14.遺訓第12条 主権国家の破廉恥な国益至上主義を問いなおす 2019120

国民の政治意識の問題よりも公務員の教化制度の設置を優先すべきことの必要性

 

■遺訓第12条  

西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。

故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑑誠(教戒)となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。

尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡(カンカ、男やもめ、寡婦)孤独をあわれみ、人の罪に陥いるをうれひ給ひしは深けれども、実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢやと感ずる也。

 

□遺訓第12条の解釈 

 ここには、三つの視点、論点がある。

1)西郷は、西洋の刑法を「懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深い」ものとみなして「実に文明ぢやと感ずる」。西洋の刑法は、「敬天愛人」思想の「慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く」文明(遺訓第11)に合致すると西郷は解釈しているようにみえる。

「敬天愛人」は、西郷が流罪人として沖永良部島で1年半すごした獄中生活、艱難辛苦の思索のなかにさいた「公務員道徳」の精華である。

 

 風雨が吹きこむ牢屋くらしの西郷を世話した島役人に土持政照がいた。土持が、島役人の心得、あるべき姿の教えを西郷に請うた。それにこたえて西郷があたえた『間切横目役大躰』、『与人役大躰』、『社倉趣旨書』の書が今にのこる。

 間切とは、今でいえば市町村とおなじレベルの大島諸島の行政区画である。与人とは、地方役所の管理職相当、横目とは察官、取締役、警察官などの下っ端の役職である。

「敬天愛人」と犯罪・刑罰の関係を、西郷はそれらの書でどのように説いているか。

 

2)「罪を憎みて人を憎まず」という孔子の言葉がある『孔叢子』刑論。おなじ趣旨が、聖書のヨハネ福音書にもある。浄土真宗に悪人正機説がある。いずれも「聖人」の立場から下々の衆生を救済する思想といえる。

人が罪を犯すには、「男やもめ、寡婦、独り者など」それなりの生活事情があるだろう。

犯罪人にむきあう「公務員」の仕事は、忠孝仁愛の心、惻隠の情、情状酌量することが、聖人(為政者)の刑というものだ。

 

ところが江戸時代までの日本の刑罰は、重罪人を磔(はりつけ)、梟首・獄門(さらしくび)、切腹などの死罪、追放、遠島、流罪とした。それは、過酷なみせしめと利己的な復讐心の「過酷で残忍な野蛮じゃないか。

武士による政治を正当化する朱子学・儒教は、「忠孝仁愛の心」を説く。

だがしかし、儒教には「実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず」だと西郷は疑問を呈する。

西郷も薩摩藩の国父である久光の恣意的処分により、遠島への流罪人となったのだ。儒教と刑罰の関係をどのように解釈すべきか。

 

3)西郷は、遺訓第11条で西洋帝国主義国家の植民地支配を「未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」とこき下ろした。

ここでは反対に「慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く」がごとくに「人を善良に導くに注意深い」西洋の刑法を「実に文明ぢやと感ずる」という。

国内統治の「西洋刑法の文明」と国際外交の「西洋国家の野蛮」との関係をどのように解釈すべきか。

近代思想の個人の自由―人道主義―人権思想の「文明」は、近代社会の民主主義―資本主義―国家思想の「野蛮」とどのような矛盾をはらんでいるか。

 

◆論点12.1 「敬天愛人」を実行すべき役人の心得 ~仁愛と天罰

薩摩藩が大島諸島を「黒砂糖植民地」として支配していた行政機構は、つぎのような制度であった。

各島代官(藩詰役人)ー島役人の与人(部課長)ー横目(監察、警察など現場役人

 

西郷は、『間切横目役大躰』で役人の心得を述べる。 

~監察と申して諸役人は勿論、万事の目付役にてただ咎人を探し出したの、口問(審問)が上手などと申すことは、枝葉の訳にて、全体咎人の出来ぬようにする処、横目の本意にござ候。

深く心を尽くして罪に陥らぬよう仕向けるのが、第一の事に候

まず鰥寡孤独のものをあわれみ、或は忠難薆苦のものを恵み、善行あるものほめ尊み、人々相互に不便なかるように仕立て候ことにござ候。

尤も気を付くべき処は諸役人取扱いの善悪、百姓の疾苦する処にござ候。

 

