5.4 「人命尊重、人権思想」を問いなおす 201531日 

まず「人命尊重、人権思想」を問いなおす理由を考える。つぎに「人命尊重、人権思想」の意味を確認しなければならない。そしてその意味を問いなおす理由の現状を記し、その現状の関係者たちを整理する。

そして、日本人にとって「人命尊重、人権思想」のそもそものはじまりを確認し、その以前の社会思想と人間観をふりかえる。最後にその社会思想の倫理性についてコメントし、「人命尊重、人権思想」の人間観を問いなおす視点を要約する。

 

1)「人命尊重、人権思想」を問いなおす理由

「人命尊重、人権思想」を問いなおす、などとは物騒な題目である。奇をてらった問題提起のようにみえるかもしれない。しかし「悲惨な介護現場」の状況をテレビや新聞をみるかぎり、老人福祉の「文字面だけ」の基本的理念にたいして、疑問をむけないわけにはいかない。

いまや日本人の平均寿命が、80歳をこえて90歳から100歳になろうという近未来である。「人口減、少子化、高齢化」社会+「ロボット、人造人間」社会という未来像は、確実であろう。

2015年、戦後70年をへた日本は、これからどのような国家を目指すのか。国民国家どうしがせめぎあう国際紛争は、収束というよりも拡大する気配である。

古希をこえた自分は、老人としてなにをめざして生きて死ぬか。

そもそも自分とは何者なのか。人類、人間をどう理解するか。

その人間たちが集まる社会と歴史をどう了解するか。

グローバル社会の国民国家は、その内政と外交をこれからどのように変貌させていくのか。

アメリカや日本を先頭とする高度文明国家は、1789年のフランス革命のスローガンである「自由・平等・友愛」の西欧近代思想をひきつぎ成功をおさめてきた。

しかし、おおくの識者がその西欧近代思想が破綻した、という。哲学者は、すでに100年前から「西欧の没落、精神の崩壊、合理性の過剰」を嘆いてきた。「このままでは人類に未来はない」と警告する人類学者もいる。

いまや「戦後」を営みながら新たな「戦前」を準備している「戦間」時代かもしれないむ日本国も、明治維新と敗戦につぐ歴史的な変革の時代に直面している、とわたしも思い、多くの人もそう感じて、そういう。

 

1867年の明治維新は、下級武士を中軸とした日本人自らが、封建思想の江戸幕藩体制を破壊した。破壊だけではなく、日本人はあらたな天皇制国家を創造した。明治国家の指導者たちは、西欧帝国主義国家の植民地になることを脱すべく、西欧流近代思想の国民国家をめざした。思想的には、「脱亜入欧」の福沢諭吉たちである。

1945年の敗戦は、大日本帝国が自滅して、あらたな民主主義国家が連合国から指導=強制された変革であった。戦争でひどい目にあった大多数の日本人は、敗戦による終戦をよろこび、平和と自由の主権在民と基本的人権を柱とする新憲法発布を歓迎し、アメリカ文化を受け入れ、アメリカ軍に基地を提供して国防の主導権をゆだね、自分たちは経済復興にはげみ、そして戦後70年、平和つまり人命尊重と自由つまり人権尊重を自家薬篭中の物としてきたのであった。

 

そして、あれから70年、もはや「戦後」ではない。「戦後」後の時代である。借金1千兆円の次世代へのツケ。この時代の先は、平和国家・経済大国の為すすべもない自滅なのか、それとも新日本への脱皮なのか。諸行無常、生々流転の歴史的な変革の時代である。

だから、戦後憲法の個人の自由、主体性、基本的人権、生存権にまで踏み込んで、現代の社会思想・常識を根本から問いなおすことも、奇をてらった問題提起とは思わない。

浅学菲才の身をわきまえて、隠居気分で自分と世の中を見渡しながらも、今後の日本社会をおおげさに妄想できることは、老後の道楽であり、時間がたっぷりある老人の特権でもある。

 

2)「人命尊重、人権思想」の意味を確認する

内閣府が公表した「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書」(案)の副題は、~尊厳ある自立と支え合いを目指して~である。老人福祉法の基本的理念は、人間の尊厳、人命尊重、人権思想である。

