24.遺訓第26条 温故知新、江戸にもどり明治維新をやりなおそう!  2021年1月31日

   西郷精神による近代の超克 ☞ 「三治民主制」の統治機構へ憲法改正をめざす。

■遺訓第26条   

己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。  

 

□遺訓第26条の解釈  

西郷は、世上一般の下々の小人たちが(遺訓第6)、自分が関係する社会領域で少しばかりの成功を自慢し、うぬぼれる自己陶酔型のナルシストを批判しているわけではない。

西郷のいう「己れ」とは、「個人―社会―国家―地球」の政治空間において、国家を統治する権力者の地位にある人物である。その「己れ」が関係する社会領域は、国家である。

国家とは、下々の生活社会の秩序を調整する「政治的機能と構造」の権力機構である。

遺訓第26条の「己れ」は、遺訓第1条の「官職の地位で政柄を執る者」、第2条の「賢人百官」、愛4条の「万民の上に位する者」、第6条の「人材、長官、重職」、第16条の「上に立つ者」、第19条の「賢人君子の助けをうける君臣」、第20条の「其の人」、第24条の「我を愛する心を以て人を愛する也」の「我」などと言葉はちがえども、その現代的意味は、政治家をふくむ国家権力者、つまり日本国憲法第15条の「公務員」である、と解釈しなければならない。

 

公務員は、「下々」の私人ではなくて「お上」である公人である。「万民の上に位する」公務員は、国民の税金によって生活が保障される特殊な社会集団に属する者たちなのだ。

しかるべき地位にある公務員が、私利私欲という意味の「己れを愛する」精神でもって、自分の職務権限を利用することは、私的な権力乱用であって民主主義の今の世でも公私混同とよばれ、道義的に善からぬこととして批判される。

西郷にとって「善からぬことの第一也」は、遺訓第1条にもある。

◆遺訓第1

廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、ちっとも私をはさみては済まぬもの也

いかにも心を公平にとり、正道を踏み、広く賢人を選挙し、よく其の職にになふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。

それ故に真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也

 

遺訓第26条の「己れを愛する」とは、権力者が自分の意に沿う人物だけを人事に登用すること、政治家が官僚人事に「私をはさむ」ことだ、と解釈できる。

「何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人」を「長官に居ゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」。(遺訓第6条)

己れを愛する⇒ 私をはさむ➡ 其の職に任へぬ人を官職を以て賞する➡ 善からぬことの第一

 

◆論点26.1 自民党権力者の驕慢、人事によわい官僚の悲哀

 20209月、78カ月という歴代最長の安倍政権が幕を閉じた。

新型コロナ感染症のパンデミックの渦中、自民党内の派閥勢力の状況から、横浜市会議員からのたたき上げ政治家と称される菅官房長官が、「安倍政権の継承」をかかげ、首相である最高権力者の地位にかけのぼった。

その菅政権のコロナ禍対策は、いかなるものか。対策本部は司令塔として機能しているか。国難ともいえる緊急事態の対応は実効性をもつか。

世論調査では、政府の始末は後手後手で右往左往しているという批判がおおい。なぜなのか。

単純に判断できる問題ではない。ウイルスも人間も社会も国家もその行動原理は、まことに複雑である。過去から現在までの「生命―身心頭の欲望―個人生活―社会経済―国家政治」の多層な主体間の複合的な諸関係がからまっている。

現代の政治思想の根本には、西洋流の自由―人権―個人尊重の近代的人間像と民主主義―法治国家の国民国家像がある。

我が国を統治する自由民主党は、『自由』と『民主』をとなえながらも日本国憲法改正を党是とする。西郷精神から評価すれば、自民党の政治思想に「節義廉恥」の退廃を感じること、破廉恥、これがわたしの問題意識である。

ここでは、南洲翁遺訓を参照して、安倍政権時代の自民党政治家と官僚の「人事」を問題とする。

安倍政権は、政治主導・決断政治をかかげ、総理官邸と内閣府の権限をつよくし、長期政権を維持した。立法―行政―司法の三権分立の均衡状態に亀裂をいれて、行政権力を肥大化させ、霞が関官僚を支配することに成功した。

