2015年5月

カオソフード(カオス*ソフト*ハード)多重システム論へ転換予定。

 

0.ソフトシステム思考の構図          201438日 

哲学は、常識や言葉や文献などの意味を、ことさらに詮索、詮議、穿り返す思考とその記述である。日常生活で役立たつことはない。しかし、深刻な意見の対立があった場合、その決着を暴力や権力に訴えるのではなく、合理性――>論理性――>倫理性など人間として共有できるかもしれない基盤まで掘り下げて、対話と熟議することによって、対立者どうしの相互理解に達することをめざす手段にはなりうる。

システム思考は、観察者が知覚できる存在物を、システムとして認知する哲学である。

ソフトシステム思考は、「生命、生きる意味」を基底において、個人の社会生活や組織や社会や国家などを観察し、認知する哲学である。これから取りくむソフトシステム思考の考察と実践は、これまでの強い「管理社会ステム」から弱い「自律共生システム」への探究である。

以下に、その探究への入り口を述べる。

 

0.           余生を過ごすわたしの関心は、地域コミュニティの形成である

1.           わたしは、地域コミュニティをひとつの「社会システム」とみなす観察者である

2.           地域コミュニティ形成に、方法論として「アナーキー社会システム」論を適用する

3.           「アナーキー社会システム」論は、ひとつのソフトシステム思考である

4.           ソフトシステム思考は、人間が生きる世界を「自律」して動くシステムとして認知する

 

 

0.        余生を過ごすわたしの関心は、地域コミュニティの形成である

マンション団地で老後をすごすわたしの関心のひとつが、「」個人主義と「」国家主義を仲介する「」地域コミュニティ形成のテーマである。「共」を再興する「私―共―公」三階建社会ビジョンである。

「マンション団地のコミュニティ形成」のキーワードを、「住民同士のコミュニケーションの活性化」とする。(コミュニケーションを拒否する人がいることも当然のことだと受け入れる。)

 その「実践」として、地域周辺の港湾岸壁や水面などの遊休資源を活用して、①海洋教室、②学び場塾、③気軽に立ち寄る縁台カフェなどを運営するプロジェクトを立ち上げる。

問題は、「住民同志のコミュニケーションの活性化は、いかにすれば可能か?」、「仕組み、道具、制度、組織をどうするか?」、その「知と方法は?」、「コミュニケーションとは?」である。

A:実践プロジェクトB:仕組み、制度、組織C:住民同志のコミュニケーションの活性化の関係の「知と方法」として、社会学の一派である「社会システム理論」の応用を試みる。

 

1.        わたしは、地域コミュニティをひとつの「社会システム」とみなす観察者である

 一般的な意味での社会システムとは、わたしが、「社会」を「システム」として観察し、把握し、理解し、分析した認知像であり、その記述である。

 システム思考とは、観察者が、自分の関心を向ける対象を、理性をはたらかせて、境界をもって周辺と外部環境から区別し、その認知を記述する「分析と総合を一体化」した方法である。

 非システム思考とは、観察者が、世界の物事に対して、自らの身心頭の全体機能を直感的にはたらかせ、その知覚を全体として人格的に表現する方法である。

 非システム思考は、生命がうごかす身心頭の全体機能のはたらきである。システム思考は、頭の機能だけのはたらきである。人間のシステム思考は、その基底に非システム思考をおく。

人間は、「身心頭」機能の意味を人格として体現する。

ロボットは、人間の「身頭」機能を代替する人格なき機械に過ぎない。

 

●システム思考の図式 

       観察者の関心、志向性 : 対象を選択する

                   ↓

                 対象システム      

                   ↓

外部環境(―→入力 →{要素内部構造} →出力―→)外部環境 

 

*システムの入出力媒質 ・・・・ 物質、力、エネルギー、電気、情報など

*内部構造・・・・・{要素}と{要素間の関係}/空間的配置構造と時間的動作構造

  ◆自律性、●多重性、◎不確定性、無限性、偶然性

この図式をつぎのように等価変換する。

    システム(内部、◆) / 境界● /入出力( 周辺◎ 外界)

 

社会をシステムとして対象化すれば、つぎの図式となる。

  観察者=>社会(人間、制度(社会システム、◆/境界●/周辺◎外部環境))

