5.2 老人福祉政策の老人像についてコメント 2015年1月8日
「社会保障費が毎年1兆円の増加、累積借金が1千兆円」という事実にどう向きあうか。
国家の「高齢者対策」の基本である老人福祉法と内閣府が公開している「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書(案)」について、「老人像」とその「人生論」と「社会思想」についてコメントする。
1)老人福祉法 (昭和三十八年七月十一日法律第百三十三号)
最終改正:平成二六年六月二五日法律第八三号
(目的)
第一条 この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もつて老人の福祉を図ることを目的とする。
(基本的理念)
第二条 老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。
第三条 老人は、老齢に伴つて生ずる心身の変化を自覚して、常に心身の健康を保持し、又は、その知識と経験を活用して、社会的活動に参加するように努めるものとする。
2 老人は、その希望と能力とに応じ、適当な仕事に従事する機会その他社会的活動に参加する機会を与えられるものとする。
(老人福祉増進の責務)
第四条 国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する。
2 国及び地方公共団体は、老人の福祉に関係のある施策を講ずるに当たつては、その施策を通じて、前二条に規定する基本的理念が具現されるように配慮しなければならない。
3 老人の生活に直接影響を及ぼす事業を営む者は、その事業の運営に当たつては、老人の福祉が増進されるように努めなければならない。
第五条 国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すため、老人の日及び老人週間を設ける。
2)老人福祉法の「人生論」と「社会思想」を考える
「社会保障費が毎年1兆円の増加、累積借金が1千兆円」という事実について、老人である当事者のわたしは、「人生三毛作」の人生論と「私共公/天」の社会思想をもって考える。しかし社会保障制度や社会福祉や老人福祉などの専門家でも実務家でも学者でもない。老人福祉法の「老人の福祉に関する原理」を深く理解しているわけでもない。
ここでは、上に引用した条文だけを根拠にして、老人福祉法の「人生論」と「社会思想」を考える。
○老人福祉法の「老人」の定義―について
(基本的理念) 第二条を単文に分解する。
①「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者」である
②「老人は、豊富な知識と経験を有する者」である
③「老人は、うえの①と②により敬愛される者」である
④「老人は、生きがいを持てる者」である
⑤「老人は、健全で安らかな生活をする者」である
⑥「老人は、うえの④と⑤が保障される者」である
(基本的理念) 第三条を単文に分解する。
①「老人は、老齢に伴つて生ずる心身の変化を自覚」すべきである
②「老人は、常に心身の健康を保持」すべきである
③「老人は、その知識と経験を活用」すべきである
④「老人は、うえの①、②、③により社会的活動に参加」するように努める
⑤「老人は、希望と能力をもつ者」である
⑥「老人は、うえの⑤に応じ、適当な仕事に従事する機会」を与えられる
⑦「老人は、うえの⑤に応じ、その他社会的活動に参加する機会」を与えられる
*
基本的理念では、「老人」が能動態と受動態の両方が述べられている
能動態の文章を理解しようとすれば、つぎのことが気になる。
a.ほとんどの文章が「老人」にかぎらず「少年」にも「壮年」にあてはまるようだ
b.ほとんどの文章が「すべての老人」にあてはまるわけではないだろう
c.「老齢に伴つて生ずる心身の変化」を「老化」と明言すべきではないか
受動態の文章は、「敬愛される」、「保障される」、「与えられる」である。つぎのことが気になる。
a.わたしは老人である
b.わたしは、だれから「敬愛され」、「保障され」、「与えられる」のか?