ここで、問いなおすテーマの「人命尊重、人権思想」の意味を簡単に確認しておこう。

○人命尊重、尊厳思想 

「人命尊重」を人間の命に付随する天賦の権利=自然権とみなす。年齢や健康状態や人格品性などに関係なく、人間であること自体に「尊厳」をみとめる無条件の即自的な「尊厳思想」である。この思想は、封建制、身分制、人種差別の歴史的時代の否定として生まれた。

人道主義、ヒューマニズム思想である。「人の命は、地球よりも重い」と発言した総理大臣もいた。

○基本的人権尊重、個人主義、自由主義

国家は、国民を独立した個体=個人=私人として尊重する。戦前までの家制度や村落共同体や町内会などは、「個人の自由を抑圧する」ものとして否定した。老若男女や職業や生活状態などを理由とする差別を禁止する。法の下で万民平等の「基本的人権」尊重思想である。赤ちゃんにも痴呆老人にも犯罪者にも基本的人権を認める。

個人の人格、信条、主張、価値観を尊重する「自由主義」思想である。

その「私」的な個人情報は、「公」国家が独占的に管理する。

○生存権、社会的権利思想、民主主義、「強私要公

 人は、ひとりでは生きられない社会的動物である。社会とは、人の集団である。集団を構成する全員が、個人の尊厳思想=生きる権利をおたがいに承認しなければならない。

ここで尊厳思想は、社会で生きる権利=生存権という権利主張となる。個人主義の拡大の「社会的権利思想」である。「公」国家は、「私」国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する義務を負う。「私権公務」社会である。

 戦後の社会思想は、主権在民の民主主義である。戦前の「滅私奉公」の否定である。国民は、尊厳思想、人権尊重、生存権の保障を国家に主張できる。「強い人間像」である。強い権利思想をもった「私」が強く「公」に社会保障を要求する。「強私要公」社会である。

 

◆このような社会思想を基盤として、老人福祉制度による介護現場に、なにが起きているか。

厚生労働省の2012年の推計では、65歳以上の高齢者の約15%、総数で約462万人が、日常生活に支障をきたす認知症である。医療と介護の公的な費用は、計約43兆円。2025年度には70兆円を超すと推計する。

その費用負担の根拠が、「人命尊重、人権思想」である。

老人福祉制度の理念を、これから具体的な事実にてらして点検しよう。そのための材料を、老人福祉制度による介護の現状について新聞記事から引用する。この記事は、特殊な事例ではない。ありふれた事実である。我が老生の身にも起こりうる事象である。

 

3)「人命尊重、人権思想」を問いなおす材料 ~老人福祉制度による介護の現状

●老後の不安 ~1年半で8カ所を転々 

80歳の妻と81歳の夫の介護現場」

夫は長く建築関係の仕事をして、妻とともに3人の子どもを育てた。退職した後はあちこち海外旅行に行くおしどり夫婦だった。そして8年ほど前に妻が認知症と診断された。

81歳の夫が、妻を自宅で介護してきた。症状は徐々に進んだ。昨年7月、妻は脳梗塞になり、救急病院に入った。

救急病院では1週間ほどで「治療が終わったので」と退院を求められた。妻は体力が落ちてトイレや風呂に自力で行けなくなっている。自宅での介護は難しい。夫は妻の受け入れ先を探した。

特別養護老人ホームは、手厚い介護を受けられが、県内で2千人以上の入居待ち状態。介護老人保健施設や療養型病院は、どこも「その症状では、うちでは介護できません」と断られた。たまたま知人の紹介で入られる施設があって安心した。

しかしわずか1週間ほどでして「奥さんの症状ではお世話できない。明日、精神科病院に移すので立ち会ってほしい」と電話があった。妻は夫の姿が見えないと、「お父さん、お父さん」と興奮し、施設内を動き回る症状だったようだ。

入院した精神科病院の患者は、ほとんど男性。地域包括支援センターに相談し、一般病院の精神科に移った。

今年6月、順番待ちしていた特別養護老人ホームに入居できた。だが1週間して、けいれんを起こして別の病院に運ばれた。治療後に戻ろうとしたら、「うちではもう面倒をみられない」と拒まれた。

また、一般病院の精神科に戻った。日中は車いすで過ごし、食事はおかゆで、オムツを使う。夫は「病院にいられるだけでありがたいと思わなければ」と話す。

ただ、その病院からも「そろそろ退院を」と言われている。次のあてはない。夫も7月に肝臓がんの手術を受け、体調はすぐれない。「認知症の人が病院から介護施設などに無理なく移れるような中間的な施設があればいいんですが。先行きには不安しかありません」という。

