6.2 人間が動物に学ぶ倫理性 2015515

1)飼い犬の死に教わること ~消えていく命の力、枯れる力

2)スズメ社会の文化的なくらし

3)ゴリラ社会の文化性モラル

 

1)飼い犬の死に教わること ~消えていく命の力、枯れる力 

1999年2月16日の早朝6時前後、飼い犬のヤマトが死んだ。家族の一員になって13年と1月。柴犬のオス。1月22日生まれ、生後2ヶ月で我が家に来た。息子が小学6年生の2月、娘が幼稚園に入園する直前、ペット店に3人で買いに行き、数匹の子犬の中から選んだ。息子が「ヤマト」と名付けた。

ヤマトは、去年(1998年)の夏頃から急速に老け出した。そしてしきりに玄関に入りたがり、玄関の土間で夜を過ごすことが多くなった。その頃から長くは持つまいという気がしてきた。98年12月には、皮膚病にかかり、前足付け根から腹にかけて、毛が抜け、皮膚がむき出しになりはじめ、全身に広がる気配を見せた。匂いもきつくなった。ブラッシングしたら油がじっとっと手に残り、ふけがやたらに出てくる。

幸い近くに動物病院がある。そこで診察してもらい、飲み薬とシャンプーをもらった。保険がきかないから安くない出費である。毎日、薬を飲ませ、数日に1回、風呂場の残り湯を使いシャンプーで洗う。正月を過ぎる頃から効果が現れ、抜け毛がやみ、新たな毛がそろうようになってきた。

元気がなくなった2月のある日、「朝の食事をヤマトが小屋の前にもどした」と妻が告げた。食事を吐いたのは1回だけらしかった、その頃から食欲が衰えはじめた。元気な頃は朝の食事が待ち遠しくて、玄関で「早くちょうだい」という構えで待っていたが、2月の8日頃になると小屋に寝たままで動こうとしない。夜わたしが帰ってきても門の所に尻尾をふりながら出てくることもない。庭の外を散歩中の犬が通っても、出ていって挨拶することもない。すっかり弱まってしまった。

数日前までは、玄関に入りたがっている様子だが、わたしが家にいるとシャンプーのため風呂場に抱かれていくのが嫌なので、玄関に近寄らない。しかしもう玄関まで歩いて来る元気もなくなって、小屋に静かにうずくまったままである。出勤時に小屋に行って「ヤマト、ヤマト」と数回声をかけてはじめて、こっちに顔を向ける。すっかり耳も遠くなったようだ。

13日は土曜日、娘にも声をかけ、いっしょに動物病院に行って診察してもらった。血液検査やレントゲン検査をうけた。血小板が正常の5分の1から10分の1に減っているという。微かに鼻血がでているのは、そのせいだ。腎臓機能も衰えているが、これは慢性的みたい。免疫性なんとかかんとか症候も出ている。「年のせいでしょうか」とわたしが問うても医者は、そうとはいわない。骨髄検査をして見なければ原因はわからないという。「様子を見ますので明日も来て下さい」と言われた。その日は、注射をしてもらい、1万7000円払って帰った。

翌日の日曜日14日、注射がきいたのか庭を少しはうろつく。食事もする。そして玄関の土間で過ごす。夕方、妻といっしょに病院へ連れて行った。病院では骨髄検査をした。「血小板が急速に減っていることはなさそうです」と医者がいう。血小板が減り続ければ確実に死に至るそうだ。医者は「明日も来て下さい」という。「明日は仕事だからこられない」といったら飲み薬をくれた。

その夜、出前をとった。いつものお兄さんが配達した。このお兄さんは犬に詳しい。ヤマトも家族以外では一番なついている。このお兄さんは、近所の飼い犬の散歩のアルバイトもしているほどの犬好き人間である。

妻がそのお兄さんに、ヤマトの症状を告げると、お兄さんは「病院に行って、注射や薬で生かし続けるのは、どうなんでしょうかねえ・・・。」というようなことを言ったらしい。

15日の月曜日、玄関で寝ているヤマトの顔をなで「ヤマト」と声をかけ、会社へ出かけた。その日はもっぱら玄関やその近くで寝て過ごしたらしい。トイレは気力を振り絞るようにして玄関を出、小さな段差を注意深くまたぎ、庭の山茶花の根の所までよろよろしながらも、歩いていったらしい。妻が「エラいねー」といってその様子を報告した。

その日の午後、出前のお兄さんが昨夜の出前の食器を回収にきた。その時ヤマトは、玄関前の日だまりにうずくまって寝ていた。お兄さんが「ヤマト、ヤマト、ヤマト」と何回も耳元で声をかけた。ようやくヤマトはその声の主が分かったらしく、ゆっくりと首を上げ、うつろな目でお兄さんに顔を向けたという様子も妻が報告した。

16日の火曜日、朝7時半頃、わたしは玄関に降りてヤマトの様子をみた。前足を二つ並べ、その間に鼻と顔と首をぺたんとつけ、後足をそろえて横にし、腹を見せて寝ている。何ともいえずやすらかな寝姿である。「ヤマト」と声をかける。頭をなでる。

動かない。

鼻の先はからからに乾いている。背中から腹をさする。しかし動かない。「ヤマトが死んだかもしれない」と声をあげた。両手両足も固くなっている。わたしは両手でヤマトを抱くようにして持ち上げようとした。鼻先から出ているかすかな鼻血がシーツに固まりくっついて離れない。体と両足はすでに硬直している。腹部の鼓動もない「ヤマトが死んだ」「ヤマトは死んだ」と妻に声をかけた。