私曲をはたらきては取扱いの上よりして咎人に致しなし候義、多く之有るものに候えば、深く心を用いて罪人の因りて起こる処を審らかに察するが要務にござ候。

若し役人の取扱い宜しからずしては万人を苦しめ候つみもあり、君を欺くのつみもありて重罪にあたるのみならず一人の盗人よりは格別おもき事にござ候。

刑はよんどころなくもうけたるわざなれば、一人を罰して万人をこらさしめんとの事にござ候。軽きつみを重く罰し、おもき罪を軽めに取扱ては法を私すると申す場に相成りて人々法度を何とも思わぬように相成るものなれば万人おそれつつしむ処あるが第一の事に候。

よんどころなく、拠無、やむを得ない、余儀ないこと

この趣旨は、「人を善良に導くに注意深い」西洋の刑法とおなじであるようにみえる。

「西洋の刑法」を遺訓第9条「道は天地自然の物なれば、西洋と雖も別無し」と解釈してよいのか、それともどこがちがうのか。これは、「忠孝仁愛教化の道」にかんする西郷思想と西洋思想を対比するおおきな論点となる。

 

 西郷の「敬天愛人」は、「忠孝仁愛の心」をもって「経世済民」の政事をおこなうべき為政者、万民の上に位する者、つまり国会議員・公務員・裁判官・軍人などの倫理道徳である。

戊辰戦争で東征大総督府参謀であった西郷隆盛は、官軍に降伏した庄内藩にたいして、きわめて寛大な処置を部下に言いわたした。長州藩が討伐した地域では、もっと過酷な処分が賊軍に報復されたのとは対照的である。

降参した者には私恨で復讐してはならぬ。しかし降参しない不義の抵抗者は、聖断をもって「よんどころなく」天罰をあたえて武力討伐するしかない。

この天罰思想、破邪顕正の武断政治、義戦の覚悟が「敬天愛人」の道義性をささえるのだ。

 

◆論点12.2 儒教の政治思想の限界 ~性善説から性悪説の法家思想へ

1)罪を憎んで人を憎まず 

出典は『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)。 

「罪を憎んで人を憎まず」とは、「二度と罪を犯さないように裁判で犯罪人を訓戒する」ことが重要だという意味。身体的行為と心情・思想を区別する人間観にもとづく。

咎人の出来ぬようにする処、横目の本意にござ候。深く心を尽くして罪に陥らぬよう仕向けるのが、第一の事に候」という西郷が根拠とする原典だろう。

自省、自粛、自戒、懺悔、訓戒、懲戒などの言葉がある。

これらは、個人的な私欲にもとづく破廉恥な行動を戒め、人の心に潜在しているはずの廉恥心と羞恥心を呼びさます教導を意味する。性善説の人間観にもとづく。

 

2)実ほど垂れる稲穂かな ~刑不上大夫

 儒教の経書のひとつ、『礼記』に「礼不下庶人」(礼は庶人に下っては適用されず)に対比して、「刑不上大夫」(刑は大夫にまで上って適用されない)という語句がある。

一般の人民は、そもそも「礼」にかなう高級な倫理観など持ち合わせていない。下々は、ときには破廉恥なこともする。

だから下々の小人が罪を犯したら体罰をもって因果応報の道を自覚させればよい。

 

しかし高級官僚である士大夫の身分にある者は、当然に高い倫理規範を有しているのだから、刑罰の対象にならない。

なぜならば高級官僚たるものは「みのるほど垂れる稲穂かな」である。性善説を体現する高徳の聖人君子は、そもそも刑罰の対象になるような悪いことはしないはずだから。

 

この「刑は大夫に上らず」の聖人思想は、換骨奪胎されて現代の政府官僚や大企業経営者の「無謬性の原則」に引き継がれているようだ。

「上の地位にいる者がやることに間違いはない、誤りを認める必要はない、責任を取らなくてもよい」という風潮である。

2018年のモリカケ事件の国会審議と官僚答弁を思い起こせ。

現実には、為政者、公務員が聖人君子だらけであるはずがないのだ。おのれの立身出世だけをめざして「私曲をはたらき取扱い宜しからずして万人を苦しめる」役人の破廉恥な行為に、だれがどのように対処すべきなのか。

 