  ↑                           ↑    ↑    ↑      ↑

  特異な立場                  自律性  多重性  不確定性  無限性

 

社会システムは、システムを定義する要素、構造、境界、入出力、周辺の同定において、◆自律性、●多重性、不確定性、◎無限性、偶然性などを潜在的に内包する。その潜在性は、非システム思考の直感がもたらす不条理として感得される。

したがって、人間がそこで生活する社会システムは、不条理の大海に浮かぶ限定合理性の島々のイメージとなる。

ところが、このイメージは、つぎの近代的思考の対極にある。

社会は、本来は理性的で合理的である。しかし、例外的に不条理や危険や想定外も起こりうる。しかし、それらの出来事も、人類の理性を高めることによって、合理的な思惟の体系に取り込み、制御可能になり、歴史的に社会システムは進化する。

以下で考察する「社会システム」は、このような理性至上のイメージを否定する「不条理性を本質とする限定合理性」である。これから考える「社会システム」とは、社会学の一派である「社会システム理論」で定義される用語を指す。わたしが、社会をシステムとして理解しようとするとき、「社会システム理論」を応用するという意味で、「社会システム」という言葉をつかう。

 参照:==>社会システム理論、たとえば、http://1000ya.isis.ne.jp/1349.html

 

 ここで、疑問がすぐ出てくるであろう。

(1)     なぜ、「システム」として観察するのか?

(2)     社会を、「システムとして観察する」とは、どういうことなのか?

(3)     「社会システム理論」を応用するとは、どういう意味なのか?

 

(1)なぜ、「システム」として観察するのか?
・近代以降の理性は、価値を社会関係のシステム合理性に求めるから。
・暴力を否定する民主主義社会では、システムが権力化しているから。
・複雑に機能分化した現代社会では、システムが専門化しているから。
  以下、つぎを参照==>なぜシステム思考か?

(2)社会を、「システムとして観察する」とは、どういうことなのか?
・物事を、要素集合とその関係構造として理解すること
・物事を、「全体の分解」と「部分の合成」という二つの視点から理解すること
・物事を、その「内部」と外側の「環境」とに区別して理解すること
  以下、つぎを参照==>システムとは?

(3)「社会システム理論」を応用するとは、どういう意味なのか?

・合理性の限界を前提とする柔軟弱なシステム合理性を探求する
・現代社会を支配する「システム権力」構造を脱権力化する
・人が生きる生活世界の統合性を実現する人格的な社会システムを探求する

      詳細な考察を以下でおこなう。

 

2.        地域コミュニティ形成に、方法論として「アナーキー社会システム」論を適用する

 「アナーキー」とは、国家や組織を維持するための支配、統制、管理、階層関係、他律性、計画性、コントロール、モニタリング、ガバナンス、マネージメントなどが意味する限定合理性への対立概念である。

「アナーキー」とは、人間の集団が、支配者を必要とせず、自律して、自発的にうごく、多様な差異が共存できる活動状態を意味する。その活動状態は、カオスや混乱を内包する不確実で、偶然に左右される不安定な秩序形態である。予定調和を前提にしない活動思想である。

「アナーキー社会システム」を定義するために、社会システムの類型をつぎの三つに分ける。

Ⅰ.管理社会システム
a.国家システム・・・ 憲法と法律によって管理されるシステム
b.組織システム・・・ 私的な自由契約、合意規則によって管理されるシステム

Ⅱ.日常社会システム

   c.家族、集合住宅、地域、親睦集団など管理者が不在のシステム

Ⅲ.臨時社会システム

d.興奮、歓喜、危険、混乱など管理不能で非日常的な一過性のシステム

 

この類型を、「私共公」の枠組みに対応させれば、つぎのようになる。

: 私的な契約に拘束されるという意味で、Ⅰ.b.組織システムに対応する。
マネーが支配する資本主義社会を構成する基本的な部分システムである。

: 任意の「自分たち」集団という意味で、Ⅱ.日常システムに対応する。
ここには、強権的なシステム権力は不在である。

: 国民の「みんな」が法によって強制されるという意味で、Ⅰ.a.国家システムに対応する。

   ルールが支配する民主主義社会を統制する全体システムである。

この類型は、現代社会を「共」不在の「私―公」二階建社会とみなす認識に対応する。現代社会は、組織システムと国家システムが、システム権力として人の生活世界を支配している。「私」の個人主義と「公」の国家主義を両輪とするⅠ.管理社会システムこそが、人の身心頭の統合性を失調させ、現代社会に閉塞状況をもたらす元凶だと考える。