その状況描写として、名前をふせた高級官僚たちの発言記録を新聞記事から引用する。

新型コロナ対策は未知のことばかり。こんな非常事態の国難のときこそ、エリート官僚の知恵を結集させるべきだが、それができていない。

安倍首相は自分の気に入った官僚だけを引き立ててきた。菅さんは能力ある官僚でも自分に異をとなえる者は飛ばす。内閣人事局による官僚人事権の強化、強い官邸。政治主導、強いリーダーシップによる生殺与奪のおどしを官僚統治に使っている。

だから政策を提言する者がいなくなった。官僚たちは萎縮している。『キジも鳴かずば撃たれまい』の自己保身。

官邸の中にいると疲れる。所属省庁から官邸に出向したスタッフは誰が一番、安倍さんの関心を引けるか競い合っているかのようだ。安倍首相には実務経験を積み重ねさせて官僚を育てる発想がなかった。過去の長期政権では、首相秘書官のキャリアパスへの配慮があったのだが。

安倍氏は『使える』と考えた官僚を重用しすぎ就任期間を長くしすぎた。

その結果、つぎにその地位に就くべき優秀な人材がはじかれました。それぞれの組織は、将来の重職を担う人材を長年かけて養成している。異例の人事を繰り返すと、組織の将来図が描けず、結果として官僚組織が駄目になるのです。

そのひとつが内閣法制局です。

内閣法制局は、1952年に発足して以来、内閣が代ろうとも戦後一貫した憲法解釈を維持するため、恣意的な政治介入を防ぐ「防波堤」となる『法の番人』として、法制次長から長官に内部昇格する「順送り」「前例踏襲」を原則としました。法政局のメンバーは、他府庁の官僚たちよりも別格の存在の『神様集団』として一目おかれていたのです。

しかし安倍さんは、集団的自衛権の行使ができるように憲法解釈を変更することに強い意志をもって、長官交代について前例を覆す異例の人事を行いました。

法制局の第一部長時代には政府の解釈改憲に反対していた横畠さんが、長官に就任したとたん考えをかえ、解釈変更を認めてしまいました。法制局内部の空気がおおきく変わった。

自信をみなぎらせて語っていた官僚たちにも変化がおこりました。その変化が防衛省でも話題になったようです。

「彼らは当事者性がなくなったよな」「そうそう。法制局の参事官も次長も、みんな他人事のようにしか語らなくなった。『これは合憲らしいです』 『これは大丈夫らしいです』って。『らしい』っていわれてもねえ」。いくら質問しても「横畠長官に上がるまで、我々は『合憲だ』と断定できない」と繰り返すだけ。「神様だ」と思っていた法制局の人たちも我々と同じ人間になったんだね。

異例の人事が、官僚の姿勢を一変させました。首相や官房長官が人事を振りかざせば、本当に官僚の考え方を百八十度転換させる力があると分かりました。官僚の悲哀です。

菅さんは、安倍第一次政権の総務大臣のとき、「大臣は人事権をもっている。権限は使わないと意味がない」と語った。菅さんは、自分を軽視する官僚は徹底的に許さなかった。

その理由を「官僚人事は順送りにはしない。適材適所で行う。それが国民のためだ」と語りました。

自著の『政治家の覚悟 官僚を動かせ』には、あからさまに「『伝家の宝刀』人事権」の記述があります。人事権をふるうことを楽しそうに語っています。「最初は官僚の人っていうか役所は抵抗する。しかし、ある程度、あきらめてしまうと今度は協力態勢になる」と公言しています。     

■遺訓第20条

何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し。人ありて後ち方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其の人に成る心がけ肝要なり。

 

◆論点26.2 自民党の政治思想と道義心の劣化

 菅首相は、新型コロナ感染症対策のため「自粛要請」の緊急事態宣言を発出した。総裁選挙では「自助―共助―公助 絆」をかかげたが、コロナ対策において「共助」には一言もふれていない。「天命」への畏敬による祈願もない。「私―公」二元思想にもとづく自粛要請の「自助」と休業補償金給付の「公助」の目先の言及だけである。