3)西郷の政治思想の基盤 ~古代中国の百家争鳴の諸説

縄文時代にはじまる日本列島社会の歴史は、弥生時代から古墳時代をへて、聖徳太子の時代において、中国思想の影響をおおきくうけて国家体制の基礎を築いた。

そこでは、ものごとを記録して伝達する文字・漢字の導入が、国家経営の政治システムに決定的な意味をもった。犯罪の処罰においても成文法をそなえた律令刑法を採用した。

 

中国思想は、紀元前500年ごろから、春秋戦国時代の諸子百家にはじまる。

その時代の百家争鳴の諸説は、日本では明治前半までの為政者および知識人の基礎的な素養であった。西郷の政治思想を形成した基盤・中核といえる。

 

□儒教 人間―(仁愛)国家

儒家は、孔子を祖として孟子・荀子から、宋の朱子学・明の陽明学にいたる儒教である。国家の為政者に道徳的に完成した聖人像―修己治人を求める。

天帝、天意による易姓革命(謙譲と放伐)を説くけれども、怪力乱神をかたらず、一神教のような宗教とはいえない。

 

□墨家 人間―(兼愛)人類社会

墨家は、墨子を祖として儒教の仁愛を家族や国家の利己愛として批判する。無差別平等にひろく愛して互いに利する「兼愛」、領土拡大戦争に反対する非攻撃、優秀な人間を尊重する尚賢主義を説く。

 

□老荘 人間―(無為)自然

道家は、儒家の道徳を人為的過ぎると批判し、老子・荘子に代表される無為自然を説く。自然の自治生活と不文律による秩序を重視。長老たちの合議制による刑罰。

 

□法家 人間―(政治)国家

儒家の徳治主義と孟子の性善説、君主の恩情や為政者の徳性依存を非現実だと批判。法家は、荀子の性悪説を発展させた韓非子に代表される。

客観的な明文法による法治体制の重要性と現実性を説く。権力を君主に集中、法を基準として信賞必罰、富国強兵の国家主義、法治主義の源流。

 

□兵家 国家―(軍事)国家

兵家は、他家が説かない戦争を国家の大事として重視する。軽々しく戦争を起こさないための戦略と戦術の知恵を示す。

南洲翁遺訓「追加二」で西郷は、幕末動乱から明治維新の時代状況をつぎのように述べる。

漢学を成せる者は、いよいよ漢籍について道を学ぶべし。道は天地自然の物、東西の別なし。いやしくも当時万国対峙の形勢を知らんと欲せば、春秋左氏伝を熟読し、助くるに孫子を以てすべし。当時の形勢と略ぼ大差なかるべし。

『春秋左氏伝』 ;中国古代、紀元前700年頃から約250年間の春秋戦国時代を理解する資料、当時の戦争に関する詳細な記載。

 

性悪説にもとづく法家の韓非子は西郷の愛読書のひとつであった。西郷の「敬天愛人」思想は、破邪顕正の両義性によって成り立つ。

□遺訓第3条 政の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。

破邪とは、武を振い廉恥心なき破廉恥な権力者に天罰をあたえて放伐することである。易姓革命の実行である。

顕正とは、下々の生活の中心である農を励ますために文を興すこと、つまり忠孝仁愛教化の文明である。

 

◆論点12.3 キリスト教の選民思想と人権思想の関係 ~近代政治思想の内部矛盾

「西洋刑法の文明」と「西洋国家の野蛮」の共存関係をどのように解釈すべきか。

近代思想の個人の自由―人道主義―人権思想の「文明」は、近代市民社会の民主主義―資本主義―国家思想の「野蛮」とどのような矛盾をはらんでいるか。

 

1)キリスト教(神・キリスト・聖霊の三位一体)を信じないものは野蛮人 

西洋国家の野蛮性は、帝国主義国家による未開の国に対する残忍な植民地支配を意味する。西欧人ー白人たちは、何の罪もない「未開の国」の住民を「人」として認めず、有色人種を動物なみの人間未満、家畜とおなじ奴隷とした。

西郷が「人を善良に導くに注意深い」と評価する西洋の刑法は、もっぱらキリスト教徒の白人だけに適用されるのだ。なぜなのか。

西洋諸国による植民地支配の野蛮性は、キリスト教の人間像とその選民思想に根があるとわたしは思う。

 