その閉塞状況を脱し、管理社会システムを脱構築し、人の幸せである身心頭の統合性を生きることができる生活世界に「共」を復興したい。だからこそ「私―共―公」三階建社会の「社会システム」を構想するのである。

組織や国家などの管理社会システムの特徴は、コントロール、ガバナンス、モニタリング、マネージメントなどが含意する「固硬強」システムである。その権力性にあらがう生活世界の「」は、「柔軟弱」システムでなければならない。

アナーキー社会システム論は、Ⅱ.日常システム.c.:自律して自由で自発的な人間関係性、生活世界、地域コミュニティを観察して記述する方法論である。

 

3.        「アナーキー社会システム」論は、ひとつのソフトシステム思考である

社会をシステムとして把握する観察者は、つぎの四つの社会領域を観察できる特異で多重な視座に位置する。システムの内と外を出入りできる特異な観察者である。観察には、推測や洞察や予測にもとづく関与、投企もふくむ。この観察者は、システムの作動に触媒として機能する。

               特異な観察者の視座             

↓① ↓②      ↓③     ↓④

     社会システム(要素、関係性)/境界(入出力)/周辺、外部環境 

  対象の内部を構成する要素 

  対象の内部を構成する要素間の関係性、構造、作動

  対象と外部との境界 ・・・・・刺激と応答、入力と出力

  境界の周辺と外界  ・・・・・刺激の発生経路、応答の波及効果と影響範囲

  観察して記述されるシステムは、うえの四つの領域それぞれの「確実性」を基準として、ハードシステムとソフトシステムに大別できる。

 

●システム思考の確実性  ~システム思考の「固硬強」と「軟柔弱」

確実性とは、潜在性―可能性―実現性という枠組みで社会を観察したとき、要素、関係性、境界、周辺などそれぞれの領域を同定できる条件が、決定論的に定義できる必然性の度合い、偶然性が関与する度合い、その定義が発生―成長―退化する変化の度合い、その変化の因果関係を厳密に定義できる度合い、予測できる度合いなどを意味する。

ハードシステムの典型的な事例は、自動車や建築物などの人工物製造プロセスや宇宙ロケットの発射や原油からの石油精製プロセスなどである。そこでは、曖昧さを極少にして、安全で確実な仕組みが、設計段階で、事前に、定義できなければならない。いきあたりバッタリ思考は、拒否される。確実性を重視しなければならない。それを担保するのが、科学技術が対象とする物質の法則と数理思考である。

物質的な人工物をシステムとして観察する科学技術は、社会の功利的な目的のために、物質の法則を意識的に適用する思考である。この意味で、ハードシステム思考は、目的に向かって手段を効果的に選択する合理的思考、つまり理性をはたらかせる合理性を中心におく。

しかし、この合理的なハードシステムは、自らの生成―成長―退化の変化を自律できない。システムの構成要素は、物質の法則にしたがうが、システムの目的に功利的な意味をあたえる領域からは独立している。システムの作動自体は、物質の法則で制約される。しかし、人間にとっての功利的な意味を自ら追求できるわけではない。

だから、システムの外部に位置する専門的な人間が、介入して、その構造を「改修、改良、改造」しなければならない。構造が外的につくられ、自由に自らを変化させえない、自律しえないという意味で「固硬強」システムなのである。

 

いっぽう、ソフトシステムの典型的な事例が、人間社会であり、その歴史である。誰かが、未来社会の設計図が描いたとしても、その設計図が確実に実現される可能性は、ゼロにちかい。人間社会の秩序の本質は、不確実な安定状態であるからである。

人間は、身心頭の自律性に動かされ、不条理性と合理性の按配をゆらぎながら生きる社会的動物である。人は、「固硬強」な物質的な個体ではなく、「軟柔弱」に少壮老の人生をたどる生命体である。そういう人間たちが生きる社会は、カオスを内在させる不確実社会にならざるをえない。

その根本理由は、人間の社会が、人の生命をうごかす身心頭が求める「意味」を根拠にする最終審級において成立しているからである。人が、自律するゆえに自由を求める存在であるからこそ、人間が生きる社会、つまり生活世界は、不確実ならざるをえないのである。