しかも「公助」はカネをばらまく給付金・支援金だけではないはずだ。

野党は、実効性のある感染症対策のため、法改正が必要だと主張し、国会を延長して継続審議を要求した。

ところが自民党と公明党が連立する政権与党は、野党提案を拒否した。「唯一の立法機関」である国会を休会とした。職責放棄にひとしい。その政治行動は、国政選挙で連勝して「功に伐り驕慢の生じた」一強自民党の「己を愛する」党利党略ではないか。

2021年は衆議院議員の任期満了となる。国会議員も「選挙に落ちればただの人」となる。だからおおくの議員にとって、国難対策よりも「己を愛する」わが身の保全が最大の関心事となる。国会休会中は、もっぱら地元に帰って支持者の会合に顔をだすのに明け暮れる。

おおくの国会議員にとっては、「票」の集票と「献金」の集金こそが関心ごとなのだ。

自民党政治家には「政治と利権とカネと票」の公私混同で事件になる者もおおい。

安倍元首相は、モリカケ問題につづきサクラ問題をかかえる。首相の地位にある者の「ウソ」発言に、おおくの国民が道義心=節義廉恥の欠如を感じている。

元農水大臣の二人は、鶏卵業者からの賄賂容疑で検察の捜査を受けた。元内閣府副大臣は、カジノ事業に関連して賄賂容疑で逮捕。元法務大臣は地方議員を現金買収した容疑で公判中。その妻も、公職選挙法違反で有罪判決。

己れを愛する」私利私欲の渦にもまれて右往左往しながら議員辞職もしない国会議員、それでも手厚い議員報酬は支払われる。

自浄作用を喪失した自民党の政治思想と道義心の退廃といわざるをえない。日和見政治家集団への堕落を、自民党に大口献金する財界や排外的民族主義者やジコチュウの事大主義者やコスパ重視の若者たちなどが、熱烈に支持する。

安倍政権をささえてきた自民党の政治家たちは、大日本帝国の明治国家時代に郷愁を感じ、憲法改正・美しい日本などと叫びながら、安保条約と日米軍事同盟に国防をゆだねる。米軍の核兵器に依存して、台頭する中国に対峙しようとする。

自民党政治は、皇国史観による靖国崇拝、米国への従属拝跪、貪欲資本主義の金銭至上を三本柱とするご都合主義的な精神分裂症を慢性化させている、とわたしは思う。

 

◆論点26.3 近代的人間像と領土に閉じた国民国家像は賞味期限が切れた

コロナパンデミックの国難に対処している者は、国会議員と公務員だけではない。政府の下請け諮問機関である「選挙でえらばれない」有識者・専門家たちも重職をになう。

菅政権のコロナ禍対策は、政府に助言する政治家―経済学者―疫学・ウイルス・ワクチン医学者などと所管の大臣・官僚によって発せられる。

医学者は、❶「自然」生命現象の一部である❷「個人」の身体生命と心理を相手にする。

疫学者は、集団生活における個人どうしの❸「社会的関係性」を相手にする。

経済学者は、金銭が媒介する❹「資本主義」経済の生産・消費活動を相手にする。

政治家・官僚は、❺「民主主義」の❻「法治国家」に生きる❷国民の命と暮らしを相手にする。

これら錯綜する次元の議論の集約として、対象地域を限定して二度目の緊急事態宣言が発せられた。しかし国民の気持ちとして政治への信頼と納得感は高くない。おおくの国民が、政府の言葉を信用しない。菅政権の支持率は一貫して下落し続けている。

コロナ禍対策のため、たしかにそれぞれに細分化された専門家たちが結集してはいる。だがそれらの叡智を、総合的・俯瞰的・長期的な政策体系にまとめあげている、といえるか。

その実態は、民主主義の根幹である合意形成システムの形骸化をあきらかにしている、とわたしは思う。

新型コロナ対策は未知のことばかり。こんな非常事態の国難のときこそ、エリート官僚の知恵を結集させるべきだが、それができていない。

 