c.だれが、わたしを「敬愛」するのか
d.だれが、わたしを「保障」するのか
e.だれが、わたしに「与える」のか
この「だれ」は、つぎの第四条(老人福祉増進の責務) で明示される。
○老人福祉法の「社会思想」について
第四条第四条(老人福祉増進の責務)
①国は、老人の福祉を増進する責務を有する。
②地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する。
③老人の生活に直接影響を及ぼす事業を営む者は、老人の福祉が増進されるように努めなければならない。
④国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深める
⑤老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す
*
「老人福祉増進の責務」主体を「私共公/天」の枠組みにかさねれば、つぎのようになる。
私; 老人という個人の責務・・・・自らの生活の向上に努める
「事業を営む者」も、公益法人であっても民間企業つまり「私」企業とみなす。
共; 地域コミュニティや非営利団体への言及なし
公; 国、地方公共団体
天; 自然、死生観への言及なし
「私共公/天」を枠組みとする社会思想では、「事業を営むもの」は、「公」でも「共」でもなく、私的企業ビジネス主体として「私」に該当する。
よって、老人福祉法の「社会思想」には、「共」と「天」の次元が欠落している。「老人の福祉に関する原理」レベルにおいて、退職した老人世代が地域コミュニティですごす人間関係=共同体=自治会や町内会への言及がない。
「公共」事業を国と地方公共団体が独占する「共」不在の「私公」二階建社会思想である。
また、老人福祉法の「老人」の定義ついては、老人世代に固有の「老齢に伴つて生ずる心身の変化」への本質的な言及がない。
「老齢に伴つて生ずる心身の変化」の自覚とは、「生/誕生―{成長―安定―退化}―消滅/死」という死生観の自覚だと考える「少壮老/人生三毛作」のたちばからすれば、老人福祉法の「老人の福祉に関する原理」には、死生観が不在である。老人を壮年の延長でしか認識しない。「敬愛される」べき老人像と老人思想がない。
よって、老人福祉法の「老人の福祉に関する原理」は、少壮/人生二毛作の人生論である。
少壮/人生二毛作の人生論における死生観の不在は、「天」に言及しない現代の科学的合理主義の社会思想と根っ子は同じである。
3)「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書」について
~ 尊厳ある自立と支え合いを目指して ~(案) 2014年2月
http://www8.cao.go.jp/kourei/kihon-kentoukai/k_5/pdf/s1.pdf
「今後は、これまでの「人生65 年時代」を前提とした高齢者の捉え方についての意識改革をはじめ、働き方や社会参加、地域におけるコミュニティや生活環境の在り方、高齢期に向けた備え等の仕組について、次世代を含めた循環も考慮しつつ、これからの「人生90 年時代」を前提とした仕組に転換していかねばならない。」
報告書(案)はこのように多面的な視野から高齢社会対策を総括する。この報告書(案)の構成を「私共公/天」の枠組みにかさねてつぎのよう理解する。
私;
団塊の世代による多様な高齢者像
高齢者の満たされない活躍意欲
高齢者パワーへの期待 ~ 社会を支える頼もしい現役シニア ~
若年期から高齢期に向けた準備
共; 互助
世代間格差・世代内格差の存在
地域力・仲間力の弱さと高齢者等の孤立化
地域力の強化と安定的な地域社会の実現 ~ 「互助」が活きるコミュニティ ~
公; 国、地方公共団体
これまでの「人生65 年時代」のままの仕組や対応の限界
「高齢者」の捉え方の意識改革
安全・安心な生活環境の実現 ~ 高齢者に優しい社会はみんなに優しい ~
老後の安心を確保するための社会保障制度の確立
天; 人生の終わり方について考える<死生観>へ言及
「超高齢社会において「尊厳のある生き方」を目指すためには、高齢者にとっての心豊かな人生の終わり方についても考えていかなければならないだろう。高齢者のみならず、子どもを含めて全世代が地域社会において、人生の終わり方について考えることは、「生」を実感する機会にもなる。」