わたしはしばらくヤマトの寝姿をみていた。

ヤマトの死に至る数ヶ月は、生きるモノの死に方を教えてくれたように、わたしには思える。生きようとする力のかすかな残り火を、自らの意志で消していくような穏やかな死に方を。

 

2)スズメ社会の文化的なくらし

「自由論」内山節著のつぎのはなしを思い出した。長いけど引用する。

引用:

ベランダに来るスズメたちに麻の実を投げながら遊んでいて、スズメがずいぶん文化的な暮らしをしているものだと感じた。

 群れのなかに動作のにぶいスズメがいた。すぐに実を見失ってしまって、おたおたしているばかりである。ところが困ることもない。群れのボス格のスズメは、自分が数粒の実を食べ終えると、群れから少し離れて、みんながうまく食べているか様子をみている。

 また群れに加わり、すばやく一粒の実を拾うと、勢いがあまったように走りつづけ、少々にぶい仲間の前まで行くところぶのである。本当にバタンとつまずく。そのとき、にぶいスズメの足元に、ポロッとくわえてきた実を落とす。

 それからボス格のスズメは、「あれ、落としちゃった。どこにいったのかな」というようにキョロキョロ見回し、「しょうがない、わからなくなっちゃったから次のを拾おう」というそぶりみせながら、そこを離れる。そうすると少々にぶいスズメは、その実を拾いパキパキと食べはじめる。

 群れのなかには、そういう行動をとるボス格のスズメが三、四羽いて、彼らが順番ににぶいスズメの前でつまずくのである。私が感心するのは、「君はにぶいから、ホラ、エサをやろう」という態度を、彼らがけっしてとらないことだ。あくまで、勢いあまって走り、つまずいて紛失するのである。

そんな様子をみていると、私はスズメの文化水準の高さに敬服してしまう。そしてこれが仲間とともに生きるものたちの、自由の守り方なのかと、考えてしまうのである。」

 

このような観察眼とスズメの心情解釈は、著者の内山に固有のものかもしれない。同じ光景をながめても、わたしは何にも感じないかもしれない。しかし、この文章からは、なんともいえず快くなる気もちがにじむ。

NHKのテレビ番組に「ダーウインがきた」というのがある。野生動物の生態映像である。家のなかで野生動物たちの親子関係や群れの動きや他の種との闘争場面を見ることができる。わたしはそれを見ながら、思わず人間社会と対比したくなる場合もおおい。

文字を操って理くつをこねまわす文明社会の人間たちのモラルは、動物以下なのではないかと考えるのである。自分もそうだから。

 「人類の叡智、人文科学の到達点」から何が学べるのか?

どこまでも経済成長を続けなければならないという脅迫観念が、資本主義社会に生きる現代人の常識である。しかし、そうではない人のありようも確実にある。

このイメージに関連して、つぎの発言も引用する。

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「江戸時代末期から明治期に日本を訪れた外国人の見聞録を集めた、<逝きし世の面影>という本を読むと、当時の日本人がいかに明るくいい顔をしていて、外国人にも屈託なく接していたかがよく分かる。大人の中に子どもがいる、という印象。そんな風に振る舞われると、外国人も警戒心を抱けない。ほぼ自給自足のシステムをつくり、社交的で幸せな人々を育んだ江戸時代の日本は、かなり参考にしなくてはいけません。そう思えます。」(ガンダムの映画監督 富野由悠季)

 

3)ゴリラ社会の文化性

現代社会の人間は、法律に従って生きる。法律は、言葉である。言葉の限界に関係して最近、新聞の書評でつぎの趣旨の記事を読んだ。(「15歳の寺子屋 ゴリラは語る」山極寿一著 評者は池田清彦)

◆自由で平等で戦争や紛争のない社会は人類の夢だが、現実にはそんなユートピア社会はない。世界各地で紛争がたえない。日本は、隣国と解決できない領土問題をかかえている。人間の理性は、つぎのどちらなのか。
 ①戦争や紛争は、人間という生物種の性質に根ざすものだから、夢は実現できない。
 ②戦争や紛争は、歴史的な社会制度の欠陥。自由で平等な社会は実現できるはずだ。

ゴリラは平和的な動物で弱者に優しく、紛争を上手に解決する知恵をもっている。

人間社会が紛争だらけで階層格差が縮まらないのは、所有欲と過剰な愛と言語を有しているからなのだ。

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この著者は、上の①に軍配をあげている。ここでいう言語は、音声言葉ではなく、文字言葉だと解する。ゴリラ社会にもコミュニケーション言語としての「話し言葉」があるはずだから。

縄文社会やアイヌ社会にも文字はなかった。文字言葉こそが、情緒が支配する野蛮から理性的な文明へ転換する梃子であるという常識からみれば、その言語が人間社会の紛争をもたらす一端を担うという指摘にびっくりした。光あれば影があるという物事の陰陽をあらためて思った。

文字をもたぬ縄文人たちは、この日本列島に、日本国が成立する以前に約1万年にわたって、「豊かな」文化を営んでいたという説がある。動物みたいな野蛮な生活ではなかったというのである。「縄文のビーナス」、「縄文の女神」と称される土偶をみれば、現代アートかと思えるほどの感動がおぼえる。文字をもたないアイヌ社会やアメリカンインディアンたちの優しさや自然との共生思想にも目をみはる。

そこに高貴で慎ましく、たおやかな精神性をわたしは感じる。

感情や知性を高度に表現できる文字をもたない社会のコミュニケーションは、身体表現が主であっただろう。

身体表現は、暴力と抱擁を両極とする。文字表現をいまだ入手しないゆえにこそ、共同体を生きる配慮の繊細な感性と表情能力が、訓練されたのではないかとわたしは、憧憬をこめて想像する。

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