エリート官僚の中央集権機構については、明治維新に挫折した西郷なきあとの大久保が、官僚主導の国家体制を近代国家として確立した。

その国家像は、「お上が下々の国民を統治する」という人間像と国家観を前提とする。おおくの日本人の深層には、「八百万の神々・お天道様―お上―下々」という上下・三角形の空間意識が潜在している、とわたしは思う。

しかし欧米流の民主主義は、個人の平等を主張するので「お上―下々」の分離を前近代的な封建思想とみなす。主権在民を基軸とする戦後憲法もアメリカ流民主主義の政治思想を継承しているのだ。

問題とすべきは、日本国民が自らを「国家の主権者である」と自覚する意識分布、憲法が規定する「主権在民」の政治意識の分布である。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託による」という憲法前文の規定を自分事と了解するか、「厳粛な信託」など自分には関係ない絵空事だと無視するか、有権者の意識はどのように分布するか。

わたしは、「政事は、人物高潔で見識のある政治家にまかせればよい」、そういう人物を選挙で選び、政治のことは「お上にお任せする民主主義」でよい、しかし権力を批判する政治的発言の自由は保障されたうえで、統治者と被治者を区別する「下々とお上」に国民を分離すべきだと考える立場である。

この立場は、「社会」と「国家」の意味・概念を明確にきちんと分ける考え方を要求する。

 明治維新から約150年、戦後憲法発布から約75年の2021年の現在、アフターコロナの未来社会にむけて、西洋流の近代的人間像と国境に閉じた国民国家像は、賞味期限が切れており、新たな選択の人類史的転換期にある、とわたしは考える。

❶自然、❷個人、❸社会、❹資本主義、❺民主主義、❻国家に関する「概念」の再構築が求められ時代である。世界観と自然観と人間観と国家観のルネッサンス、第二次啓蒙時代といえる。まさに「近代の超克」の最終段階である。この時期に、小選挙区比例代表制の国政選挙で連勝し「功に伐り驕慢の生じ」「己を愛する」党利党略の自民党政治は、赤字財政が千兆円超に象徴されるように、「節義廉恥」なき国家運営である、といえないか。

新型ウイルスの蔓延防止という自然と生命に潜在する猛威への対策としては、あまりにも目先だけ、現実だけ、金銭だけ、法律だけの「せこい、せまい」思考に堕落しているのではないか。

「国民に寄り添う」という軽い言葉をはっするだけの菅総理大臣の国会答弁には、総合的・俯瞰的・長期的な骨太の価値観、思想、哲学、国家論がみえない。

 

それは、自由民主党の政治思想と所属議員の資質が劣化した帰結ではないか。その自民党政治がこのまま続くとすれば、どうなるか。

主権国家が万国対峙するグローバル社会において、日本の未来をどのように展望するか。

そもそも西洋流の<自由―人権―個人尊重>の近代的人間像を思考停止することなく、どのように問いなおすべきか。

西洋流の市民社会思想と<民主主義―法治国家>の国民国家像を思考停止することなく、どのように問いなおすべきか。

コロナ狂騒パンデミックは、<人命、生活、資本、領土、権力>などの「価値」そのものを問いなおす新たな知性のあり方、つまり西洋思想を「抜本塞源」する人間像と国家像を求めている。

記号論を柱とする現代思想は、ポストモダンの脱構築の旗をたてながら、出口のない迷路散策を趣味とする絶対的相対主義・ニヒリズムの知性といえる。

わたしは、現代文明社会の人間疎外状況を脱構築する指針を西郷精神に求めたい。

 

■遺訓第2条:

 賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければたとい人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁にして成功有るべからず。

昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云ふ様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。

■遺訓第16条  

節義廉恥を失ひて、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。

上に立つ者下に臨みて利を争ひ義を忘るる時は、下皆之れに倣ひ、人心忽ちち財利に走り、卑吝の情日日長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、相ひ讐視するに至る也。

此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。

 

◆論点26.3 西郷精神による近代の超克、「三治政体」の統治機構

1)国際政党の必要性

 学問、経済、文化、スポーツなどは、国籍に関係なく国境を気軽にこえて交流できる。

しかし主権在民の立憲制政治システムが支配できる空間は、国境に区切られた領土社会に限定される。日本もおおきな影響をうけるアメリカの大統領選挙に関しては、日本国民は何も参与できない。