その不確実性を縮減するために、国家や組織において、法律や規則が制定される。つまり、Ⅰ.管理社会システムのa.国家社会システムとb.組織社会システムが出現する。ここでは、国家の秩序維持や組織の存続という目的に向かって、手段を効果的に選択する合理的思考が重視される。

つまり、ソフトシステムであるハズの人間社会にたいして、ハードシステム思考を適用する矛盾である。ここに現代社会の根源的な矛盾をみる。「固硬強」システムの呪縛である。

a.国家社会システムとb.組織社会システムは、ハードなソフトシステム思考の産物なのだ。「自由で複雑な」現代社会の管理社会システムが、生活世界への「閉塞感、圧迫感、不自由さ」をかもしだすのである。

だから、「もっと自由な社会」を希求して、その対案として、ハードな科学技術的合理性の知性から離れて思考する「アナーキー社会システム」論を探求することになる。それは、人間社会を、「固硬強」な予定調和ではなく、不確実性と偶然性に着目する「軟柔弱」なソフトシステム思考の方法論である。

アナーキーという用語は、「固硬強」を特徴とする組織と国家のシステム権力を脱構築して、日常の生活世界に「軟柔弱」な共生態を創造する希求にむかう気持ちの命名である。

 

4.        ソフトシステム思考は、人間が生きる世界を「自律」して動くシステムとして認知する

ソフトシステム思考のアナーキー社会システム論は、「社会システムつくる」のではなく、「社会システムそだつ」のだと考える。「を」から「が」への主客の転倒である。

ハードシステム思考による「システム:作る、造る、創る」から、ソフトシステム思考による「システム:芽を出す、育つ、繁る」と考えるシステム論的転回である。

誰かが、システムを「つくる」のではない。システム自身が、自ら「そだつ」のである。社会システムは、自律して自らを生きるシステムである。

◎ハードシステム思考

固定したシステム構造を前提にして、外部環境との相互作用に着目する。

誰かが、内部構造をもったシステムを「つくる」。

内部構造は、加算;組み立て、または減算;掘りだし、除去によって固定化する。

◎ソフトシステム思考

システムの少壮老―生成、成長、変化、退化、消滅―という自律性に着目する。

システム自身が、潜在性を可能性に転化しながら「そだつ」。

内部構造が、自律して、時間的に変化する。

多様な差異の人間が集まる社会のシステムは、潜在性―可能性―実現性の相貌を遷移反復しながら、発芽―成長―繁茂―衰退する生命的なシステムである。社会システムは、無限の潜在性をはらみ、風土と歴史によって可能性が選択され、一定の法則または偶然の環境条件に遭遇することにより、可能性が現実性に転換する。逆に、現実性が可能性に沈み、潜在性に内奥する。潜在性―可能性―実現性の流転こそが、社会システムの本質である。

 

ソフトシステム思考は、ハードシステム思考の限定合理性を内に包みながら、その限界に着目する思考である。非システム思考を基底とするアンビバレントな思考が、ソフトシステム思考にほかならない。

アナーキー社会ステム論は、世界認識を非システム/ソフトシステム/ハードシステムの三相で構成する哲学である。非システム/ソフトシステムを区別する概念が、自律性、多重性、不確定性、潜在性、無限性などを意味する不確実性、つまり「他でもありうる選択性」である。

 

●システムの提供者と利用者

これまでの科学技術的な合理性に準拠するハードシステム思考では、 たとえば企業組織の経営情報システム開発プロジェクトを対象とすれば、つぎのようなシステムライフサイクルの合理的な管理を、プロジェクトマネージメントの要諦とする。

目的/ 設計―構築―試験/ 導入―利用―評価/ 保守―改造―再構築

そして、このプロジェクトの関係者は、つぎのようにシステム利用者とシステム提供者の専門家に分かれる。

システム利用者は、「目的―導入―利用―評価」の当事者。

システム提供者は、「設計―構築―試験/保守―改造―再構築」の専門家。

 

ところが、ソフトシステム思考の対象である地域コミュニティ社会システムでは、利用者と提供者が一体である。自己言及システムである。システムの中を生きながら、システムを変革する。この自己言及性、再帰性において、非線形の困難さも超えるシステム方法論上の根本的な課題がうまれる。「主」なき「生きるシステム」を考える自己撞着の宿命である。