 

60歳代の自営業男性の現場 

「拘束介護をせざるをえない介護現場」

 母親を父親と自分ら夫婦の3人で在宅介護してきた。母親は連れそってきた夫を認識できなくなった。排泄物を手で触ったりする。要介護5になった時、自宅での介護をあきらめた。高齢者向け住宅に入居させた。

 そこでは、母親に自分では脱げない「つなぎ服」を着せられた。夜間はベッドに体を固定された。世話がどれだけ大変か私はわかっている。忙しいヘルパーに一日中ついてもらうわけにいかない。ベッドから転落することもある。徘徊して転倒する事故もある。「拘束介護」しなければ現場はまわらない。効率的に業務をおこなうのは理解できる。拘束は、母親の事故をふせぐシートベルトみたいなものだ。

 もちろん「拘束ゼロ」を実践している施設があることは知っている。拘束は人権侵害であろう。しかし母親を世話してもらっている施設からは、「拘束介護」の承諾を求められた。世話の大変さをわかっている自分には、断れるわけがない。

 

●80歳代の理事長が掲げる社会福祉法人の理念

「国をあてにしない」

小田原市にある社会福祉法人の理事長は87歳。その理念を「人は人として存在するだけで尊い」と掲げる。戦争で命の尊さを知ったからだ。戦前は満州で暮らした。帰国したのは1947年3月。国家の庇護もなく、危険を感じながら異国で過ごした。「国家を信じてはいけない」という確信をもった。

理事長は、「施設で暮らすことを望む人はいない」と言う。施設介護が中心の時代に、高齢になってもできるだけ自宅で暮らせる仕組み作りに取り組んだ。この法人は、高齢者や地域福祉の分野で、国や自治体に先駆けた取り組みで知られている。

 

4)「人命尊重、人権思想」を問いなおす関係者 ~自分の問題として考える

老人福祉制度による介護の「悲惨な現状」をどのように解釈し解決するか。

それは、それぞれの関係者たちの思想と行動にかかわる。介護現場にかかわる関係者には、「支えられる本人」と「支える」家族、施設、事業法人、制度担当者などがいる。

 ・家族 ・・・・・在宅で世話する家族、施設を利用する家族、施設にお任せの家族

 ・国家、地方自治体・・・・立法機関と行政機関の議員と担当役人

 ・学者、専門家 ・・・・老人福祉制度の研究者、提案者、社会思想家、市民運動家など

・社会福祉法人 ・・・地方自治体や特別養護老人ホームなどの職員

 ・医療法人  ・・・・・・療養型病院、精神科病院、介護老人保健施設の医者、看護師など

 ・民間企業  ・・・・・・有料老ホーム、高齢者住宅、グループホームなどの社員、ヘルパー

 ・その他   ・・・・・・・NPO,町内会、老人クラブ、地域コミュニティなどの個人

「支える人」と「支えられる本人」との関係を「私共公」の枠組みでみれば、つぎのようになる。これらは、「自助―共助―公助」と呼ばれる。

私: 家族 ・・・・血縁関係、肉親の情愛や義務感から自発的に無償で支える

企業等・・・・契約関係、医療介護ビジネスとして支える(医療機関もふくむ)

共: 町内会やNPOなど ・・・・人間関係、人情=絆から有料、無料で支える

公: 省庁、自治体 ・・・・職務関係、法律・制度により税金と保険料で支える

 

老人福祉制度による介護の「悲惨な現状」をどのように解決するかは、もちろん簡単な問題ではない。アベノミクスの経済成長戦略と消費税増税によって、介護における「尊厳」と「人権問題」が解決されるものとも思えない。

わたしも老夫婦の二人ぐらしである。ひとりぐらしの80歳ちかい姉もいる。幸いにいまは自立して生活ができている。だが、いつ「支える」、「支えられる」関係が発生するかも分からない。そういう蓋然性のたかい事態の到来にどう備えるか。