キリスト教の原理は、旧約聖書と新約聖書のいう「神:ヤハウエー」への信仰を、全ての価値観の判断基準とする。

その「神」を信じる人間と「神」を信じない異教徒に人類を大別する。唯一絶対の「神」の「ことば」を理解しない者を「人」として認めない。

その「ことば」への信仰心をもたない者は、「父」を共有しない同胞兄弟ならざる異邦人―野蛮人なのだ。

だから「天にまします主たる神」に愛でられて選別されたキリスト教徒は、異教徒の異邦人を動物とおなじように人間未満として扱ってよいのである。

よって有色人種の異教徒に対しては、人を善良に導くに注意深い「西洋の刑法」は適用されない。「罪を憎みて人を憎まず」は適応されない、適応できない、適応する必要はないのである。「人」ではないのだから。

 

2)人間を差別する思想にもとづく近代国家の「文明」

では、このように人間を差別する思想は、どこから出てくるのか。

新約聖書に「はじめに言葉ありき」(ヨハネによる福音書)とある。旧約聖書の創世記に、神がノアを祝福する言葉がある。

「神は、神を信じる者たちに、地のすべての生物、空のすべての鳥、海のすべての魚を与える。全ての生き物を支配せよ。どのようにでも扱ってよく、食糧としてよい。ノアの末裔よ、子孫を増やせ、産めよ、地に満ちよ。」・・・・信者にあらざるわたしの勝手な理解である。

 

このノアの末裔を選民とする人間像こそが、ユダヤ教―キリスト教―イスラム教に一貫する西洋思想の骨格ではないかとわたしは考える。

その西洋思想は、地中海をとりまく地域から北へ東へと周辺に拡大し、それぞれの地域の伝統と風土とミックスして多様な物語を編み出しながら、中世においてアジアの日本列島社会までにも伝搬されてきた。

西洋思想にもとづく地球上の人類社会の歴史は、この「ノアの末裔」たちによる覇権をきそう権力闘争の文明史であるとわたしは概観する。

古代ギリシャの神々を追放して勝利した「ヤハウエー」という完全無欠の絶対的存在を信じる一神教信仰は、近代の帝国主義国家にいたる「植民地支配の野蛮性」の淵源であり、現代のグローバル社会の主権国家の国益至上主義にも引き継がれているのだ。

 

近代国家の「文明」とは、西洋人の「神;絶対者」の「ことば」による「万物の支配」体制にほかならない。

・人間中心主義 ~すべての生物の支配者  人間による地球の生態系と環境破壊

選民思想 ~人種差別、宗教戦争、優勝劣敗 ➡ 主権国家の覇権競争、核兵器

・ことば ~文字記号、理性、合理性、規則 ➡ 伝達範囲の拡大、権力の肥大化

 

3)人権宣言と主権国家の亀裂

西郷が「文明じゃ」と評価する西洋の刑法は、刑罰の近代化の所産である。近代の刑罰は、それ以前と何がちがうか。

それは、身体的苦痛をあたえる体罰、残忍な暴力行使の廃止である。重罪は、自由を拘束する禁錮刑となり、死刑を廃止する国がふえている。軽犯罪は罰金刑へ移行した。

その理由は、人道主義にもとづく「受刑者の苦痛を和らげる」目的だとされる。

 

ルネッサンスにはじまる人道主義・ヒューマニズムは、近代の人権思想につながる。

近代の人権思想は、「権利章典」(1689年)にはじまり、アメリカ独立宣言(1776年)とフランス人権宣言(1789年)を基礎とする。

人権尊重は、祭政一致の否定、聖・宗教と俗・政治の分離、社会契約説、個人を解放する啓蒙思想、自由と民主主義の政治思想をうみだした。

宗教的権威と政治的権力を分離する政治思想と哲学において、すでに「神は死んだ」けれども、西欧の一神教信仰の選民思想は「神のことば」を天賦人権説に翻訳したのである。自然な義理人情をあえて「天賦人権」の言葉によって概念化する。

 

「神のことば」は、理性のはたらきの自然科学の探求によって、物質の客観的な法則に還元された。

その科学的理性が、ひとりひとりの人間を独立した単体の個人とみなす人間像をうみだし、社会を構成する基本的要素である個人に「天賦」の人権という属性を付与した。

そして社会生活において、個人の権利を保護することを使命とする国家権力の機構を必然としたのである。

 