外国人も他国の政治に参与できる「国際政党」の社会運動が必要ではないか。「民主主義―法の支配」という主権国家に閉じた「領土社会内政治」思想の限界をこえる「国際政党」が必要ではないか。

地球村民意識、『天』の下で共に生きる四海同胞、天道大義の・敬天愛人をかかげ、強きを戒め・弱きを励ます、人情・侠気・仁愛の精神を以て、近代西洋思想を抜本塞源する国際政党。

 

政治思想の「民主主義」と「権威主義」の米中対立が鮮明になる国際政治状況である。

中国共産党が支配する<中華思想>の<社会主義現代化強国>について、習近平国家主席と正面から対峙し、対話できる「国際政党」を結成しよう! 

77歳をすぎて人生最終章を生きる隠居老人のわたしは、地球環境と自然生態系の中、「共に天をいだく」理念をもつ「国際政党」のもと、各国の風土・伝統に準じた「西郷党諸派」の発生を夢想する。

西郷が残した南洲翁遺訓は、「革命いまだ成らず、国家権力者に正道を踏む道義心を求める」痛切なる遺言であるとわたしは理解する。

 

2)西郷の遺言 ~未完の明治維新

明治維新における西郷の功績の歴史的事業をつぎの三つとする。

①戊辰戦争 徳川幕府の解体 →中央集権の政治体制へ

  薩長土の藩士を中心とした武力を背景に江戸城無血開城

②廃藩置県 諸藩の解体、殿様の廃止 →国内統治の都道府県制度へ

  政府直属の近衛兵の武力を背景に300諸藩の抵抗・反乱を阻止

③西南戦争 士族階層の解体 →徴兵制、国民皆兵 →四民平等、民権運動へ

  英仏による植民地化を拒絶、政府官軍の武力による薩摩藩の不平士族の鎮圧を受け入れ、

 

明治維新において「敬天愛人」を実践できなかった西郷の挫折の根本原因。

❶米英仏露の帝国主義列強に対峙する経綸を強力に主張しなかった。

島津斉彬、橋本佐内、勝海舟などが唱えた日韓清の三国攻守同盟による統一戦線構想の不徹底。

❷敬天愛人=「忠孝仁愛教化の天地自然の道は政事の体本にして云々(遺訓第9)」を唱道する思想家を養成しなかった。

福沢諭吉、中江兆民、中村正直などの知識人の動員、組織化など取り組まず。

❸国家の軍事力は、邪道を蹴散らかして正道を踏む「破邪正顕」の手段であることの道義思想を軍人に徹底的に教育しなかった。

黒田清隆、西郷従道、川村純義、大山巌などへの敬天愛人思想の徹底訓導の失敗。

 

3)西郷の政治思想は、天意➡【聖人君子➡賢人百官➡ 万民下々】に集約される。

その意味は、西郷が島役人にあたえた『与人役大体』にわかりやすい説明がある。

役目と申すものは何様の訳にて相立たれ候か。

0)第一より万人御扱い成され候儀出来させられざる故

1)天子を立てられて万民それぞれの業に安んじ候よう御扱い成され候えとの事

2)天子御一人にて御届け成されざる故、

3)諸侯を御立て成される故、

4)諸有志も御もうけ成され候も、専ら万民の為に候えば

5)役人においては万民の疾苦は自分の疾苦にいたし、万民の歓楽は自分の歓楽といたし、

6)天意を欺かず、其の本に報い奉る処のあるをば良役人と申すことに候。 

7)若し此の天意に背き候ては、即ち天の明罰のがる処なく候えば深く心を用ゆべきことなり。

8)万民の心が即ち天の心なれば民心を一ようにそろえ立つれば 天意に随うと申すものにござ候。 

 