システム境界の内と外、役割分担、工程、プロジェクトの考え方=方法論は、限定的にハードシステム思考による「固硬強」領域を認識しながらも、はるかに深く広く遠く、「軟柔弱」な思考方式を取り入れなければならない。頭だけでなく、人の身心頭の全体性、人格性をはたらかせねばならない。

 

●ハードシステム思考の限界  ~確実な可能性要素を確実に関係づける

科学技術的な合理性は、時間を工程要素に分割し、人間を役割要素に分断し、その要素を結合してシステムを「作る、造る、創る」という方法論である。部分―部分の結合関係と部分―全体の秩序関係に着目する。これらの関係性が、階層構造やネットワーク構造を形成する。

その方法論の中心は、システムの目的を設計図に変換し、その設計図を実現手順に変換するプロセスとして、システム開発プロジェクトを管理(コントロール、モニタリング、マネージメント、ガバナンス)する技術である。 

所与の材料や部品を加算しながら結合して組み立てる製造工程や、所与の全体を減算しながら掘りだし、削り取ることによる塑像工程や原油から石油などを精製する化学的工程などがある。いずれも完成予想図を明確に意識する。目的から逆算して、手段を積み重ねる技術である。

このハードシステム思考は、建物や機械や構造物などの物質の法則性を応用する「目的―手段」システムにおいて、産業革命以降の歴史でうたがいもなく大成功をおさめてきた。目的という実現可能な完成予想図とそこに至る手段プロセスを、明確に定めることができるという条件が、本質的な成功要因である。

この成功方式を、潜在性―可能性―実現性の枠組みで解釈すれば、確実な可能性要素を確実に関係づけて、システムを現実化するという思想である。ここでいう潜在性とは、個人でいえば身心頭を動かす遺伝子情報(DNA)と「正心・誠意・修身」の規範で鍛錬された人格である。社会でいえば、風土や歴史ではぐくまれて動く未来への駆動力である。その潜在性の本質は、人間にとっての「意味」、「価値」である。

 

     ●ハードシステム思考

              可能な要素を確実に組み立てる/作る、造る、創る

  潜在性 ―---→可能性 ―――――> 実現性: 目的

 

問題は、そのハードシステム思考を、社会システムに適用することの限界、限定合理性、硬直性である。人間社会は、その「目的」を明確に定める条件を満たさないのである。

人間社会は、何らかの目的を追求する対他的存在ではない。即自的な存在である。存在自体に意味と価値を内包している存在である。

アナーキー社会システム論は、ハードシステム思考を社会システムに適用することを拒否する立場でソフトシステム思考を探究する。

 

●ソフトシステム思考  ~不確定な目的、不確定な手段、不確定な波及効果

社会システムは、自ら自立した生命態として「芽を出し、育ち、繁る」システムである。誰かが、専門家が、イノベータが、リーダーが、預言者が、「社会システムつくる」のではない。「社会システムそだつ」のである。

アナーキー社会システム論の「哲学」は、つくる人とつかう人の主客分離ではなく、主客一体である。心身一如である。万物一体の仁である。朱子学よりも陽明学にちかい「心即理」の知行合一である。自律する自由な身心頭の統合性である。自由を媒介にする個人的実存と社会的共存の融通無碍、自在性、則天去私、敬天愛人である。

そこに、多様な差異をに生きるひとり一人の人生の充実を探求する。

社会システムは、具体的な人間生活の集合ではない。

社会システムは、人間たちの合意によって成立しているわけではない。

社会システムは、国家の行政単位に分割して統合されるわけではない。

社会システムは、外部から直接的に観察して関与できるわけではない。

社会システムは、目的―手段による「結果」と「目的」が一致するわけではない。

不確定な目的、不確定な手段、不確定な波及効果などに着目するソフトシステム思考、この不確定性、つまり確実性の「否定」命題が、アナーキーの由来である。

 

特異な観察者  ~アナーキー社会システム論の黒子的・触媒的な観察者

ではアナーキー社会システム論は、具体的に地域コミュニティの「社会システム」をどのように観察し、どのように関与し、どのようにして地域コミュニティの活性化を期待するのか。