その人類史的意義は、現代につづく科学的理性が、神{自然―法則}―個人{社会―人権)―{国家―権力}という枠組みによって、「個人と社会と国家と自然」の関係性を分断し、「義理人情から功利人権」へ移行して、人類社会の「心と頭」に亀裂をもたらしたことにほかならない。

キリスト教を国教としたローマ帝国時代から、西洋の神学・法学・哲学・倫理学・政治学・経済学などは、現代にいたるまで個人と社会を統制する国家権力の正当化のための論理構成とつじつまあわせに悪戦苦闘しているようにみえる。

 

現代の中東アジア地域の状況をみよ。ユダヤ教―キリスト教―イスラム教の覇権争いを。イスラエル/パレスチナをとりまくアラブ諸国と欧米列強の相克を。ヨーロッパを目指す難民の群れを。難民を排除する国境の壁と人種を差別する心境の壁を。

人道主義、人権宣言をとなえながらも非人道的な人権抑圧が蔓延する主権国家の現実、自由と民主主義を普遍的価値とする現実の政治状況をどのように解釈すべきか。

国家権力を正当化する憲法と立法―行政―司法の道義的基準をどこに求めるか。

主権国家の破廉恥な国益至上主義をどのように克服すべきか。

 

※自然な人情社会➡(人権思想法治国家の権力合法的な差別非人情社会

この人類史的大問題を解明するカギが、国家権力を行使する公務員を教化する西郷思想の「忠孝仁愛教化の道」であり、国益至上の主権国家の相克をこえる「敬天愛人」思想であり、西洋の人権思想を包摂する人情社会の復興ではないか、とわたしはおもう。

 

◆論点12.4 刑罰権を占有する国家権力者(公務員)の教化の必要性 

※国民の政治意識の問題よりも公務員の教化制度を優先すべきことの必要性

明治維新は、封建制の人治から民主的な法治への文明開化をめざした。

藩主連邦の分権国家から中央集権国家への変革である。自然な人情を基底とする自治社会から理性的な人権を基底とする法治国家への近代革命である。

大日本帝国の創設者たちは、西洋の一神教に対抗するために国家神道の「天皇教」をにわかに創設した。伝統的な基層心情をささえる神仏習合の八百万の神々は、村落共同体の庶民のなかに潜伏することになったのである。

そこで近代日本国家を支配する国家権力者(政府、官僚、軍人、役人)の道義心が問題となる。  

 

1)罪刑法定主義 ~法律あって犯罪あり、法律なければ刑罰なし。

高度に発達した文明社会における都市生活者たちの利害調整は、きわめて複雑多岐である。自由と人権尊重を基本とする社会生活の人間関係において、生活圏住民による村落共同体的な自治能力、自浄作用には限界がある。

社会生活の利害調整は、国家権力による強制的な裁定機能に依存しなければならなくなったのだ。

法治国家においては、被害者が加害者にたいして暴力的に報復する私的制裁の「私刑」は犯罪行為となりうる。自警団は死語になった。

 

現代の法治国家では、私的制裁の報復、復讐、拘束、監禁、敵討ち、吊し上げ、村八分、人民裁判などの私刑は違法とされる。天誅とか天罰などは死語になった。

警察官、検察官、裁判官、刑務官などの公務員だけが、社会秩序を乱す個人・団体・法人などを取り締まり、拘束する権限をもつ。

司法権は、一元的に国家に帰属する。刑罰は、国家権力の専権事項である。拘置所、留置所、監獄などは、合法的な暴力装置である。

 近代国家の立憲制は、憲法によって国家権力の恣意的な行使を抑制する。国家権力は、法律(法令等)によって国民の社会生活を規制する。

 

ここに近代の法治国家の存在意義を認めるものではあるが、国家権力者が行使する法治制度は、社会生活者の自治能力の抑制・剥奪でもあることに留意しなければならない。

□憲法 国家権力・公務員 法律+公共事業 国民・社会生活+自治能力 

では、国家権力者・公務員の犯罪は、だれによって裁かれるのか。

そもそも憲法と法律を定める権限を有する特権者である国家権力・公務員とは、いかなる人物であるべきか。

 

2)西郷が指摘する公務員の職業倫理 ~現代にも通用する公務員の道義心

□遺訓第4

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。

然るに早創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじき也。

 

□遺訓第16

上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘るる時は、下皆之れに倣ひ、人心忽ちち財利に走り、卑吝の情日日長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、相ひ讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。