4)西郷精神と戦後憲法思想の対比

 a.天意に代わり、国民の総意(「一般意思」)が、国家の最高権威の位置につく。

 b.有徳の君主は、首相・総理大臣におきかわる。

 c.君主につかえる賢臣は、普通選挙による国民を代表する公務員におきかわる。

 d.下々の民百姓は、主権者として国籍が付与されて国民となる。

西郷の政治思想は、国家権力者(為政者、政治家、公務員)に対し、天道=道義=仁徳=節義廉恥=滅私奉公の修業を求める。

その国家像は、人智をこえた天道を最高権威とする道義国家である。

憲法の政治思想は、国家権力者に対して、「憲法を尊重し擁護する義務」(憲法第99)を求める。

その国家像は、人智を結集した憲法を最高法規とする法治国家である。

2021年の現在、主義・主張・立場・利害・好悪・価値観・思想のちがいによる不寛容の差別や憎悪や敵対や抗争が、世の中に蔓延している。人類の叡智の結集に失敗している状況といえる。

西郷は、西欧列強の帝国主義的侵略と植民地支配を「文明ではなく道義心なき野蛮じゃ」(遺訓第11)と断じる。

■遺訓第11条

 文明とは道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや。

 

西郷の政治思想の現代的意義は、個人尊重(自由・人権)―資本主義―民主主義―国家主義を「普遍的価値」とみなす西洋思想の「国政・憲法」の上位に、東洋的道義性の「慈愛」を根本価値とする「大政・道義」を据えることである。

 

5)戦後憲法の問題点

自由個人主義と法治国家主義の二元論。共生思想の不在、節義廉恥の不在。

・個人(私)

   個人の自由と人権の過剰、義理人情の社会的関係性の無視、自立市民像の虚構

・社会(共)                      

   国家が「公共の福祉」を独占、生活共同体の崩壊、生活と仕事の本末転倒、金銭呪縛

・国家(公)                       

   主権在民の形骸化、経済による政治支配、差別と格差、人種・民族の分断、核兵器

・自然(天) 

   傲慢な人命中心主義、生態系の破壊、気候変動、国際法と国連のSDGsの限界

 

6)戦後政治を根本から問いなおす視点

  ❶自由と人権の個人尊重一辺倒のリベラル野党の個人主義

  ❷領土を支配する国家主権一辺倒の保守思想の国家主義

  ❸経済成長とアメリカ一辺倒の物欲・金拝思想の資本主義

  

7)個人―社会―国家―世界の素朴な理解 

①個人 「個人」尊重の近代的人間像から相互扶助で生きる「共人」思想へ

  人間の生命・身体の原理は、哺乳動物のそれと大差ない。個人の一生はたかだか100年前後の有限な一過性である。人間は、血縁・地縁・隨縁に束縛されて社会的関係性を生きる。 ②社会  人間と世間の「間」、個人=∑社会的分身 5P: person private proxy public people

  個人は、さまざまな<中間集団>に『分身』として帰属し、少壮老の一生をすごす。社会は、さまざまな集団間の利害関係を伝統的習慣と社会的良識と妥協により秩序を維持する。個人と集団は、自治的生活社会では解決できない問題解決を国家に要求し、国家の一員となる。

③国家 「西洋は野蛮じゃ」、国境は戦争によって確定される、西欧の植民地経営の残滓!

  国家は、家族→氏族→部族→民族の社会的関係性の拡大にともなって誕生する。国家は、地球に国境線をひいた境界内「領土社会」を排他的に統治する。主権国家の驕慢。

④世界 法治国家の主権を自治共政(ボトムアップ)と徳治大政(トップダウン)により相対化

  地球環境を破壊する主権国家の法治能力は、経済と道徳の両面から限界を露呈。

  人智をこえた複雑性の増大への対応にビッグデータを解析するAIを活用する。

 

