No.2 人生最終章 未来への希望 妄想雑感      202277日

 

1.国家経営の借金が、1千兆円を超える日本の政治経済状況

団塊の世代、彼らは日本を反映させてきましたが、年金や医療費などの社会保障費を膨らませ、繁栄を食いつぶして去っていく>堺屋太一

わたしは、昭和18年生まれで78歳。団塊の世代よりちょっと先を生きる。その自分に関係する年金、後期高齢者医療、介護の社会保険制度は持続可能だろうか。

日本銀行券をじゃぶじゃぶ刷って個人や企業にばらまけば、<万民それぞれの業に安んじ候><知足安分><安心立命><天下泰平の世>になるのだろうか。

 

◆南洲翁遺訓第14

会計出納の大体を申さば、入るを量りて出るを制するの外更に他の術数無し。

 

2.国民の納税義務

国民の義務は、子どもを❶教育せよ、大人は❷勤労にはげめ、そして公共事業経費と公務員を養うために国家に❸納税せよ、と日本国憲法はさだめる。

国家経営は、税収によって維持される。税金は個人や企業法人の収入に相当する。税収をふやすためには、経済成長が必要。経済成長のために公共事業をどんどんふやす。もっと税収が必要、国家行政機構は、ますます肥大化する、・・・・・どこまで?

政治家は税金を使うことに熱中する。選挙で投票してもらう票をふやすためにカネをばらまく、ポピュリズム。それに群がる業界団体、既得権益団体、政党、・・・・・・。

国会議員をえらぶ選挙の投票権は、大人の個人だけ。なぜ法人課税の対象となる企業等には投票権がないのだろうか。

一部の大人よりも、はるかに立派な一部の未成年もいる。そういう<子ども>にはなぜ投票権がないのだろうか。素朴な疑問。

 

3.「未成年―大人」から「少年―壮年―老年」の人生三毛作へ

78歳のわたしは、子どもの❶教育も❷勤労も卒業した。❸納税は医療・介護の保険料といっしょに年金から自動的に徴収される。

仕事をやめた自分とおなじような老人世代は老後を何してすごす? 

国家は、<健康な老人は働き続けよ>という。健康寿命を延ばすために<介護予防の生活習慣>にとりくめという。「老人」といわず、シニアだのシルバーなどとよぶ。

少子高齢化社会、人生100年時代。「未成年―大人」の二段階の直線にくぎる人生論は、人口構成がおおきく変化した時代にそぐわないのではないか。

「少年―壮年―老年」の人生三毛作、生命力が成長―充実―衰退する二次元曲線の放物線モデル、息子に家督をゆずる江戸時代の隠居思想の復活が必要ではないか。温故知新。

仕事をやめた老人は、世俗のしがらみから距離をおける。少年世代の<成人教育義務>を老人世代の<成老義務教育>につなげる❹相互扶助の義務化をわたしは妄想する。

 人生最終章をいきる後期高齢者の生きがいとして、少年・学業期世代を応援することを義務化してもいいのではないか。

どんな人生街道をあるいてきた老人であっても<反面教師>にはなりうるのではないか。

 

4.「私―公共」から「私―共―公―天」の世界観へ

 憲法第12条の「公共の福祉」は、税金を原資とする国家行政・公務員の独占事業。個人の自由・人権と公共の福祉の関係をどう考えるか。

憲法の国家観は、国民と国家、人権と国権、下々とお上、個人主義と国家主義の両端が共謀する二元論。主権在民、民主主義の実態は「民権不在」ではないか。

「公共」概念を「公」と「共」に解体すべきだとわたしは思う。

自分が生きる生活社会と国民国家は一体一帯の同一集合ではない。

部分集合の中間集団を軽視して、個人へ要素還元する自由主義は、国家全体主義に容易に接続する。

生活社会=法治国家+自治的互援体。国境に閉じた「公」全体集合と国籍なき「共」部分集合を分離して接続する政治思想の知恵が必要じゃないか。素朴な夢。

肩寄せあって、身の丈でいきる相互扶助の中間集団・コモンズの復権。会社などの営利団体や政党や既得権益団体だけではなく、老人世代が住む地域自治会の復活・再構築。

 

その生活社会を統治する政治思想の人権―民権―国権の根拠はなにか。

やおよろずの神々の<お天道様>、義理人情。<旅は道連れ世は情け><強きをくじき弱きを援ける>任侠精神。<敬天愛人>。

南洲翁遺訓第1条【徳治大政】の政治思想に、人類の知恵をもっとしぼるべきではないか。「核兵器によって戦争を抑止する」という自衛権・国益至上主義・死の商人たち、その卑しい猜疑心のかたまりの政治思想をのりこえるために。

 

■南洲翁遺訓第1

廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、ちっとも私をはさみては済まぬもの也。

いかにも心を公平にとり、正道を踏み、広く賢人を選挙し、よく其の職にになふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。

 

5.欧米流の「自由・人権―民主主義・法の支配」は人類社会の普遍的価値か?