 

間切横目役大躰

若し役人の取扱い宜しからずしては万人を苦しめ候つみもあり、君を欺くのつみもありて重罪にあたるのみならず一人の盗人よりは格別おもき事にござ候。

 

3)公務員の懲罰 ~公務員の破廉恥行為

2018年の国会審議で、財務省の高級官僚が情報提供の地位を利用して、メディア女性に「セクハラ」行為をしたことが問責された。

組織の長として部下をかばった「セクハラ罪という法律はありますか?」と副総理兼財務大臣が記者会見で逆質問した。

その財務省は、組織ぐるみで公文書の改竄と隠蔽をおこなった。

キャリア官僚は、廉恥心のかけらもなく表情をかえず、もっぱら自己保身の虚偽答弁をくりかえした。

しかし検察庁は、不起訴相当と判断した。いっぽうでは職業倫理に忠実な財務局の担当役人ひとりが、諌死ともいえる自殺で死んだ。

 

国家公務員の懲戒処分は、国家公務員法で定められている。公務員等の規律違反の懲戒罰は、一般国民への刑事罰と目的・性質を異にする。

その懲戒処分は、免職、停職、減給、戒告および訓告、厳重注意などである。

高級官僚といえども法律に違反しなければ、なにやっても自由である。人権は保障される。

合法/違法の判断とは別次元に位置する「万民の上に位する」公務員の職業倫理、道義的責任、政治的責任を透明化する政治システムが必要ではないか。

 

4)戦後民主主義の主権在民制度による公務員のチェック機能

西郷が指摘する「万民の上に位する」役人の罪は、現代政治においては「立憲制」によって防止されることになっている。

戦後民主主義の主権在民制度による公務員のチェック機能には、つぎのようなものがある。

・憲法第15条 公務員の選定と罷免、不法行為にたいする損害賠償請求権

・憲法第16条 国政への請願権 政治結社の自由、表現の自由、街頭デモなど

・公務員の仕事に異議申し立てをおこなう行政不服審査制度

・慎重に公正な判断をすることを目的とする三審制(訴訟、控訴、上告)

・秘密裁判の廃止、裁判公開の原則

・最高裁裁判官の国民審査制度

・弾劾裁判所による裁判官と人事官を処罰する弾劾制度 

・国民が刑事裁判に関与する裁判員制度(欧米の陪審制と参審制の日本版)

・検察の判断を有権者がチェックする検察審査会制度

・その他

 

5)公務員の権力行使を制限する立憲制 ~外見的立憲制

立憲制とは、「国民の権利と自由を守ることを目的とし、権力の専制的・恣意的な行使を制限するために、憲法に基づいて、立法―行政―司法の権力分立により政治を行う制度」である。

その制度を運用するために、日本国憲法はつぎのように定める。

99条 天皇および「為政者」は、憲法を尊重し擁護する義務を負い、「法令・命令・規則・処分」は、憲法の規定に違反してはならない。(「為政者」とは、「国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員」である。)

では立憲制の現実はどうなのか。

 

2018年、安倍政権の政治運営は、国会機能の弱体化、政府の恣意的な憲法解釈、行政権の肥大化、三権分立の形骸化により立憲制の限界を如実にしめしている。

・公文書改竄、文書の公開拒否、虚偽と詭弁の国会答弁

・臨時国会開催要求の無視、首相の解散権の乱用

・沖縄の辺野古基地建設工事を強行するための行政不服審査法の悪用

・働き方改革法、カジノ実施法、入管法改正など立法府の熟議なき採決

・国会議員の政治資金収支報告書の義務違反の常態化

・スキャンダル追及をもっぱらとする国会論戦の劣化

・その他

 

6)国民の政治意識の問題よりも公務員の教化制度を優先すべきことの必要性

立憲制と主権在民と民主主義の理念は、つぎの三つの次元によって実現される。

A:国民の政治意識

 問題点: デモクラシー ポピュリズム ナショナリズム

B:政治システム

問題点: 絶対的権力は絶対に腐敗して崩壊する 行政権力の肥大化 

C:国会議員の能力 

 問題点: 政策立案―制度設計―立法の専門能力プラス公平無私の道義心

 