もしわたしが「支えられる本人」にならざるをえない状況になったとき、わたしは基本的人権、生存権という権利を意識するだろうか。

自分の権利を主張して、他者に向かって義務を要求するだろうか。

「支えられる」ことを卑下する必要はない、尊厳をもって自らの権利として堂々と、「支える人」に「支える義務」を要求してよい、と考えるだろうか。

わたしを「支える人」たち、関係者たちに、どのように向きあえばいいのだろうか。

そもそも認知症になったとき、自分を「支えられる人」と認知できるのだろうか。

だから、元気にくらせるいまのうちに、何らか心構えをしておくべきじゃないかと思う。

いっぽう、もしわたしが、介護を必要とする妻や姉を「支える人」になったとき、妻や姉の「人命尊重、人権思想」について、どのように考えるべきなのか。いまのうちに、何らかの手立てをしておくべきじゃないかと思う。

「人命尊重、人権思想」を問いなおすというテーマは、すぐれて自分の人生論、「了解自己」の問題である。

 

)日本人にとって「人命尊重、人権思想」のはじまりは、敗戦である  

日本人にとって、自由と平等の人権思想は、明治維新を契機に西欧から輸入された。民権運動がおこり、普通選挙を実現させた。人権思想は、日本流の民本主義として大正デモクラシーの一時期に隆盛をみた。だが戦時体制にまい進する大日本帝国の治安維持の強化はすすみ、個人尊重の人権思想は、天皇制の国体思想のもとで抹殺された。

日本人にとって、人命尊重・人間の尊厳思想は、敗戦を契機に戦争の悲惨さの反転として強烈に自覚された。日本人は核爆弾の脅威を体験した。おおくの国民が、少数の権力者がみちびく君主制立憲主義=国家主義の犠牲になったと思った。(大東亜戦争=太平洋戦争の戦死者は、軍人と民間人をあわせて日本人が約3百数十万人。アメリカ人は十数万人、フイリピンで百万人前後、フランス領インドシナで150万人前後、インドネシアで350万人前後、中国では千数百万人前後の死者という数字データもあるが、もとより正確な記録などないだろう。)

日本人は、ポツダム宣言の受諾、新憲法発布により、個人の自由と人権思想と民主主義という社会思想を積極的に受け入れた。

これらの人命尊重、人権思想は、70数年を生きてきたわたしにとって、もはや切実な問題ではない。空気の存在のような当たり前の前提となっている。幕末の動乱に生身をさらしたわけではなく、戦場でくらした経験もない。だから、「人命尊重、人権思想」の社会思想も人間観も、観念レベルの知識でしかない。

しかし、うえに見た介護の現場の状況、毎年1兆円の社会保障費の増加、という現実の根拠が「人命尊重、人権思想」であるからには、あらためて人命尊重、人権思想」の社会思想と人間観を問いなおすことも不自然ではなかろう。

 

6)人命尊重、人権思想」以前の社会思想と人間観をふりかえる

まず「人命尊重、人権思想」でいう「人」=人間とはなにか、という問いを発しよう。この問いは、哲学的なテーマである。我がシステム論哲学は、「人」という個体を対象として、ⅰ)内側、ⅱ)境界、ⅲ)外側の三元論の枠組みで理解する。

ⅰ)人の内側  ・・・・内部構造、自分、生命、身・肉体―心・感情―頭・理性、人格など

ⅱ)内と外の境界・・・・身辺外部からの刺激の選択的知覚、内から外への選択的応答

ⅲ)人の外側  ・・・・外部環境、社会と国家 人工物、動植物、地球、自然、宇宙など

「人命尊重、人権思想」を、この枠組みに位置づければ、ⅲ)社会と国家の側からみたⅱ)の境界領域に位置する。

ⅰ)の個人、個性、人格などは、ⅲ)社会と国家の体制、社会思想、国家論が要求する人間観となる。だから「人命尊重、人権思想」は、民主主義にもとづく国民国家体制が要求する人間観となる。

縄文時代のむかしから日本人が、「人命尊重、人権思想」を当たり前だと考えていたわけではない。「人命尊重、人権思想」は、歴史の所産である。

では、この「人命尊重、人権思想」という人間観を問いなおす、とはどういうことか。これを考えるために、「人命尊重、人権思想」以前の歴史を簡単にふりかえる。 

 

封建制、身分世襲制、貴族王権制、専制君主制、天皇制、絶対主義国家においては、「人権思想」などありようがない。「人権思想」は、「人権」なき人間像への抵抗、その社会体制の破壊、革命の根拠として生まれた。1789年のフランス革命が、その画期とみなされ、歴史はくだって世界人権宣言につながり、日本国憲法に継承されている。