その方法が、探究されなければならない。その方法を探求する足場は、潜在性が可能性へ転化する「能力訓練」への着目である。(訓練=正心・誠意・修身についての論述は保留)

 

  ソフトシステム思考     ハードシステム思考

   可能性の訓練      可能な要素を確実に組み立てる

潜在性 -------――> 可能性 ―――――> 実現性

     芽を出す、育つ、繁る   ↑創る、作る、造る

アナーキー社会システム論の黒子的・触媒的な観察者

 

上の社会システム図式を、地域コミュにニティ形成に適用すれば、つぎのようになる。

 ◆は自律性、●は多重性、◎は無限性を意味する不確実性を表す。

  観察者=>(地域コミュニティ(社会システム、◆)/境界●/周辺◎外部環境)

    ↑ 潜在性――> 可能性           ↑   ハードシステム思考

    ↑  黒子??           住民、自治会、管理組合、周辺事業者、行政ほか

  ↑  (1)特異な観察者          (2)    (3)     (4)

私の立場/プロジェクト/アナーキー社会システム論の黒子的・触媒的な観察者

 

(1)        特異な観察者/プロジェクト  
私の立場は、観察者として、住民であり、自治会の会員やマンション管理組合の組合員や地域活性化プロジェクトの一員であり、横浜市民や神奈川県民や日本国民であり、その他さまざまな社会的諸関係のメンバーである。
私は、そういう立場を自覚しながら、「黒子的な触媒者」として、典型的な都市型人間関係を営むマンション団地周辺の地域コミュニティ形成に関与する。

(2)        境界/当事者 ~地域コミュニティ社会システムに直接的に関与する人や組織
マンション団地周辺の地域コミュニティを構成する地域住民(わたしもその一人)や関係組織である。関係組織とは、自治会、管理組合、周辺事業者、NPO法人、街づくり協議会、国家の行政機関などである。(注:地域コミュニティ社会システムの構成要素ではない。)

(3)        周辺/関係者 ~地域コミュニティ社会システムの周辺
関係者とは、地域住民(わたしもその一人)や自治会、管理組合、周辺事業者、NPO法人、街づくり協議会、町内会連合会、国家の行政機関など、地域コミュニティの「社会システム」に関与する周辺の人や組織である。

(4)        外部環境/部外者
マンション団地周辺の地域に位置する住民や組織や行政機関やその他の人々(わたしもその一人)である。地域コミュニティの「社会システム」との関係が不明瞭な人や組織。

 

●地域コミュニティ形成に関与する「特異な観察者」をコミュニティプロジェクトとする

」地域コミュニティ形成の思想は、「」個人主義と「」国家主義を仲介する「私―共―公」三階建社会ビジョンである。

 その実践として、地域の遊休資源を活用して①海洋教室、②学び場塾、③気軽に立ち寄る縁台カフェなどを運営するプロジェクトを立ち上げる。

このコミュニティプロジェクトを、地域コミュニティという「社会システム」形成に関与する「特異な観察者」とする。このプロジェクトを運営する「知と方法」論が、これまで考察してきた「アナーキー社会システム」論である。

プロジェクトを実践するマンション団地コミュニティは、日本社会の縮図であり、つぎの社会システムを観察できる。

Ⅰ.管理社会システム   ~公と私
a.国家システム・・・公: 国交省、神奈川県、横浜市などの港湾関係部署
b.組織システム・・・私: 自治会、管理組合、マンション管理会社、周辺事業者など

Ⅱ.日常社会システム   ~共

   c.家族、集合住宅、地域、親睦集団など管理者が不在の生活社会

Ⅲ.臨時社会システム

d.地震、津波などの災害時に対応する非日常的な生活環境

 

コミュニティプロジェクトは、Ⅱ.日常社会システムを対象として、そこに「共:地域コミュニティを形成すること」を目的とする。形成とは、芽を出し、育ち、成長し、維持する一連のプロセスである。

このプロジェクトは、「アナーキー社会システム」論で探究する「黒子的な触媒者」として、そのプロセスに関与する。

地域コミュニティ形成のキーワードを、「住民同士のコミュニケーションの活性化」とした。それゆえに、「アナーキー社会システム」論は、社会システムの考察を「情報とコミュニケーション」を基軸において探究する。

次へ ==>社会システムの情報とコミュニケーション

以上 2014310