立憲制と主権在民と民主主義の理念と現実のギャップが先進諸国で拡大している。

もっとも優先して重視すべきは、政治家・国会議員の全人格的能力の教化である。

□遺訓第20条 ~制度よりも人物

何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し。人有りて後ち方法の行わるる物なれば、人は第一の宝のにして、己れ其の人に成るの心掛けが肝要なり。

 

□遺訓第30条 ~国家権力者は公平無私の「賢哲公務員」でなければならない

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

◆論点12.5 西郷の政治思想を実現する三次元民主主義 ~自治―国政―大政

立憲制と主権在民と三権分立の制度をつぎのように図式化する。

国民の総意憲法+立法政策{行政・公共事業+司法・裁判国民の評価

 

※西郷の政治思想は、国民の総意を『道義』として憲法に成文化する。

A:道義主義 憲法 国王といえども神と法の下にある。天網―天道、天意、権威

B:法治主義 法律 悪法といえども法なり。法網―公道、権力、目的合理性 

C:自治主義 慣習 法は法なきを期す。人情―人道、社会生活、公共の福祉

 

※個人の自由を基底とする現代の民主政治とは、『自治に基づく社会生活』が解決できない課題に、『法治に基づく国政』が対応することである。

西郷の政治思想の最大のポイントは、『法治に基づく国政』の上に『道義に基づく大政』をおくことである。

□社会・自治 è 国政・法治 ç 大政・憲法

a.立憲制民主主義 憲法公務員―憲法議院、国政の道義指針―国民の総意の政策立案

b.代表制民主主義 国政公務員―衆議院、国家事業―立法、行政、司法、外交、軍事

c.自治制民主主義 自治公務員―地方議会、公共事業―生活社会、自治会町内会

 

※「立憲制民主主義」を実行する大政システムをつぎのサブシステムから構成する。

A:民意収集システム B:賢哲公務員風教システム C:憲法公務員選挙システム

D:政策立案システム  E:国政公務員選挙システム  F:憲法改正草案作成システム

H:国政実績開示システム

 このなかで、A、B、D、Hは、必ずしも憲法改正を必要としない。

 

※国民の総意とは、単なる世論調査の結果ではない A:民意収集システム

個人と利権集団と党派性の多種多様な玉石混交の主義/主張、心情/信条、要望/提案、賛成/反対、学説/異論などなどの「民意」を収集し、それらのビッグデータをボトムアップとトップダウン、長期的かつ総合的、公平と公正の視点から高度の知性により整序し、人工知能でシミュレーションした結果の集団意思が「国民の総意」である。

 

行政府が恣意的に運営する諮問委員・審議会制の政治システムへの制度化

「主権在民」といえども政策立案と制度設計と立法と効果予測をおこなう主体は、行政府に付属する審議会、有識者会議、諮問会議などと与党ワーキングチームである。

たとえば、国家の重要事項である「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」などは、「安全保障と防衛力に関する懇談会」の答申をベースとして策定される。

経済界・学界・関連団体・文化人・マスコミなど多様な分野を代表する識者とみなされる者たちが、官邸と行政府に選ばれ、幅広い観点から議題について検討する「諮問制民主主義」は、主権在民の民主主義といえるのか。

「憲法公務員」で構成する「憲法議院」によって実現する「a.立憲制民主主義」は、行政府が恣意的に運営する諮問委員・審議会制の現状を有司専制とみなし、その慣習を立法前野』の正当な政治システムとして制度化することである。

 

※B:賢哲公務員風教システムの導入

そこで問題となるのが、西郷の政治思想の根幹である「万民の上に位する公職者・公務員(政治家、官僚、裁判官、警察、軍人)」に要求する道義心と「国民の総意」の問題解決能力である。

西郷の政治思想の現代版である立法前野』の大政システムを実現する第一歩は、遺訓第30条の「賢哲公務員」を育成するためのB:賢哲公務員風教システムの導入である。

 賢哲公務員風教システムは、つぎの機関によって運営される。

a.公務員をめざす有志者に、道義心と問題解決能力を教化する教育機関の設置

b.有権者に公務員を選挙する能力を教育し、選挙資格を審査する選挙機関の設置

c.選挙制度を運用する人工知能と情報システムを開発する政治技術機関の設置

その原資は、現行の「政党助成交付金制度」の改正によって充当する。

 

※「政党助成交付金制度」:1995年から始まった政党助成金の総額は、2004年までの10年間で31259600万円。(総務省の政治資金収支報告書)

 

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