その「人権思想」なき社会の人間関係は、支配者―被支配者という上下関係、縦軸を基軸とする。

 「人権思想」なき社会、その時代の「人間とはなにか」の問いは、もっぱら支配者としての人間像への哲学的、思想的な思索であった。文字をあやつり、思索にふける時間をもてる、極めて限定された連中だけが、「人間とはなにか」の問答を発した。

被支配者としての人間像は、思索のテーマにならなかった。その存在は単に、支配者に奉仕する服従すべき者たちにすぎなかったのだから。

「人間」とは、ポリスという古代都市国家の統治者である「自由」な成人市民たちを抽象化した理念的人間像だった。哲学者にとっての「人間」とは、世間の頂点に位置する「公」集団の構成員を意味したにすぎなかった。奴隷や障害者だけでなく、女や子どもはもちろん普通の平民までも、人間を数える勘定に入っていなかった。

「人間とはなにか」を問答する動機は、「支配者たる自分たちはどうあるべきか」、「被支配者たる有象無象の者たちをどう扱うか」という、「公」としての社会の秩序、統治手段の解明である。

古代文明期のギリシャや中国などで、貴族や王様や富豪などを頂点とする衣食住に心配のない余裕ある支配階級の一部の人たちが、人民統治のための「りくつ」をもとめたのである。日本人は、はやくもすでに聖徳太子の「17条の憲法」を経験したのである。

 

そこで、貴族や王様や君主などの「支配者の心」を理知的にいやす教師が生まれた。聖人や哲学者たちの専門職業家たちである。彼らが、貴族たちに「人間とはなにか、いかに生きるべきか、人民をいかに生かすか」をおしえさとすことになった。

なるべく深遠そうで理知的な言説を提供することで、生活の糧をえる者が、学者、知識人という専門職業家にほかならないのであった。

かくして支配者のために、政治学、倫理学、哲学が不分離の一体として、すでに2千数百年前のギリシャや中国で発生したのである。現代用語でいえば、人権思想なき国権思想である。

人命尊重、人権思想」以前の時代で、支配者として理想化された人間=聖人君主が君臨する国家は、徳治政治体制である。人徳をもった支配者の理想像・リーダー像である。

ここから支配者としての「修己」と「治人」の徳目、倫理、思想がうまれる。その形而上学から「王権神授」や天帝の「易姓革命」哲学などがうまれた。「己」の「正心、誠意、修身」をきたえ、人民を「治める」側である権力者、支配者、強者、優越者の思想である。

かくして権力者を頂点とした国家経営という社会統制方策のために、「人間いかに生きるべきか」の問答について、万巻の書が、図書館の書庫に累々と積みかさねられ、現代にいたる。

 

いっぽう支配階級の「修己治人」に対応して、被支配者たる「人間」たちに用意されたのが宗教である。被支配者である庶民大衆にとって、この世は権力者に屈従する苦界である。

だから奴隷はもちろん大多数の庶民も、この世での「人間いかに生きるべきか」の問いよりも、彼岸での安心救済を求めた。それにこたえて、現世での苦労をいやしてくれる彼岸の世界像を被支配者に提供し、説教したのが、キリスト教の聖職者や仏僧たちであった。

人の道・道徳をことさらに説教する聖人や学者や坊主たちを、「不耕貪食の輩」だと全否定した人物が、江戸時代に生きた安藤昌益である。「不耕貪食の輩」とは、自分では田を耕さずに、他人が生産した作物を収奪する貪欲な連中のことである。

自分が生きるために必須な衣食住の糧を、自然に感謝しながら活用し、自分および家族や共同体が共働して手にいれることを「直耕」という。こういう「直耕」を原理とする社会に生きる人間たちのなかに、「人間いかに生きるべきか」などという問いが生まれるだろうか。狩猟採集を生活手段とした縄文人やアイヌ人たちは、「人間いかに生きるべきか」という心配ごとをかかえただろうか。

安藤昌益は、マルクスが誕生する50年も前に「不平等階級社会の破壊」を主張していたのである。(安藤昌益の「自然世」と「法世」の社会理論は、「私共公天」の視点から今後の日本社会の再設計にとって、おおきな指針になるのじゃないかと思う。)