2022224日、ロシア軍がウクライナを侵攻。戦争、残虐非道、餓鬼畜生地獄の光景。

国際条約も国際法も国際司法裁判所も国際平和維持軍PKOも、主権国家のロシアに無視されたらなすすべ無し。プーチン批判の大合唱あれども、犬の遠吠えか。

「地球の警察官」・アメリカの国力と権威の衰退、中国の台頭、天下動乱、疾風怒濤のグローバル社会。自由・個人尊重・社会契約・啓蒙思想にもとづく国家思想は、賞味期限切れの末期症状ではないか。

欧米文明社会が進んでいる、アジアやアフリカは遅れているという「進歩史観」は、すでにポストモダンの構造主義などによって、社会科学としては破綻しているのではないか。

 

アフガニスタンに入り医療と灌漑事業につくした中村哲さんはいう。

アメリカが民主化・開放をアピールして、2002年以降、アフガン現地住民が手に入れた自由とは、<麻薬をつくる自由。逼迫した女性が売春する自由。貧乏人がますます貧乏になる自由。子供たちが餓死する自由だけ。

21世紀のグローバル人類社会。<天網恢恢疎にして漏らさず>ますます多様化する社会、十人十色の世界諸国、それぞれの風土にねざした文化と伝統と言語をもつ。

その地域の慣習や文化について一切これを良い悪い、劣っている優れている、という目で見ない。我々の目から見ていかに不合理なことがあっても、その土地のしきたりであれば、それに従わなければならない>と中村哲さんはいう。

建国してたかだか300年にもみたないアメリカ合衆国の歴史の浅い単純な国家観をもって、その白人優位の正義感によって、地球を自由市場と貨幣経済社会でうめつくすことが、<人類の普遍的価値>といえるのか。

 

6.国家権力者に要求される総合的、長期的、俯瞰的な判断力、人物像

 生活社会のもめごと、不公正、利害関係、暴力行動などを<まあまあ、お互い様>といって、社会が自治的に解決できないことがらを調整する機能の要求が、【国家】をうみだす。

法治国家の真髄は、法律を罰する警察と外敵をやっつける軍隊という暴力装置、夜警国家。現代の福祉国家は、資本主義制度をささえる補完装置なのだ、とわたしは思う。

 個人と社会が、自分たちの諸問題を自分たちで自治的に共に解決できたら、税金を払う必要はない、公務員という存在者など必要ない、権力機構としての国家もいらない。

 

しかしこれまでの歴史の常識をこえた複雑怪奇な現代社会。気候変動、感染症から核兵器まで、種々雑多で均質ならざる主張がせめぎあう多種多様性の社会。有象無象、虚実混交のネット映像社会。・・・・・・・政治国家の出番となる問題は山積している。

政治家は現実主義者ならざるをえない。理想よりも現実。政治は結果責任といわれる。

しかしほとんどの政治家は、結果よければ自分・自党の業績としてほこる。結果わるければ、自分・自党の責任ではないほかの原因をいくらでもあげつらう。学者も加担する。

民主主義国家の政治家は選挙の票を気にする。複雑化するいっぽうの国家的問題、有事、緊急事態にあたって、内閣総理大臣を頂点とする政治家たちに、総合的、長期的、俯瞰的な判断力を期待できるか?

 

■南洲翁遺訓第30条  

命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

7.「精神と肉体」の二元論からココロを修業する「身心頭」の三元論へ 

 西洋思想の「唯心論―唯物論」にわたしはなじめない。身心頭―カラダとココロとアタマは別々のはたらきをする。

感情―思考―行動。言葉じゃわかる、だけど肚の虫がおさまらねえ。

 人類の知恵は、カラダの延長に道具とロボットをつくった。アタマの延長にAI(人工知能)をつくるまでの地点に到達した。

ココロは、どうなっているか。宗教と科学。ココロは言葉をあやつる理知的学問の対象になりうるのか。山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し

 

国家経営の借金が1千兆円を超える日本の政治経済状況は、政治経済の問題ではない。倫理道徳・ココロの問題だとわたしは思う。

個人・家族―人間・仲間・世間―<政治・国家・戦争>―地球・自然の未来像。

四海同胞、天下泰平に向かう人類の叡智への期待。

「主権在民」思想は、自分には荷がおもい。人品高潔、見識ある賢人君子、凡人をこえた真の英雄的人物に政治は任せたい。

無政府主義ならぬ脱権力主義とでもいえるNGONPO、社会的起業家などで活動する多くの学生・若者たちが登場している。未来への希望だとわたしは思う。

 

9.隠居道楽 憲法改正愚案の妄想  

◆第11条 

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

◎改正案 97条 削除

この憲法は、基本的人権を抑圧してきた国家体制の歴史を反省し、国家がすべての国民の基本的人権を尊重することを憲法によって保障する。

基本的人権とは、何人も生まれながらにして生命の維持、自由、安全、幸福を追求する個人の生理能力の社会的承認をいう。

 

◆第12条 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

◎改正案  

何人も、社会生活において、他者の基本的人権を侵害する自由と権利を有しない。

国家は、基本的人権を行使する国民の相互扶助を支援する義務を負う。

 

◆第13条 

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

◎改正案 

何人も、人類社会の一員として生きる社会的関係性として尊重される。社会生活における国民の基本的人権は、法律にもとづいてのみ制限される。

 

◆第15条

 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。後略・・・

◎改正案 

  国家は、国民の権利と義務を遂行するために、国家権力を組織する。

国家権力は、国民会議、憲法会議、国会、行政、司法、地球警察の六権分立とする。

  国家権力を行使できる資格と能力を有する者を公務員とする。公務員たる要件は、法律でこれを定める。

 

 

以上 (高校卒業60周年記念文集の原稿に加筆 20227

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