*
この報告書(案)に賛同する点は、「共」と「天」への言及である。
しかし「少壮老/人生三毛作」人生論の視点からは、「高齢者意識の変革」の掘り下げが不足しているのじゃないか、という感想をもつ。
報告書(案)が、高齢者を「自立老人」と「要支老人」を分けることは、「少壮老/人生三毛作」人生論と同じである。しかし下記の言明は、ほとんど「少壮/人生二毛作」思想の強化・促進であろう。
「超高齢社会においては、高齢者は、若・中年者と同じく充実感を持って生きるとともに、その能力を存分に発揮して社会を活性化することが求められる。」
「65 歳以上であっても社会の重要な支え手、担い手として活躍している人もいるなかで、これらの人を年齢によって一律に「支えられる人」と捉えることは、活躍している人や活躍したいと思っている人の誇りや尊厳を傷つけることにもなりかねない。」
報告書(案)に不足している問題意識は、昨日までの「自立老人」が、明日には「要支老人」になる可能性への対応である。報告書(案)には、その対応への言及がない。
4)報告書(案)のバージョンアップ版への期待
「自立老人」が転倒などして寝たきりの「要支老人」になったとき、「老人意識」はどうなるだろうか。ピンピン意識で元気にすごして「老人意識」などもたなかった人が、「ころり」と逝けるならば問題はなかろう。だが、「自立老人」の生活意識が、「死にむかう」修業なくしていきなり「要支老人」にふさわしい生活意識に替わることはありえるだろか。
「身体自己」の変調にともなう「生活自己」の変化を納得する「了解自己」の訓練が必須であろう。死に向かう姿勢の修練である。
その修練なくしては、「社会保障費が毎年1兆円の増加」問題は解消されないだろう。「尊厳のある生き方」や「心豊かな人生の終わり方」を「考える」だけでは、この問題に対応できないだろう。
だから「少壮老/人生三毛作」人生論は、老人世代むけに、「未老人」==>「老人」==>「熟老人」という「人生下り坂」の降り方教育=「成老義務教育」を、国家制度として提案する。今後の報告書(案)バージョンアップ版で「老人思想教育制度の設計」が検討課題になることを期待したい。
多くの点で共感できる報告書のバージョンアップ版にもうひとつ希望を述べたい。それは、以下に引用する~ 「互助」が活きるコミュニティ ~の検討において、「コミュニティビジネス」を課題とする期待である。
*引用
「いざ支えられる立場になった時にも、住み慣れた地域において尊厳を持って生活できる生き方の実現が重要である。」
「今後目指すべき超高齢社会の構築に向けては、高齢者のみならず、世代間の交流を通じた若者や子育て世代とのつながりを醸成する、全ての世代が積極的に参画する世代間及び世代内の「互助」の精神が求められる。」
「この点、顔の見える助け合いである「互助」を再構築することにより、地域における住民には、お互いに支え合っているという安心感が芽生えうる。また、お互いのニーズを把握できるため、本当に支えが必要な人が真に何を求めているのかを理解し、支援することができるようになると考えられる。」
「これらに加え、これまでの地縁を中心とする「地域力」や、今後高齢者の活気ある新しいライフスタイルを創造し得る地縁や血縁に捉われない「仲間力」を高め、様々な場面において、多角的、重層的な様々な支え合いを構築する必要がある。」
*
この「様々な場面において、多角的、重層的な様々な支え合い」システムの構築を「コミュニティビジネス」の視点から検討課題とすることを期待したい。
その構想は、たとえば5.1で述べたつぎのような横浜市の「敬老特別乗車証」制度を拡張するイメージである。
「敬老特別乗車証」を老/終業期世代の「外出利用券」、「お出かけクーポン券」に拡張する。いっぽうで少/学業期世代むけに「子育て券」、「学習塾バウチャー」などを設計する。老/終業期世代むけの制度と少/学業期世代むけの制度を連動、循環させる。それを「使途限定の横浜市通貨」制度として統合する。
その制度運用において、成熟社会に一定程度の仕事を創出する。マネーに代わって世代間交流を媒介する「使途限定の横浜市通貨」メディアをそだてる。「使途限定の横浜市通貨」が循環するコミュニティビジネスである。