 

以上、「人命尊重、人権思想」以前の社会思想と人間観をふりかえる重要な視点は、「支配者に成る」ことへの修練と「被支配者で在る」ことへの順応である。

支配者に「成る」べく出自した人間は、自らの人格の訓練を「為す」ことによって、支配者で「在る」位置を維持しなければならない。

ここに「在る」→「為す」→「成る」という運動論的な人間観がある。

おなじように、被支配者たる下層階級の者たちも、現世の桎梏をしばし忘れるために来世信仰の教義をまなび、信心をきたえ、もって従順に支配者に仕える人間性を訓練したのである。ここにも「在る」→「為す」→「成る」という運動論的な人間観がある。

この時代の人間観のポイントは、「人」を固定的に規定しない思想である。

「人」の潜在性を可能性に転化し、可能性を実現性に順応させる、能動的な人間観である。「在る」→「為す」→「成る」と「潜在性→可能性→実現性」という枠組みをもった運動論的な人間観であることに留意しておこう。(これはシステム論哲学の枠組みでもある。)

 

7)人命尊重、人権思想」の倫理性について

いつの世でも社会は、少数の支配者と大多数の被支配者の構造において統制される。世間の人々を納得させる倫理、論理、社会思想には、強い人間=支配思想と弱い人間=従属思想の両極がある。その両側の思想のバランスにおいて国家社会の秩序が統制される。

どの時代の社会秩序であっても、ひとつの文明が永久に続くわけではない。社会体制は変わる。国家は転覆する。

その変革の要因には、支配者の堕落と統制弛緩による自滅がある。外部からの侵略がある。あるいは内部からの抵抗と下剋上がある。

18世紀、人間の自由・平等・友愛の三色旗をかかげて「人権思想」を樹立した勢力は、それまで続いてきた絶対君主制の内部で胚胎し、勃興し、経済力をもった商人階層=市民階級であった。近世までつづいてきた土地をベースにした封建体制秩序をひっくりかえした。自由競争を原理とする資本主義体制がとってかわった。

自由主義・個人主義を基盤とする資本主義国家は、群雄割拠して帝国主義国家として覇を競い、地球上に競争世界をつくりだした。資源獲得と市場拡大を貪欲にめざし、「後進国」の植民地化と奴隷労働の格差社会をもたらした。

国内で自らかくとくした「人権思想」は、植民地の国民には無縁であった。アメリカは黒人を奴隷にし、原住民の土地を収奪して繁栄してきた。イギリス、フランスなどの中近東アジア支配の思想と歴史に学ぼう。

その帝国主義国家間の植民地争奪の戦いは、二度の大戦で数千万人の死者を出した。1945年の大戦終結を契機にして、あらためて植民地解放、自由と平等の人権思想が声たかく宣言された。

ここに人類の知恵は、民主主義=主権在民、市民、国民の社会的権利として生存権の近代思想を、あらためて再確認した。

現代の民主主義国家は、もちろん自由主義だけではない。強者である権力者、支配層、成功組の自由放埓をいましめる立憲主義の倫理思想でもある。立憲主義は、たしかに権力者の恣意性をしばる法治主義である。

憲法、法律、制度が、国民のうえに君臨する「システム社会」である。法律が倫理を包摂する。自由で民主主義国家の国民は、倫理道徳を「公」国家から強制されることなき「倫理性の劣化」社会を生きることとなった。

かくして自由と平等の人権思想にもとづく現代の民主主義国家は、強者の自由倫理=資本主義思想と弱者の平等倫理=社会主義思想=福祉国家の諸法律をもって秩序を維持することになった。

 

高度文明社会は、進歩と成長拡大をめざしてどこまでもすすむ。自由競争の勝者が、ますます社会的に評価され、表彰される。そして自由主義・個人主義が、産業革命につづく階級格差社会=不平等社会をもたらしている。

いっぽうでは、「公」国家の1千兆円の借金、財政赤字である。次世代へのツケまわしである。その金額以上の金融資産を、富裕層の「私」個人が、保有する世代間格差社会である。現代日本の高齢化社会は、世界の先頭をはしる「未曽有の超高齢化社会・少子社会」である。