8)【生活社会】と【国民国家】を明確に分ける憲法改正の必要性

  憲法第12条の「公共の福祉」と第13条の「個人として尊重」の関係が明瞭でない。

  憲法には、社会問題解決の「自治能力」と「相互扶助」を修練する原理がない。

  憲法の人間像は、社会的問題解決を、なんでもかんでも国家にもとめる。

  個人主義・人権思想は、国家だけに福祉政策・弱者救済を要求し、共同体を無視する。

  国家は、「公共の福祉」を独占し、法律体系を複雑にし、行政機能を肥大化させる。

  国家は、政治を資本主義に合体させ、自由経済競争による富の配分を福祉の原資とする。

  国家は、徴税権を独占し、税収増をめざしてひたすら企業支援の経済成長をめざす。

  資本主義は、「金銭なければ生活できない」仕組みによって、人間を金銭の檻に縛る。

人間の生活は、国家に全的に保護されるのでなく、金銭価値による幸福だけでもない。

 「公共」概念を「公」の法治国家と「共」の自治中間集団に解体すべきである。

  「共」の担い手は、NGO(非政府組織)、NPO(非営利法人)、社会的起業家、隠居老人とする。

 

9)温故知新

※聖徳太子の「十七条憲法」

   第十条 人も我も、賢者でありかつ愚者であり、共に凡夫であることを自覚すべし 

  ※西郷隆盛 南洲翁遺訓    

   第25条 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず。  

 

10)古今東西にわたる国家の普遍的な統治機構 トップダウンとボトムアップ

超越的価値 →【①天下・権威者 →②国家・権力者】 →③社会・生活者

縄文文化を基層とする日本人に潜在する超越的価値は、神仏儒老の八百万神々が習合した「お天道様」である。

「お天道様」の「道」は、「天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し」(南洲翁遺訓第9)の「天道」である。

南洲翁遺訓の天道思想は、個人主義・人権と国家主義・国権の過剰を相対化する現代的意義をもつ。

❶天下・権威者 徳治大政システム―人類社会(地球自然) 人道、憲法議院  天子様

❷国家・権力者 法治国政システム―領土国家(国民国家) 人権、衆議院    お上

❸社会・生活者 自治共政システム―中間集団(生活社会) 人情、地方議院   下々

参照➡No.18 遺訓第20条 「共政―国政―大政」三次元民主政治システム構想  20191130

 

11)西郷共人党(仮称)結党宣言     

1.節義廉恥なき西洋流の『自由』と『民主』と『法の支配』を人類の普遍的価値と認めない。

2.「敬天愛人」精神による相互扶助の社会秩序を実現するために戦後憲法を改正する。

3.個人の人生は、「私助―共助―公助―天命」を枠組みとする社会秩序において保障される。

4.私:人間は、「個人として尊重」されるのでなく、社会的関係性の「共人として尊重」される。

5.共:生活社会の秩序を、個人と家族と生活共同体による「自治共政」で維持する。

6.公:領土国家の秩序を、正当に選挙された国民の代表者による「法治国政」で維持する。

7.天:地球の生態系の中で共に生きる人類は、敬虔謙虚な精神を以て天下泰平をめざす。

8.国家権力と経済活動と科学技術の道義性を監視する審級機構を「徳治大政」とする。

9.「自治共政―法治国政―徳治大政」に就く政治家は「敬天愛人」「修己治人」を修練すべし。 

10.『自由・民主・法の支配』から『強きを戒め・弱きを励ます侠気・人情』へ政治志操の転回。

 

※呼びかけ

 日本人のよき伝統文化を壊したのは、武装する天皇制の明治国家である!

明治維新をやりなおし、江戸町民の精神文化を復興、未来の日本を作りなおそう!

    1)戊辰戦争をやりなおそう!      倒幕ならぬ、欧米追随の自公政権を倒す

    2)5か条のご誓文を作りなおそう!  王政復古ならぬ、十七条憲法の和を以て貴しと為す

    3)西南戦争をやりなおそう!      西洋兵器ならぬ、神仏儒老の習合精神を世界に発信

    4)国会開設運動をやりなおそう!   国権の最高機関ならぬ、道義的権威の憲法議院の開設

    5)大正デモクラシーをやりなおそう   自由・人権ならぬ、自治・民権による国権の相対化 

 

12)大きな構想、小さな実践

※大きな構想

憲法議院設立を国会に建白する憲法改正運動 ☞ 徳治大政システム

※小さな実践

長老私塾・人生論学習塾の全国展開、生活圏条例制定運動 ☞ 自治共政システム

 

 

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