3.現代社会を変革できる潜勢力としての老人世代の可能性

 3.1 「不自然な延命措置」をほどこす現代社会の人間像を問いなおす。

3.2 その人間像が、現代社会に合理性と倫理性のギャップをもたらす。

3.3 そのギャップが、社会の閉塞感と「心からの豊かさ」への不安をもたらす。

3.4 「心から豊かさ」を感じる幸福感は、了解自己の修練である。

3.5 老人世代は、現代社会の閉塞状況を乗りこえる新たな社会勢力となる

3.6 老人世代は、「新たな価値観」をもって若者世代との交流に社会参加する。

3.7 高齢化社会の医療・看護・介護は、新たな人間像にもとづく。

 

 往還思想は、医療・看護・介護において70歳すぎた老人への「生命存続のためだけの不自然な延命措置」を拒否する。不自然な延命措置は、「幸福な人生」を疎外するとみなすからである。

往還思想は、老人世代の「生き方と逝き方」を、生命倫理と世代間倫理の視点から根本的に問いなおす。人の幸福感と倫理観は、密接に関連していると思うからである。

 

3.1 往還思想は人間像=人権思想を問いなおす 

1)「人権思想」を倫理的な観点から問いなおす ~三つの命題

2)命題A: 人は、単に生きることが尊いのではなく、よく生きることが尊い

 3)命題B: 人は、自由であり、人生の最終目的を自分の幸福とする

4)命題C: 人は、命あるかぎり生きること自体に尊厳をもつ

5)三つの命題の問答

6)少壮老の各世代の「人命尊重」の比重

 

1)「人権思想」を倫理的な観点から問いなおす ~三つの命題

往還思想は、人間が生きて死ぬ一生の根本的な幸福感を主題とする。自由で豊かな社会であっても、ながい老後をすごすことの幸福感に疑問をもつからである。

その疑問は、現代社会の人間像=人間観や人生論にむかう。普遍的な価値とみなされる「人権思想」を倫理的な観点から問いなおす。

民主主義の社会を生きる現代人にとって、「人間の尊厳、人権尊重」を疑問視する思想や発言は、タブーである。「人間の尊厳、人権尊重」は、疑問の余地のない天賦の価値とみなされる。犯すべからざる神聖なる金科玉条である。あたりまえの常識である。

だが、この社会常識には、理性のゆがみ、倫理への思考停止、言葉の軽さ、タテマエとゲンジツのギャップ、理念と現実の落差など、思想的なゴマカシがあるのではないか、と往還思想は問う。

けれども、「人間の尊厳、人権尊重」に正面から異議申し立てをする言説は、無意味な空論としてまったく相手にされないだろう。

進歩的知識人、学者、常識人たちは、時代錯誤、反動、差別容認、優生思想、封建制への逆もどり、右傾化、非人間的で反倫理的な危険思想、狂気の沙汰などなど猛反発というよりも論外だとして無視するだろう。

  そこで、その思考停止線の先にすすむために、「人間の尊厳、人権尊重」という人間像を政治思想や民主主義制度からはなれて、三つの倫理的命題におきなおす。

命題A: 人は、単に生きることが尊いのではない。よく生きることが尊い。

命題B: 人は、自由であり、人生の最終目的を自分の幸福とする。

命題C: 人は、命あるかぎり生きること自体に尊厳をもつ。 

 

2)命題A: 人は、単に生きることが尊いのではなく、よく生きることが尊い。

この命題は、「たんに生きる」身体性と「よく生きる」精神性を対比する。「人はパンのみに生きるにあらず」のテーマである。往還思想の用語でいえば、「身体自己」と「生活自己」を反省する「了解自己」のはたらきである。

この命題は、ただちに「よく生きる、善い、良い、好い、尊い」とは、どういうことなのか、だれがそれを、どうやって決めるのか、という問いにすすむ。

そして、善/悪、良/否、好/悪、尊敬/軽蔑などの基準、測定、評価、了解などの問題があとにつづく。

正義、道徳、倫理、哲学、宗教などをテーマとして、古今東西、人類の知性は壮大なる伽藍の観念体系を構築してきた。

 

3)命題B: 人は、自由であり、人生の最終目的を自分の幸福とする。

この命題は、近代思想の根幹をなす個人の自由宣言である。自由な幸福追求を普遍的な価値とする。

個人と社会の関係でいえば、社会や国家は個人の自由を抑圧してはならない。個人は、共同体や国家に奉仕し従属するものではない。個人は、独立した自由な主体である。個人は、責任をもって判断できる。

合理的な理性をもった個人の自由な私利私欲の追求こそが、社会の成長発展の原動力とみなす。個人主義である。

老若男女のすべての個人は、「公共の福祉に反しないかぎり、何をしてもよろしい」という自由裁量権をもつ。「公共の福祉」の判断基準は、国家が法律をもって定める。

民主主義国家の憲法が、倫理を代用する。倫理は、善悪の判断を法律にゆだねる。良心や良識などは、カオスな主観とされる。

では、その幸福とは自己満足なのか?

私の幸福と他人の幸福は両立しうるのか?

個人の幸福は、「善い生き方」とどのように関係するのか?