このような状況に直面して、あれこれ多面的な角度から、ふたたび人類史的なレベルで、根源的な問いが、発せられなければならないのではないか。

民主主義の世の国民は、法律が定める「公共の福祉」に反しないかぎり、人に迷惑をかけないかぎり、何をしてもよいのか。

自らの幸福の倫理性、「良く善く」生きる倫理性は、個人的な判断に任せるだけでよいのか。人命尊重、人権思想だけでよろしいのか。

個人尊重の社会的権利主張だけでは、社会的無責任=反倫理性をもたらしつづけるのではないか。

つまり、人間の尊厳にもとづく自由競争は、無条件に倫理的なのか、という問いである。いまや現代社会の尊厳思想をのりこえて、「人の幸福を実現する」あらたな思想復興のルネッサンス時代に直面しているのではないか。

 ソクラテスは、「命題A:人は、単に生きることが尊いのではない。よく生きることが尊い。」と唱えた。アリストテレスは、「命題B:人は、自由であり、人生の最終目的を自分の幸福とする。」と唱えた。そして現代思想は、「命題C:人は、命あるかぎり生きること自体に尊厳をもつ。」と主張する。

人命尊重、人権思想の倫理性の視点から、「人間とはなにか」について老人福祉の根拠を問いなおすべきではなかろうか。

 

8)要約 「人命尊重、人権思想」の人間観を問いなおす視点

「人命尊重、人権思想」でいう「人」=人間とはなにか、をあらためて問いなおす。「人間とはなにか」を、ⅰ)内側、ⅱ)境界、ⅲ)外側の三元論の枠組みで考える。

ⅰ)人の内側  ・・・・内部構造、自分、生命、身・肉体―心・感情―頭・理性、人格など

ⅱ)内と外の境界・・・・身辺外部からの刺激の選択的知覚、内から外への選択的応答

ⅲ)人の外側  ・・・・外部環境、社会と国家 人工物、動植物、地球、自然、宇宙など

 

○人命尊重、人権思想は、西欧近代思想の哲学を土台とする。

その土台は、「究極本質」、「恒久進歩」そして「一神教」および「合理性哲学」である。

人間論は、「天」をも恐れぬ不自然な人間中心主義である。

人生論は、「老」不在の「少壮」/人生二毛作である。

国家論は、「共」不在の「私公」二階建社会の11制度である。

強者の思想は「自由競争」、弱者の思想は「強私要公」である。

「人間とはなにか」の思想に、「1)人の内側」の次元がない。
「公」から「私」への視点だけである。

 *死をみつめる老人思想の不在

 

○人命尊重、人権思想を問いなおす視点を「往還思想」と「共生思想」とする。

この哲学の土台は、「諸行無常」、「万物流転」そして「八百万の神」および「システム論哲学」である。

人間論は、「天」を畏怖する自然な生物中心主義である。

人生論は、「少壮老」/人生三毛作である。

国家論は、「私共公」三階建社会の1国多制度である。

強者の思想は「自由競争」、弱者の思想は「自制共生」である。

「人間とはなにか」の思想に、「1)人の内側」の次元も組み入れる。
「私」から「共」、「公」、「天」への視点をもってⅱ)外部との関係性を組み入れる。

 *死をみすえる老人思想・・・・あらたな敬老思想の構築

 

○「人間とはなにか」を考えるⅰ)人の内側の視点 ・・・・運動論的な人間観

・誕生―成長―安定―老化―消滅

・生命/身―心―頭

・潜在性―可能性―実現性

・{在るー為すー成る}

・欲望Willl-能力Can―規範Must

・自分/三つの自己 身体自己―生活自己―了解自己

(以上、「2章老後の希望を生きる往還思想)を参照)

 

○「人命尊重、人権思想」への疑問

a.人命尊重 ・・・・・時間軸

 ・人は、誕生―成長―安定―老化―消滅という有限な時間を生きる

・人は、他の生物である植物と動物の命を摂取して生きる

人が、いたずらに長生きすることは、不自然な強欲・貪食ではないか?

b.人権尊重 ・・・・・・空間軸 

・人は、家族および他者で構成される国家の一員とし生きる社会的動物である

・人は、国家がさだめる人間関係の「掟:権利と義務」に従って生きる

人は、「権利と義務」を果たしながら生きる能力を学習・修業すべきではないか?

 

次回5.5以降で、人生論と老人思想からあらたな敬老思想を考える。

以上  5.3へ  5.5へ