国際世界) ➡ 道義大政システム ⇦⇦天:地球*自然
ポイントは、「私」・個人の人権と「公」・国家の主権を過剰に絶対視する「個人主義―国家主義」の公私二極政治思想の超克である。
個人主義と国家主義の絶対性を、「私―共―公―天」を枠組みとする「敬天愛人」の天道思想によって相対化し縮減する。
「私」の個人主義と自由主義は、「共」の集団自治の掟に包摂されるべきである。資本主義と民主主義を「法の支配」によって規制する「公」の国家主義は、人類が生きる「天」の道に包摂されるべきである。
この構想は、あきらかに「抜本塞源」(陽明学)の憲法改正を必要とする。
隠居老人のたんなる妄想にすぎない。
古今東西、「個人―社会―国家」に関する学説は、屋上に屋上をかさねて累々たる書物の山をなし、今もつづき、これからも尽きることなく続くであろう。
現代のデジタル社会の言論メディアは、真実と虚言の玉石混交よろしく大量の政治的発言を提供している。多くの学者や評論家たちも民主主義の危機をとなえ、それぞれに提言している。
さてどうするか、さまざまな政治的言説を現実の政治にどのように直結させるか。
問題は、社会生活と政治が相互に浸透しあう政治システムである。
政治システムは、【①国民の要求と納税➡②国家権力機構➡③税金事業・経世済民】という構造で作動する。
日本は、法治国家である。国家権力は、憲法によって制約される。社会生活の諸問題は、「法の支配」によって解決される。
日本国憲法前文は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」という文章ではじまる。
代表者は、国民の厳粛な信託によって、国家権力を行使する。国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
わたしは、西郷が果たせなかった『再革命』を平和的に遂行するためには、「国家における代表者を正当に選挙する」選挙制度改革こそが第一歩でなければならないと考える。
明治国家の立憲制は、1874年明治7年の「民選議院設立の建白」(板垣退助など)を起点とした。「令和維新」の号砲は、公職選挙法の抜本的改正の提案でなければならない。
現行の公職選挙法にもとづく2019年7月の参議院選挙費用は、約571億円。候補者名と政党名を書くだけの投票用紙。投票データは集計以外には利用価値はない。
壮大なる無駄ではないか。選挙を世論調査の最高の機会とみなすべきである。
公職選挙法の抜本的改正は、「民意」という多様なビッグデータを収取し解析するICT(情報通信デジタル技術)とAI(深層学習人工知能)を活用する高度な情報システムを中核としなければならない。
◆論点21.5 公職選挙法の抜本的な改正にむけて
法律を改正するのは国会である。法律の改正には、国会議員の過半数が賛成しなければならない。
2017年の参議院選挙の投票率は48%、自民党の得票率は30%で2割以下の絶対得票率によって政治権力を掌握する。小選挙区比例代表制の効果である。
政党支持率の世論調査では、支持政党なしが約40%、自民党が35%前後、その他の党派で残りの25%を分け合う構図になっている。
2020年2月現在、4人の自民党議員が公職選挙法違反などの嫌疑で検察庁のお世話になっているありさまである。
どうすればよいか。政権与党の自民党に期待できるか。弱小野党に期待できるか。現在の延長では公職選挙法の抜本的な改正など、夢の中の幻想でしかないだろう。
さてどうするか。
隠居老人のわたしは、「代表者は、国民の厳粛な信託によって、国家権力を行使する」という「主権在民・民主主義」の憲法思想を「なんともウソっぽいなあー」と感じる学生・若者たちに期待するしかない。
わたしは、第4次産業革命、Society5.0、スマホを手にしてロボットと向き合う仮想現実と拡張現実のデジタル社会を当然とする20歳代の次世代に希望をもつ。
ICT(情報通信デジタル技術)とAI(深層学習人工知能)を活用する高度な情報システム構築を中心とする公職選挙法の抜本的な改正提案を、若者世代にお願いしたい。
10代と20歳代の若者たちが、わくわくする気分で投票したくなる選挙投票システムを提案してほしい。
そのためにどうするか。
以下にひとつのたたき台メモを提示する。
a. AIを活用して西郷思想を実現することを党是とする「AI西郷党」(仮称)を結社する。
b. 次期の参議院選挙にむけて比例代表候補を擁立し、国会議員誕生をめざす。
c. 「選挙投票情報システム・プロトタイプ開発コンテスト」プロジェクトを立ち上げる。
d. 高校と大学と専門学校むけにコンテスト参加をよびかける。
e. 老人世代や政策シンクタンク等にプロジェクト実施費用の寄付を募る。
f. 老人と学生・若者が、人生設計と憲法を語り合う「人生論学習塾」運動を展開する。
g. 老人の私塾活動を通して「AI西郷党」への支持者拡大をめざす。
h. 20歳代の有権者に投票参加をよびかける。