  

4)命題C: 人は、命あるかぎり生きること自体に尊厳をもつ。 

この命題は、生命そのもの、ひとつの生命体の存在そのものに、無条件の尊厳を認める。その尊厳性は、個人と社会の関係を超越している。人命の尊厳をベースとする個人の自由や人権や生存権は、犯すことのできない天賦の権利とみなされる。

この命題は、現代社会人の価値観を根拠づける最終審級、根源的な基盤である。生命の尊重=生存の尊重=社会生活の尊重=人間の尊厳という、まことに平板にしてかつ深淵なる価値観である。

この人間像=社会的価値観が、憲法の基礎であり、老人福祉をふくむ社会保障制度の根拠である。安楽死、尊厳死、生命倫理の思想性を問う踏み絵となる。

この命題には、人間が幸福を追求する修練の視点が欠如していることに留意しよう。

 

5)三つの命題の問答

A: Cさんへ

わたしは「たんに生きる」ことは、動物や植物のレベルと同じだと思います。人間は、動物や植物とはちがって、真善美/清/敬を尊び、偽悪醜/濁/傲を嫌う「徳性」をもっています。だから、「人は、単に生きるのではなく、善く生きて、尊い」生き方をすべきだと考えるのです。

C: Aさんへ

おっしゃることは理解しますが、わたしは人類の歴史を少し考えます。「善い」とか「尊い」基準を決めて、人を評価したことによって、人間を差別してきたのではありませんか。

そもそもソクラテス/プラトン/アリストテレスたちが、倫理やイデアを考えていた時代にも「奴隷」がいたではありませんか。「善い、尊い」生き方の強調は、「権力者」に都合のよい「身分差別」の方便だったと思いますよ。

B: Aさんへ

「たんに生きる」といっても、それは簡単なことなのでしょうか。人は、一人では生きられない社会的動物ですから、世の中を生きていくことは、苦労が多いのが現実です。「善い、尊い」生き方の前に、衣食住を確保することが先決ですね。衣食住は、だれかが用意してくれる階層の人たちだけが、「善い、尊い」生き方を考えるのではないでしょうか。

そして、人は少壮老のそれぞれの時期に課せられる社会的役割を果たしながら生きていきます。そこに、できるだけ幸福を求めたい、生活に満足したいと願って生きるのが人間の暮らしだと思います。

この問答は、人間の尊厳、自由、人権、幸福、などをめぐって延々と続きます。

 

6)少壮老の各世代の「人命尊重」の比重

外出先のバス停留所の後ろにお寺さんの掲示板があった。「朝に発意、昼に実行、夜に反省」という標語をちらっとみた。

朝→昼→夜の一日が、少→壮→老の一生のイメージに拡大転化した。発意→実行→反省のステージを少→壮→老の人格形成ステージにかさねのである。

ここで反省の意味を、うえの三つの命題からみれば、つぎのようになる。

命題Aの反省: 自分の発意と実行は、尊いか

命題Bの反省: 自分の発意と実行は、幸福か

命題Cの反省: 反省の必要はない。生きること自体が尊厳なのだから。 

反省は、価値観をベースとする。命題Aは、倫理的な価値観である。命題Bは、目的と手段という意味で合理性の価値観である。命題Cは、社会にむかう個人の権利的な価値観である。

これらの価値観を考えるうえで、三つの命題でいう「人」の範囲について、つぎの二つの立場がある。

(ⅰ)少壮老の世代に関係なく「すべての人間」に共通する価値観

() 少壮老の世代に属する「特定世代の人間」に固有の価値観

前者の立場にたてば、現代社会の全体的な価値観の比重は、「合理性の過剰、倫理性の劣化」として観察できる。壮年期の仕事価値を中心とする社会は、倫理よりも法律を優先するからである。

◎個人の尊厳>>○幸福>>△道徳

◎権利的価値観>>○合理的価値観>>△倫理的価値観。

後者の立場にたつ往還思想は、各世代が修養すべき価値観の比重、高低、大小をつぎのようにすべきだと考える。

権利的価値 合理的価値 倫理的価値

少  ◎    △     ○ ・・・・子供は、権利を主張すればよい。

壮  ○    ◎     △ ・・・・仕事の遂行は、合理的でなければならない。

老  △    ○     ◎ ・・・・老人は、倫理的であるべきだ。

往還思想は、権利的価値観と倫理的価値観は背反すると考える。

自分の権利主張は、相手に義務を要求する自己主張である。自分の倫理観は、相手への配慮にもとづく他者との共生である。

現代社会は、権利的価値観の過剰が、倫理的価値観の劣化をもたらしている、と往還思想は考える。

人命尊重という権利的価値は、年齢に反比例すべきである
◎少>>○壮>>△老である。

人命尊重という倫理的価値は、年齢に比例すべきである

△少<<○壮<<◎老である。

往還思想が考える人命尊重の倫理的価値観は、「自分の生命の価値は、年齢に応じて減少する」、「子どもの生命の価値は、老人の生命の価値よりも大きい」とする。

この結論は、「人間中心主義」の「人命尊重」という人間像へのアンチテーゼである。

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